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「楽曲の良し悪しは関係ない」GLAY・TAKUROが自身の90年代ヒットの裏側を告白

 数々のヒット曲を生み出し、今も精力的な活動を続けるGLAY。その陰には、バンドのプレイヤーかつコンポーザーであり、プロデューサー的視点を持つTAKUROの尽力があった。そんなTAKUROだから語れる、90年代ヒットの裏側とバンドの哲学とは?

◆極論を言えば、歌なんて全部ラブソングじゃないか

――ニューシングル「WINTERDELICS.EP〜あなたといきてゆく〜」が発売。TAKUROさん作の王道ラブバラードは久しぶりです。
【TAKURO】極論を言えば、歌なんて全部ラブソングじゃないかと思ったりしますけどね。だって、怒っていても、泣いていても、激しい感情が生まれる根っこには必ず愛があるはずだから。とにかくここ10年、GLAYの中で俺がすべきことは、HISASHIの持つサブカル的な要素やニッチな部分を、GLAYの武器としてきっちり正しいタイミングで、正しい場所に届けることだったんです。あとはHISASHI に限らず、メンバーの才能をもっともっと伸ばす時期だと思った。だけど、このままイメージをリードするのがHISASHIになってしまったら、さすがに往年のファンが不安になるんじゃないかと(笑)。それで一回、TAKUROに戻そうと、15年前に原型が作られたまま眠っていた曲を久しぶりに起こしてみました。

――15年前に、今の曲に近いものがあった?
【TAKURO】冒頭のフレーズは90年代末にはもうあって、コンセプトもほとんど変わっていないです。もちろん、こういうのは得意だから、放っておいてもできてしまう部分もあるけど(笑)、15年以上寝かせてからのほうが、説得力を持って演奏できるようになったんじゃないかと思う。ただ、いわゆるGLAYの王道曲としてリリースするタイミングは、2016年ではなかったんです。

◆グループが成長を続けるとき、ヒット曲なんてものは邪魔でしかない

――それはどういう意味ですか?
【TAKURO】ヒット曲が生まれるときって、実は楽曲の良し悪しというのはほとんど関係ないと思っているんです。あくまでも、スタッフのみんなとの共同作業であり、時流に乗せる正しい“タイミング”が重要。曲そのものや、バンドのパフォーマンスがいいからヒットするとは限らない。むしろ逆のことだって多いかもしれない(笑)。だから俺が、GLAYのリーダーとしてやるべきことは、自分たちがピュアな思いで作った曲を、正しい時期に、正しい場所に届けることだった。乱暴な言い方をすれば、グループが成長を続けるとき、ヒット曲なんてものは邪魔でしかないんですよ。90年代の「HOWEVER」とか「Winter,again」みたいに、「GLAYといえばアレでしょ」と決めつけられることほど、バンドの成長を妨げることはない。そのことに気づかせてくれたのは、JIROでした。

――JIROさんは何と?
【TAKURO】ヒット曲に頼るライブを作り続けていくと、飽きられたら終わりになる。「ヒット曲なんてやらなくても、GLAYにはたくさんいい曲があって、いい作家がいるんだから、それを打ち出していったほうがいい」って。「バンドとしては健康なんだから、過去の楽曲にもチャンスを与え、ヒット曲と同様に盛り上がれるような育て方をするべきだ」と。彼の意見によって、気付かされたことはたくさんあります。だから俺自身もここ10年は、90年代のヒット曲のイメージ以外の、作家としての可能性を探していました。

◆「BELOVED」が受け入れられたことで、憧れに頼ることがなくなった

――プロデューサー的視点でいるときに心がけていることは?
【TAKURO】GLAYには、いい球を投げられるピッチャーが4人いるんです。でも、ピッチャーがいたらキャッチャーがいなきゃいけない。俺が心がけていることは、人に合った仕事を作り出すこと、キャッチャーを作ることなんです。人の才能って面白くて、ある時期まではマイノリティに見えても、いつマジョリティになるかわからない。だから、俺はHISASHIに「もっとポップな曲を書いたら?」とは言ったことはないです。どう売るかは俺ら側の問題。

――音楽とGLAYへの愛だけで、そこまでできるものなのでしょうか。
【TAKURO】結局のところ、ワイワイした雰囲気で楽しくGLAYを続けたいだけで、そのためなら何でもしようと思っているんです。バンドとして楽しくあり続けること、純度を保つことが、俺の至上命題で企業目標(笑)。

――そう思うようになったのはいつからですか。
【TAKURO】ちょうど20年前ぐらいじゃないかな。それ以前は、認められたい、売れたいと、心に不純物が混ざっていた。転機になったのが、96年の「BELOVED」。メジャーになって初めてフォーキーな曲を出したんだけど、それこそが等身大の俺だったんです。それまでは、ロックへ憧れてカッコつけているところがあった。でも、「BELOVED」が多くの人に受け入れられたことで、もう憧れに頼って曲を書くことがなくなりました。結局、青年期に内包するものすごい熱量を、死ぬまで持ち続けられるかどうか。それがロックバンドの命綱なんだと思うな。ヒット性、親和性のある曲を出す作業はその時々のプロがやるんだけど、お客さんがロックに求めるのは、実はそこじゃない。

――なるほど。
【TAKURO】GLAYにとって初めて、宝飾店の大型のタイアップがついた「Yes ,Summerdays」という曲があるんです。ヒット性の強いキャッチーな曲になったけど、作り方はすごく戦略的だったから、いざ演奏するときになって「こういう曲なんだ」という熱をメンバーに伝えられずに、黙って弾いてもらった。結果、その曲は売れたんだけど、ライブでやろうという話にあまりならないんです(苦笑)。その一件で俺も傷ついたし、メンバーも傷つけた。やっぱり、音楽を作るときは神聖な気持ちでいないとダメなんです。そしてバンドは、お互いをミュージシャンとしてリスペクトできなければ、20年後も30年後も続けられない。本当に、音楽って面白いですよ。1曲の歌が、時代によって花咲く時もあれば、何かの弾みで枯れたり散ったり、何年後かにまた咲いたり。生まれた曲を届ける、正しい時間は今じゃないかもしれない。だから、曲作りもバンドも休まず続けていかなきゃいけない。昔の曲も新しい曲も、どっちも育てていかないとダメなんだと思います。
(文:菊地陽子)



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