今年2月に心不全のため亡くなった俳優・左とん平(本名:肥田木通弘=ひだき・みちひろ)さん(享年80)のお別れ会が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。祭壇には190インチの大画面が設置されるなど、左さんの「盛大に」という意向が最大限に反映されたお別れ会となった。
祭壇はトルコキキョウ2000本など白や青色を基調とした花6570本で飾られた。何色にでも染まれる白、どんな形にもなれる水のような青色を使用し、名バイプレーヤーとしての俳優「左とん平」をイメージしたという。
遺影代わりに置かれたのが190インチの大画面モニターで、最初に映されていたのは70歳のときに撮影されたもの。このサイズのモニターは青山葬儀所でも例がないという。事務所関係者は「『派手にやってくれ』と。本人の遺志。ここまで派手にやるのは青山葬儀所でもないと思う」と説明した。
冒頭では15分の映像も流された。『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『火曜サスペンス劇場』などをまとめたものだったが、なんとオープニングムービーでは左さんがトランプの絵柄に。ユーモアたっぷりに過去の騒動を笑いに変えた。最後はレッドカーペットに導かれるように劇場のドアを開ける映像が流れてブザーが鳴り響き、左さんの最後の舞台が“開演”した。事務所関係者は「名シーンだけじゃなくて趣向を凝らし、洒落っ気がある。ベースは派手に明るい作りにしました」と話していた。
「盛大に」がテーマになったのは左さんが2008年に出演したTBS系『大御所ジャパン』の番組内の企画でしたためた“遺書”がゆえんになっている。タイトルは『棺桶からのメッセージ』で、内容は「俺が死んだら葬式はとことん盛大にやってくれ」というもの。「祭壇は上げ底でもいいから、とにかく大きく。遺影はできるだけ二枚目のやつを。バックミュージックに(フランク・)シナトラの『ニューヨーク・ニューヨーク』をかけて。霊柩車はキャデラック。弔問客はエキストラを頼んで5000人くらい」と要望し「そしたら、笑って死んでいけるよ」としていた。
誰からも愛された左さんはお別れ会でも“笑顔”を振りまいた。
左さんは1970年代にドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー一族』などに出演し、お茶の間の人気者に。時代劇『銭形平次』『大岡越前』『鬼平犯科帳』などの名脇役としても活躍した。
祭壇はトルコキキョウ2000本など白や青色を基調とした花6570本で飾られた。何色にでも染まれる白、どんな形にもなれる水のような青色を使用し、名バイプレーヤーとしての俳優「左とん平」をイメージしたという。
遺影代わりに置かれたのが190インチの大画面モニターで、最初に映されていたのは70歳のときに撮影されたもの。このサイズのモニターは青山葬儀所でも例がないという。事務所関係者は「『派手にやってくれ』と。本人の遺志。ここまで派手にやるのは青山葬儀所でもないと思う」と説明した。
冒頭では15分の映像も流された。『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『火曜サスペンス劇場』などをまとめたものだったが、なんとオープニングムービーでは左さんがトランプの絵柄に。ユーモアたっぷりに過去の騒動を笑いに変えた。最後はレッドカーペットに導かれるように劇場のドアを開ける映像が流れてブザーが鳴り響き、左さんの最後の舞台が“開演”した。事務所関係者は「名シーンだけじゃなくて趣向を凝らし、洒落っ気がある。ベースは派手に明るい作りにしました」と話していた。
「盛大に」がテーマになったのは左さんが2008年に出演したTBS系『大御所ジャパン』の番組内の企画でしたためた“遺書”がゆえんになっている。タイトルは『棺桶からのメッセージ』で、内容は「俺が死んだら葬式はとことん盛大にやってくれ」というもの。「祭壇は上げ底でもいいから、とにかく大きく。遺影はできるだけ二枚目のやつを。バックミュージックに(フランク・)シナトラの『ニューヨーク・ニューヨーク』をかけて。霊柩車はキャデラック。弔問客はエキストラを頼んで5000人くらい」と要望し「そしたら、笑って死んでいけるよ」としていた。
誰からも愛された左さんはお別れ会でも“笑顔”を振りまいた。
左さんは1970年代にドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー一族』などに出演し、お茶の間の人気者に。時代劇『銭形平次』『大岡越前』『鬼平犯科帳』などの名脇役としても活躍した。
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2018/04/03