18歳で始めた空手ですぐに頭角を現し、女子格闘技の団体『DEEP JEWELS(ディープジュエルズ)』の旗揚げ大会で格闘家デビューを果たした杉山しずか。デビューから5連勝したほか、その美貌もあいまって一躍、人気者となった。一見、キャリアは順風満帆に見えるが、結婚・出産を経て“ママさんファイター”として返り咲くまでには、数々の悩みや葛藤があった。そんな彼女が歩んできた日々と、見据える未来とは?
■格闘技と出会って、自分が輝ける場所が見つかった気がした
格闘技を始めたのは18歳の頃。東海大学への入学を機に、自宅近くにあった空手道禅道会(ぜんどうかい)に入門したことがきっかけだった。
「将来、体育の教員になろうと思っていたので、武道に触れておけば有利かもという軽い気持ちで始めました。ところが、すぐに禅道会の空手に夢中になりました。格闘技色が強く、体力と“勝ちたい”という気持ちがあれば強くなっていけた。東海大学にはオリンピックに出場するなど活躍しているアスリートも多く、彼らのように打ちこめる“何か”を探していた私にはぴったりだったんです」
大学在学中、『DEEP JEWELS』の旗揚げ大会に出場し、プロの格闘家となった。禅道会の大会を見た関係者が「見どころがある」と声をかけてくれたのだという。格闘技の実践経験はほぼゼロだった。
「恐怖心はありませんでした。リングの上にいることがただ楽しくて仕方なかった。そしてその時、“自分が輝ける場所はリングの上だ”と直感したんです」
大学卒業後、体育の非常勤講師として都内の小中高を回った。夕方からは空手道場でのトレーニング、週末になると試合に出る日々。当時、格闘家だけで食べている人は少なく、ダブルワークをするのが一般的だった。彼女も教員と格闘家の二足の草鞋(わらじ)を履いていた。
「格闘技をやっていることは子どもたちには内緒にしていました。どちらも中途半端にはしたくなかったので。試合前に減量していると、“先生、痩せた?”“やつれてない?”などと言われることもありましたね(笑)。毎日がむしゃらでした。でも大変だとは思わなかった。逆にたくさんの縁(えん)に恵まれて幸せでした」
出産後、2ヵ月で練習再開。「いつでも戦える体にしておきたい」
2011年4月に非常勤講師を辞めて、オーストラリアへ武者修行に出た。空手道場での練習に限界を感じ、もっと集中して格闘技に取り組みたいと思うようになったことがきっかけだった。約1年間、語学学校で英語を習いつつ、柔術やキックのジムにも通った。
「当時の私は、大切な試合で負け、悔しい思いを抱えていたんです。だから絶対に強くなって日本に帰る、という気持ちが大きかった。英語は完璧ではなかったけれど、格闘技に言葉は必要ない。外国人選手とも対等に練習できたし、逆に“やっていることは変わらないんだ”と自信にもつながりました」
帰国後の試合では勝利を重ね、2013年に総合格闘家の中村K太郎選手と結婚。2015年には第一子の長男を出産した。さまざまな経験と実力を身に付け、選手として充実の時を迎えていた彼女にとって、出産と育児でキャリアをストップさせるのは、選手生命を左右する選択だった。
「妊娠がわかったときは、複雑な心境でした。大切な命を授かったことはすごく幸せ。でも、格闘家としてこれからという時に休むことが辛くて…。周囲からも“格闘家と子育ての両立は簡単じゃない”“引退するんでしょう?”などと言われ、悔しかった。自分ではどうにもできないもどかしさで、“諦めてしまおうか…”と思ったこともありました」
しかし、そんな周囲の雑音が、負けず嫌いの杉山の闘争心に火をつけた。今では、そう言ってくれた人たちに感謝しているほど、と笑顔をみせる。
「出産した2015年末、ちょうどRIZIN(ライジン)が始まったんです。それが早く復帰したいというモチベーションになりましたね。海外で出産後、半年で試合をした選手がいると聞き、私も“いつでも戦える体づくりをしておこう”と、産後2ヵ月で練習に復帰。預かってくれる人が見つからないときは、息子をジムのマットの上に寝かせて練習することもありました」
■一戦一戦を大切に戦って、“杉山しずか”の名を広めたい
息子の存在は、今の彼女が戦うモチベーションだ。
「試合中、以前は自分のこと、目の前のことしか考えていませんでした。でも今は違う。息子の顔を思い浮かべ、彼に寂しい思いをさせて練習を頑張ってきたんだから“しっかりしろ!”と自分に喝を入れたり、気を引き締めたりしています。周囲から練習や試合は辛くない?と聞かれることもあるけれど、辛くないどころか毎日幸せ。出産前後、格闘技ができなかったころの悔しさを思えば、どんなことだって耐えられます!」
ママさんファイターの先輩には、先駆者とも呼ぶべき、山本美憂もいる。3人の子どもを育てながら40代で現役を続行する彼女には、いつも刺激を受けている。ただし、ママ格闘家を“特別”な存在だとは思わないでほしいという。
「働くママたちにそれぞれの仕事があるように、私が選んだ職業が総合格闘技だったということ。たとえば皆さんがデスクワークをしているとき、私は筋トレや試合をしているだけで、決して特別じゃないんです」
屈強なボディを武器に、人気ファイターとして活躍しながらも「普通の働くママと変わらない」と言い切る杉山。キャリアを重ね自分が見えてきた分、今後の夢も現実的だと自嘲する。
「“世界”とか大きなものではなく、RIZINをはじめ、さまざまな試合の一戦一戦を大切に戦っていくこと。現役でいられる時間は限られているので、リングの上で輝きながら“杉山しずか”の名を少しでも広めていきたいですね。格闘家としての人生をまっとうするためにも、まずは勝ちたい。勝利の先に自分の可能性や、次なる夢が見えてくるんじゃないかと思っています」
