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【連載 1】SMAP解散がもたらした喪失感 終わらないことは“残酷”なのか?

 国民的アイドルであるSMAPの解散騒動が発端となり、日本を騒がせた2016年1月。そして8月14日、彼らはついに解散を発表した。多くのメディアがこぞってその内幕を掘り下げ、ファンばかりか一般の人々誰もがその進退に気をもむ日々が続いている。SMAPに何が起こったのか、その真相はわからない。だが、彼らが日本にもたらしたものが途方もないことは確かだ。ここでは、連続企画として改めてSMAPという存在に迫りたい。初期からSMAPを愛し、彼らを数多く取材してきたライターが見た、SMAPとは――?

SMAPは8月14日未明、年内をもって解散することを発表した

SMAPは8月14日未明、年内をもって解散することを発表した

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◆待ちわびた25周年ライブの年は、解散騒動と共に幕を開けた

夏になると、SMAPのライブに行きたくなる。

 1991年9月9日にデビューしたSMAP。彼らのライブツアーといえば、ほとんどが夏だった。木村拓哉が結婚を発表した2000年のライブは秋から冬にかけてで、香取慎吾がNHK大河ドラマ『新撰組!』で1年間主役を務めた2004年はツアーを行わなかった。2年連続で国立競技場でのライブを行った翌年の2007年もツアーはなく、2008年以降は、“2年に1度”のペースが定着した。だとすれば、今年はツアーの年だった。しかも、デビュー25周年を迎える、記念すべき夏になるはずだった。

 SMAPファン、通称“スマヲタ”は、ツアーのない年は“来年こそ、SMAPに会える!”と思って、次の夏を待ちわびる。2015年の夏、全国の、全世界のSMAPファンたちは、“来年はどんな夏になるんだろう?”と、期待に胸を膨らませていたに違いない。

 でも年が明けて、その期待は、積み上げてきたワクワクは、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。突然の解散騒動。“解散騒動”という表現を使うことさえもためらわれてしまうような、伝聞と憶測ばかりが入り乱れたニュースが飛び交った。どうしてこんなことに? SMAPに、ジャニーズ事務所に何が起こったのか、真実は不透明なまま、5人の謝罪会見が放送された。SMAPファンはもちろん、一般視聴者でさえ、それまで一度も目にしたことのなかった“チーム感”の一切感じられないSMAPがそこにいた。胸がつぶれる思いがした。

 それでも、メンバーの脱退や不祥事など、いくつものトラブルを乗り越えてきた彼らのことである。ステージに5人が揃えば、あのご来光のような輝きで、私たちの心を照らしてくれるはず。ついこの間まで、そう信じていた。夏だし、SMAPだし。彼らは絶対やってくれる、と。

◆“解散”の喪失感、それはSMAPがいかに大きな存在だったかを物語る

 SMAPのステージを待ちわびている間ずっと、なぜ自分がこんなにも彼らのステージを切望しているのかを考えていた。去来するのは、彼らの存在に救われた思い出ばかり。大失恋した時、仕事で行き詰まった時、孤独に押しつぶされそうになった時、無力感に襲われた時、いつも彼らの歌が、笑顔が、ふっとそれらの苦しみや痛みから解放してくれた。身近な人が去っていったり、自分から別れを告げたり、元いた場所を離れて旅立ったり。現実の生活の中で、人との関係に“絶対”はない。家族であっても仲たがいすることはあるし、恋愛には常に別れがつきまとい、友情だって案外脆い。でも、こちら側の日常に、どんな絶望感が襲い掛かった時でも、SMAPはいつでも5人ないしは6人の“チーム”で、笑いや、夢や、希望や、勇気をくれた。SMAPがSMAPである限り、絶対にそこにいてくれた。言ってみれば、彼らは救世主であり、天使にも似た存在だった。だから、永遠に成長を続け、永遠にそばにいてくれる。そう信じていた。8月14日までは。

