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広島RCCの“天才”横山雄二アナ、初小説でつづった“ラジオ”への熱い思い

 広島でカリスマ的な人気を誇る中国放送(RCC)の“天才”横山雄二アナ(51)。今月5日に放送4000回を迎えた『平成ラヂオバラエティごぜん様さま』(月〜金 前9:00)などの功績を讃えられ、2015年に「ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティー賞」を獲得し、映画監督、俳優、歌手といった幅広い分野でも活躍。交流のある爆笑問題太田光(53)は『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ・毎週火曜 深1:00)で毎週のように「横山コノヤロー!」と叫び、その個性的なキャラクターは全国へ広がっている。そんな横山アナが、きょう13日に自叙伝的小説『ふるさとは本日も晴天なり』(角川春樹事務所)を出版した。執筆のきっかけからラジオへの思いまで、横山アナに聞いた。

■きっかけは憧れの角川春樹の一言 自分の黒歴史も包み隠さず書いたワケ

 自身初の小説に挑戦するきっかけとなったのは、幼少期から憧れの存在で、現在は親交のある角川春樹氏(76)だった。「僕が東京に来る時は、タイミングが合うと会ってくださるんですけど、春樹さんがある時に『きょうは、編集者連れていくからな』とおっしゃったことがありました。そこで行ってみたら『小説書け。大丈夫だ。こいつがアイデアあるから』と言っていただいて…。編集担当の方が企画書を持ってきてくれて、いろいろ話をしてくださったのですが、春樹さんから『そうじゃなくて、お前の自伝を書けばいいんだよ』と言われて、この自叙伝的小説になりました(笑)」。鶴の一声で“小説家”への道を切り拓くことになったが、最初はかなり苦戦を強いられた。

 「今まで、コラム、エッセイ、ムック本などを出させてもらっていたので、今回も何とかなるだろうと思っていたのですが、実際に書き始めてみるとこれは大変なことを引き受けたなと(苦笑)。はじめの頃は、若干の読み応えのある形になってから編集さんに送っていたのですが、『横山さん、これはエッセイです。小説は主人公が地べたを歩いているので、この先に何があるかわからない書き方だけど、横山さんは結果を知っている神の視点のようになっています』と指摘されました。結果的に半年間はその感覚をつかむための時間になって、それまでに書いた60ページ分くらいは全部ボツにして、書き直すことにしました」。

 地元の宮崎県で、映画やラジオなどを通してあらゆるカルチャーを吸収していた中学3年生だった自分の姿を、できるだけ詳細に表現しようとの思いで書き直してみると、編集者から「これです!」という返事がきた。「今僕は51歳なんですけど、ずっと“憧れ力”みたいなものだけで生きてきたなと。子どもの頃は、角川春樹みたいになりたいとか。薬師丸ひろ子と結婚したいとか、どうすれば自分がカッコよくなるのかと追い続けていました。(ビート)たけしさんもそうですが、今まで自分が好きになったしゃべり手の方とか、俳優さん、監督さんになるためにはどうすればいいんだろうなと思いながらやってきた。そうした憧れをエネルギーに進んできたので、今回のお話をいただいた時もやったーと思いましたけど、今回の小説家という武器を得るまでには体力、労力、時間を消耗しましたね」。

 中学時代から広島でアナウンサーになるまで、しゃべり同様に軽快なタッチで描かれているが、ある事件をきっかけに会社で孤立してしまった出来事も触れられている。「自分がダメな時期のことは、会社にとっても僕にとっても嫌なことで、あそこは何回読んでもちょっと自分で嫌になります。でも、そこを書かないと『ただ、自慢話いっぱい書きました』みたいになっちゃって、話の柱がなくなっちゃう気がしました。僕は自分の目指すべき道で成功したって話になっちゃいますが、実はそこら辺にいらっしゃる、市井のサラリーマンのみなさんと全く同じところにいるんです。ただ、アナウンサーという職業上、ちょっと祭り上げられていて、落とされる時は地面の下まで落とされる。読んでくださる方に『ああやってしとるけど、一緒なんじゃのー』とか『うちらサラリーマンも一緒じゃ』と感じてもらえるとうれしいですね」。