(インタビュー・文/高倉優子)
■格闘技と出会って、自分が輝ける場所が見つかった気がした
格闘技を始めたのは18歳の頃。東海大学への入学を機に、自宅近くにあった空手道禅道会(ぜんどうかい)に入門したことがきっかけだった。
「将来、体育の教員になろうと思っていたので、武道に触れておけば有利かもという軽い気持ちで始めました。ところが、すぐに禅道会の空手に夢中になりました。格闘技色が強く、体力と“勝ちたい”という気持ちがあれば強くなっていけた。東海大学にはオリンピックに出場するなど活躍しているアスリートも多く、彼らのように打ちこめる“何か”を探していた私にはぴったりだったんです」
大学在学中、『DEEP JEWELS』の旗揚げ大会に出場し、プロの格闘家となった。禅道会の大会を見た関係者が「見どころがある」と声をかけてくれたのだという。格闘技の実践経験はほぼゼロだった。
「恐怖心はありませんでした。リングの上にいることがただ楽しくて仕方なかった。そしてその時、“自分が輝ける場所はリングの上だ”と直感したんです」
大学卒業後、体育の非常勤講師として都内の小中高を回った。夕方からは空手道場でのトレーニング、週末になると試合に出る日々。当時、格闘家だけで食べている人は少なく、ダブルワークをするのが一般的だった。彼女も教員と格闘家の二足の草鞋(わらじ)を履いていた。
「格闘技をやっていることは子どもたちには内緒にしていました。どちらも中途半端にはしたくなかったので。試合前に減量していると、“先生、痩せた?”“やつれてない?”などと言われることもありましたね(笑)。毎日がむしゃらでした。でも大変だとは思わなかった。逆にたくさんの縁(えん)に恵まれて幸せでした」
出産後、2ヵ月で練習再開。「いつでも戦える体にしておきたい」
2011年4月に非常勤講師を辞めて、オーストラリアへ武者修行に出た。空手道場での練習に限界を感じ、もっと集中して格闘技に取り組みたいと思うようになったことがきっかけだった。約1年間、語学学校で英語を習いつつ、柔術やキックのジムにも通った。
「当時の私は、大切な試合で負け、悔しい思いを抱えていたんです。だから絶対に強くなって日本に帰る、という気持ちが大きかった。英語は完璧ではなかったけれど、格闘技に言葉は必要ない。外国人選手とも対等に練習できたし、逆に“やっていることは変わらないんだ”と自信にもつながりました」
帰国後の試合では勝利を重ね、2013年に総合格闘家の中村K太郎選手と結婚。2015年には第一子の長男を出産した。さまざまな経験と実力を身に付け、選手として充実の時を迎えていた彼女にとって、出産と育児でキャリアをストップさせるのは、選手生命を左右する選択だった。
「妊娠がわかったときは、複雑な心境でした。大切な命を授かったことはすごく幸せ。でも、格闘家としてこれからという時に休むことが辛くて…。周囲からも“格闘家と子育ての両立は簡単じゃない”“引退するんでしょう?”などと言われ、悔しかった。自分ではどうにもできないもどかしさで、“諦めてしまおうか…”と思ったこともありました」
しかし、そんな周囲の雑音が、負けず嫌いの杉山の闘争心に火をつけた。今では、そう言ってくれた人たちに感謝しているほど、と笑顔をみせる。
「出産した2015年末、ちょうどRIZIN(ライジン)が始まったんです。それが早く復帰したいというモチベーションになりましたね。海外で出産後、半年で試合をした選手がいると聞き、私も“いつでも戦える体づくりをしておこう”と、産後2ヵ月で練習に復帰。預かってくれる人が見つからないときは、息子をジムのマットの上に寝かせて練習することもありました」
■一戦一戦を大切に戦って、“杉山しずか”の名を広めたい
息子の存在は、今の彼女が戦うモチベーションだ。
「試合中、以前は自分のこと、目の前のことしか考えていませんでした。でも今は違う。息子の顔を思い浮かべ、彼に寂しい思いをさせて練習を頑張ってきたんだから“しっかりしろ!”と自分に喝を入れたり、気を引き締めたりしています。周囲から練習や試合は辛くない?と聞かれることもあるけれど、辛くないどころか毎日幸せ。出産前後、格闘技ができなかったころの悔しさを思えば、どんなことだって耐えられます!」
ママさんファイターの先輩には、先駆者とも呼ぶべき、山本美憂もいる。3人の子どもを育てながら40代で現役を続行する彼女には、いつも刺激を受けている。ただし、ママ格闘家を“特別”な存在だとは思わないでほしいという。
「働くママたちにそれぞれの仕事があるように、私が選んだ職業が総合格闘技だったということ。たとえば皆さんがデスクワークをしているとき、私は筋トレや試合をしているだけで、決して特別じゃないんです」
屈強なボディを武器に、人気ファイターとして活躍しながらも「普通の働くママと変わらない」と言い切る杉山。キャリアを重ね自分が見えてきた分、今後の夢も現実的だと自嘲する。
「“世界”とか大きなものではなく、RIZINをはじめ、さまざまな試合の一戦一戦を大切に戦っていくこと。現役でいられる時間は限られているので、リングの上で輝きながら“杉山しずか”の名を少しでも広めていきたいですね。格闘家としての人生をまっとうするためにも、まずは勝ちたい。勝利の先に自分の可能性や、次なる夢が見えてくるんじゃないかと思っています」
(インタビュー・文/高倉優子)
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2018/12/14