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“消える魔球”で夏の甲子園準V、あの高校生ドラ1投手はなぜ姿を消した?

 1997年夏の甲子園で“消える魔球”を武器にチームを準優勝に導き、同年のプロ野球ドラフト会議で4球団から1位指名を受けたものの、プロで1勝もできずに姿を消した投手がいる。4日放送のTBS系『消えた天才』(後6:30)で、消えた理由が明らかになる。

1997年夏の甲子園で“消える魔球”を武器にチームを準優勝に導いた天才投手の波乱万丈人生が明らかに=11月4日放送、TBS系『消えた天才』(C)読売新聞/アフロ

1997年夏の甲子園で“消える魔球”を武器にチームを準優勝に導いた天才投手の波乱万丈人生が明らかに=11月4日放送、TBS系『消えた天才』(C)読売新聞/アフロ

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 その天才投手は、創部100年で全国最多となる74回の甲子園出場記録を持つ京都の名門・龍谷大平安高校(当時は平安高校)で1年生からエースとして活躍。3年生ではそれに加えて4番打者でキャプテンを務め、チームを甲子園春夏連続出場に導いた。

 天才について、同校野球部で長年監督を務める原田英彦氏は「今の野球部があるのは彼のおかげ」「6種類のカーブを意のままに操る」「完成された変化球」と、その天才ぶりを絶賛。プロ野球全12球団からのスカウトに加え、アメリカ・メジャーリーグのシアトル・マリナーズからも獲得のオファーがあったという。

 ドラフトではその年で最多となる4球団競合の末、オリックスに入団。キャンプ初日からマスコミが殺到し、物怖じしない彼の“ビッグマウス”ぶりも話題となった。

 “球界のお宝ボーイ”と呼ばれ、誰もがプロの世界で活躍すると思っていた。しかし、プロ入り後、1軍での登板はわずか9試合で勝利数はゼロ。甲子園を沸かせた天才は、プロでは何の実績も残せずに表舞台から姿を消した。

 あれから15年。番組では天才の今を大追跡。すると、超大物ルーキーだけが味わう意外な苦悩が明らかになる。番組のインタビューに応じた天才は、「野球が嫌いだった」「ただただ、嫌な7年間が過ぎた」と心境を激白。しかし、今はある世界でNo.1となり、再び輝きを取り戻していた。天才が歩んだ波乱の人生が明らかになる。

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