有吉弘行が語った冠番組の重圧 ラジオが結んだ縁に感謝

 どん底時代の横山アナを救ったのは“ラジオ”だった。「運良くラジオもある放送局に入ると、やっぱりラジオの奥深さとか、僕自身が『オールナイトニッポン』が好きだったということもあって『同じ電波で話しているんだ』という感覚は強くて。高校球児が小さい頃から甲子園を見ていて、あそこでやりたいと思うのと同じように、あの電波から自分の声が聞こえてきたらどんな感じなんだろうっていう憧れがかなったんです。テレビに出ている自分はなんとなくよそよそしいというか、恥ずかしいな、慣れないとずっと思い続けていた。でも、ラジオはこういうパーソナリティーでありたいというか、独りよがりのひとり芝居ができたりするので、『オレはここから出てきたよな』みたいな気持ちになります」。

 「有吉弘行のどん底時代を知る男」との異名もとる横山アナだが、先日有吉と話す機会があったという。「有吉に『最近どうよ?』って聞いたら『ゴールデンとか番組を持たしてもらっていて、全部ひとまとめみたいに見えるかもしれないですけど、自分の名前がついた番組を1個1個続けていく、改編を乗り越えるという(プレッシャーは)相当ですよ』と言っていました。『やっぱり、全国ネットのテレビのゴールデンっていうのは』というのを飲みながらしみじみとしていて、確かにそれは僕にはもしかしたら一生わからない感覚かもしれないなと感じました。その時にアルコ&ピースもいたのですが、有吉が『こいつらは、テレビとラジオがあった時に、結局ラジオに行きたがっちゃうんですよ。本当はテレビにも来なきゃいけないのを、こいつらはラジオスターになっちゃって』とからかっていました(笑)」。

 そこから、話は“ラジオ論”へと展開していった。「有吉から『どんな大物でも、テレビ見ていますよりもラジオ聞いていますと言われた方が喜ぶんですよ。横山さんもそうでしょ?』と言われて、確かにテレビは広く一般の方に向けてですけど、ラジオだと選んで聞いてもらっているような感じがあるので『そうだね』と返しました。そうしたら、有吉が『オレだって、いろいろテレビもやっていますけど、日曜のラジオ(有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER)を聞いていますと言われたら、オーって思いますもん。それを僕はほかの大物タレントとかに利用しています』と笑っていましたよ(笑)。テレビはみんなで作っていくし、カッコつけなきゃいけないんですけど、ラジオは全員が全裸になって『こんなんしかないけどさ』という潔さみたいなものがありますよね」。

 この日のインタビューは、爆笑問題がコンビ結成30周年を記念して行った単独ライブ『O2-T1』の昼公演前に実施。ラジオをきっかけに生まれた爆笑問題との縁も2年近くになった。「本当にありがたいです。この直前にもRSKラジオ『リンだとRiN太の土曜番長』に電話出演させていただいたのですが、それも太田さんに『横山、岡山に国司(憲一郎)っていう生意気なやつがいるから潰してこい』とオンエア上で言われたことがきっかけです(笑)。この2〜3年は全部が太田さんの放送上の無茶振りから派生したりしているので、こうやって多少なりとも、もがいて上に上がっていくと、見える世界が変わったりするんだなと。そこまで来たからこそのご褒美が、太田さんだったり、ほかの局の方との付き合いだったりするなと感じています。ちなみにきょう爆笑さんのライブを昼と夜に見た後には、これまた太田さんをきっかけに知り合った沖縄のよこちゃん(與古田忠)の『南国の夜』に電話出演します(笑)」。

 横山アナは謙そんするが、ひとつのきっかけを逃さずにフットワーク軽く動き回って、各地で関係を作っていくのは、その人徳がなせるもの。今回の取材が終わった後にも、爆笑問題のライブに向かう記者に「僕もこれから爆笑さんのライブに伺うのですが、一緒に行きませんか。歩きながら、追加でのインタビューできますし」と柔和な笑みを浮かべながら提案くれた。今回の小説には、そんな気遣いの人でもある“天才・横山雄二”がどうやって生まれたのかがギュッと詰まっている。「チェックなども含めると、もう50回くらい読み返しているんです。最初はちょっとほのぼのとしていて、後半泣けたりしてくれたらいいなという願望を持っていたのですが、今ではこれがいいものなのかどうか、客観的に判断できなくなっています」という横山アナに代わって、太田が本書の帯文で力強いエールを送っている。「今日も明日も広島は強い! ヨコヤマ! フルスイングで打ちに行け!」。



関連写真

  • 横山雄二アナ (C)ORICON NewS inc.
  • 横山雄二アナの自叙伝的小説『ふるさとは本日も晴天なり』

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