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鈴木亜美、20周年で振り返るあみ〜ゴ誕生のきっかけ ブレークも変わらず「チヤホヤされるのもイヤ」

 1990年代終盤、モーニング娘。やCHEMISTRYらも輩出した『ASAYAN』(テレビ東京系)のオーディションを勝ち抜き、小室哲哉のプロデュースでデビューした鈴木亜美。一躍“あみ〜ゴ”の相性で親しまれる超人気アイドルとなり、一時代を築いた。結婚を経て現在は一児の母。今年でデビュー20周年となるが、最近では“激辛女王”として新境地を開拓しバラエティーでも活躍している。前編では華やかな足跡の表と裏を振り返ってもらった。

デビューから20年を振り返った鈴木亜美 (C)ORICON NewS inc.

デビューから20年を振り返った鈴木亜美 (C)ORICON NewS inc.

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■オーディションのキッカケは友人「軽いノリでした(笑)」

 「最近、昔を振り返る番組の懐かしの映像に私が入っていて、『そんなに時間が過ぎたんだ!』と実感しました。自分では20周年はまったく意識してなくて、気がついたら、ここまで来ていた感じです」。

 現在36歳の鈴木亜美はそう語る。“夢のオーディションバラエティー”をうたっていた『ASAYAN』で、「ボーカリストオーディション・ファイナル」に参加したのは15歳の頃。以前から歌手に憧れはありつつも、神奈川の高校で陸上に打ち込んでいた。「学校で『ASAYAN』が大人気で“ファイナル”ということで友達に『私は受けに行くけど、亜美は行かないの?』って感じで引っ張られて、5〜6人で1次審査に行きました。受かるなんて思ってなくて、たくさんの人が歌っているなかで『一瞬でもテレビに映ったらいいな』くらいの軽いノリでした(笑)」。

 本人の予想に反してスタジオ審査まで残り、広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」を歌うと、そのズバ抜けたかわいさが多くの視聴者の目をくぎ付けに。最終的に電話投票で1位となってデビューが決まったが、結果発表の際、最後まで競った出場者が手を合わせて必死で祈っていたのに対し、鈴木はニコニコしながら成り行きを見守っていた。「ズルズル最後まで来て『なんで私が残っているんだ?』みたいな感じで(笑)、ずーっと客観的に見ていました。落ちたら向いてないということで、もう二度とやらないつもりでした」。

 プロデューサーが小室哲哉になると発表され、5ヶ月後の1998年7月には“鈴木あみ”として「love the island」でデビュー。オリコン週間ランキング5位のヒットとなった。年内に半年でシングル4枚と怒涛のリリースを続け、人気は爆発的に広がる。翌1999年3月発売の1stアルバム『SA』、7月発売のシングル「BE TOGETHER」は共に1位を獲得。1年前は普通の高校生だった彼女が一気にスターダムを駆け上がった。

 「自分のなかで状況についていけなくて、深く考えるのはやめました。とりあえずもらった歌詞を一生懸命覚える。でも内容を理解するところまで行かなくて、インタビューで曲について聞かれて『キーが高いです』とか、パッパラパーなことを言ってました(笑)」。

■ハードスケジュールも問題なし おごりも全くなく「調子に乗る暇もない」

 そんななかでも「普通の生活をしながら仕事をするのが親との約束」と、高校には毎日通い、早退もしなかった。その分、連日ハードスケジュールをこなすことに。「何回か倒れました。グアムに(政府観光局の)CM撮影に行ったあと、冬のニュージーランドにスノボのCM撮影に行って、気温がまったく違って体がビックリしたんでしょうね。帰ってきて、確か『alone in my room』の街頭ビジョンの撮影をしていたら、急に倒れてしまいました。たぶん頭を打って、目が覚めたら痛かったんですけど、『じゃあ、撮影再開。時間ないよ』と言われて(笑)。でも体は丈夫だったし、陸上部の練習のほうがキツかったので、全然大丈夫でした」。

 体力に加え、マイペースな性格もあって、自分を見失うことはなかったようだ。「最初は部活が仕事に変わった感じ。みんなのバイトと一緒、といったらアレですけど(笑)。まだ子どもで、それくらいの感覚でやっていて。1日やり切ったら、とにかく眠くて『明日も学校だし』ってすぐ寝てました。たまの休み、マネージャーさんに『行きたいところがあったら連れて行こうか?』と聞かれても『だったら仕事をしたいです』と言ってました。止まってしまうのが不安だったので」。

 当時の彼女を取材していて印象的だったのは、トップスターになっても態度がまったく変わらなかったこと。10代なら浮かれたりカン違いしても無理からぬところだが。「コンビニに行く暇もなくて自分が出ている雑誌も見なかったし、テレビやCMもそんなに観なくて、あまり(売れている)実感はありませんでした。仲良くない子たちに『なに調子に乗ってるの?』と言われても『調子に乗る暇もないし』みたいな(笑)。浮かれていると思われるのも、スタッフさんにチヤホヤされるのもイヤでした。自分は庶民。疲れて『甘いものが食べたい』と言うことはあっても、お高いのは苦手で、『まるごとバナナ』を食べられたら幸せでした(笑)」。

 本人のマイペースさとは裏腹に仕事は絶好調で、1999年と2000年には『紅白歌合戦』に連続出場を果たしている。「おばあちゃんが私のことを一番誇りに思ってくれたのは紅白でしたね。初出場のときは当日に熱が出て、注射を打って出ました。たぶん遠足前の子どもみたいに興奮したんです(笑)。NHKホールに着いて、『顔が赤い』と言われて熱を測ったら38度何分かあって。でも注射を打ったら、本番ではいい感じで力が抜けて歌えました」。

(取材・文/斉藤貴志)

 あす5日に配信される後編では休業していた期間に何をしていたかや、マルチに活躍している現在の心境、また母としての生き方などを語る。

関連写真

  • デビューから20年を振り返った鈴木亜美 (C)ORICON NewS inc.
  • デビュー当時に表紙を飾った『オリコン・ウィーク The Ichiban』を眺める鈴木亜美 (C)ORICON NewS inc.

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