 解散が発表されてからの“喪失感”は、途方もないものだった。つらいとき、悲しいとき、寂しいときにそっと手を差し伸べてくれる救世主がいなくなる。心の中である一角を占めていた絶対的な存在が。

◆5人それぞれの魅力、彼らが揃ったステージをもう見ることはできない

 ライブの時に見せる、中居正広の愛くるしさ。SMAPへの愛情を惜しげもなく溢れさせ、シャカリキに踊って、誠実に歌う。メンバー&グループ紹介ソングである「FIVE RESPECT」や「CRAZY FIVE」(個人的には「Five True Love」が一番好き)を自作した、あの愛の才能。

 そして、木村拓哉の圧倒的なオーラ。私は、SMAPのライブで初めて、人間のオーラをこの目で見た気がした。それはライブ後半になればなるほど輝きを増し、天使にしてスーパースターという、なんとも罪深い存在として、全女子の心を弄んだ、あのド迫力。

 それから、稲垣吾郎という存在の面白さ。可愛くて、妖しくて、でも安定感もあって、視野が広い。飛び切りカッコイイのに自虐もできて、いろんな局面にスイスイと対応していく。つい“ゴローちゃん”と呼びたくなる親しみやすさまであって、ある意味、メンバーで一番完全無欠。

 さらに、草なぎ剛の優しさと一途さ。歌にもダンスにもパフォーマンスにも、恐るべき全力感が漲り、その集中度は、崇めたくなってしまうほどだ。人間が、いろんな可能性に満ち溢れていることを、ステージのたびに感じさせてくれる。42歳にしてあの“嘘のなさ”は、日本芸能界の至宝とまで思う。

 トドメは、香取慎吾の“オリジナルスマイル”。あれこそ、天使そのものだ。ステージの時の彼の笑顔が放つエネルギーは、どんなに深い空洞にも届くし、どんなに凍りついた人の心も溶かす。どんな闇さえも照らす。ステージの上で、あんなに幸福感を放出できる存在を、私は他に知らない。

そんな5人のステージに、私たちはもう会えない。

◆中居が語った「“終わらないこと”が目標。残酷だなと思います」

 ただ、解散は、5人が決めたこと。実際のところ、彼らに何があったのかとか、解散を決めた理由はなんだったのかとか、そんなことは、もう邪推しても仕方がないと思う。真実は、この騒動に関わった人の数だけある。だとすれば、SMAPファンは、“自分たちの真実”を、胸に刻みつければいいだけだ。

私の解釈は、こうだ。

 インタビューで、よく中居正広は、「マンネリと進化が大事」と話していた。私が彼のインタビュー担当になってからも、確かに年に1〜2本は、何か進化を感じさせることに、SMAPとしてチャレンジしていた。攻め続けてこそSMAP。何が引き金になったかはともかくとして、グループ内のゴタゴタが露呈してしまった状態で、ファンは、「とにかく25周年ライブを!」と切望していた。でも、考えてみれば、25周年ライブを過去のヒット曲だけで構成して、ひとつの区切りをつけたとして、ファンは満足しただろうか? 「とにかくライブだけでも」では、「マンネリでいいから」と言っているようなものだ。でも、進化がなければ、SMAPではないのである。

 『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の最終回、中居は、「ドラマは最終回、映画はクランクアップに向けて進む。“終わり”がわかっている。でもバラエティは“終わらないこと”が目標。残酷だなと思います」と話していた。

 SMAP以前のアイドルグループもまた、“終わり”は目標でこそないにせよ、いつか終わりが来ることは、それぞれのメンバーの念頭にはあったはずだ。それが、SMAPの出現によって、“アイドルは終わらない”ことが普通になってしまった。でもそれは、中居が言う通り「残酷なこと」だったのかもしれない。

そうしてSMAPと私たちの最後の夏が、逝く。

【連載第2回 SMAPを国民的アイドルに押し上げた「世界に一つだけの花」に続く】

(文/菊地陽子)

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