お笑いタレント・松村邦洋の冠ラジオ番組『松村邦洋のOH-!邦自慢』(KRYラジオほか 毎週土曜 後3:00〜)が、27日の放送で100回目を迎える。ORICON STYLEではこのほど、松村と100回目のスペシャルゲスト・松本明子の通称「松松コンビ」にインタビューを行い、30年近くにわたる親交、2人が出演していた『電波少年』シリーズの裏話、テレビ界の現状などに迫った。
■上京後の恩人は高田文夫 松松コンビ30年の絆
松村がデビューしたての頃からの付き合いだという、松本は「お互いに山口と香川から東京に出てきて、こんなに長く一緒に居られるのは松ちゃんだけです。だから、恩人というか戦友というか、大変だったロケをしていた時代を一緒に過ごして乗り越えてきたので、姉弟のような感じでもあるし…本当に不思議な感覚ですね」としみじみ。一方、松村はモノマネを交えながら、松本が2006年放送の大河ドラマ『功名が辻』に出演した際の“とあるエピソード”を披露した。
「その時にアッコさん(松本)が、西田敏行さんと共演したんですけど、僕も『探偵!ナイトスクープ』で西田さんとご一緒していて、とにかく僕にそのことを伝えたかったんでしょうね。西田さんが、わざわざ僕のところに来て『松ちゃん、大河だけどさ…松本明子ちゃんと一緒だったんだよ。アッコちゃんの芝居が良いんだよ、不思議な芝居するんだよー』ってうれしそうに話してくれましたね。不思議な芝居って、どんな芝居なのかなと思いましたけど」。2人の関係性は、大物俳優にも知られるほど公然のものとなっている。
松村の東京進出のきっかけを作った恩人は片岡鶴太郎だが、上京後にもさまざまな出会いに恵まれた。「僕にとっての吉田松陰は、高田文夫先生ですね。きっかけは、アッコさんも出ている『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で、そこから『電波少年』へとつながっていきますので…。そういう流れでも、アッコさんっていうのは一番大きくて、本当に水をいただいたようなものですね。アッコさんが『松村くんが面白いんですよ!』って言って、いろんなところに呼んでくれましたし…。水道橋博士とかとは、そういった話をよくしていますね」。東の芸能史の生き字引にして「バウバウ」の合いの手でおなじみの高田文夫との出会いで、芸の幅を広げていった。
■今のテレビは“平安時代” 『電波少年』復活に前向き?
そんな2人を語る上で外せないのが、1992年から2003年まで日本テレビ系列で放送された『電波少年』シリーズ。アポなしロケ、ヒッチハイク旅、懸賞生活など数々の過激な企画を放送し、その内容が物議を醸すことも度々だった。仕事場から急にアイマスクをされ、体当たりロケの撮影のために空港へと“連行”されていた松村は、未だにそのトラウマが残っているのだとなぜか笑顔で明かす。「あの当時、ADの人を怒ると、僕への怒りが弱くなるということで、現場にはADを連れて行かなかったんですよ。それくらい厳しかったから、成田空港とかに行くと今でも腹が痛くなりますもんね。海外に出ると、何か胃がキリキリするんですよね…」。ギリギリの状態にまで追い込まれながら、数々の笑いを生み出していった。
そんな松村の“調教師”役を担っていたのが、〆谷浩斗ディレクター(当時)。松本が「根はいい人なんでしょうけど、陰で罵声を浴びせて、松ちゃんのあの本当に追い込まれた、苦しい、ツラい表情を引き出させて、人気者にさせたという、スーパー演出家ですよ」と絶賛するも、松村は「でも、本当に怖い人でしたよ。僕は、それでロケが終わるならということで、〆谷さんの娘さんを誘拐しようかと思っていたくらいでしたから。もちろん、誘拐しちゃいけないなんて百も承知で、実行するつもりも当然なかったですけど、そう言いたくなるくらい、本当に追い詰められていましたね。だから、〆谷さんと今一緒に飲みに行く時は、いつも不思議な気持ちになりますよ」とかみしめるように話した。
同シリーズの成功の要因については、意見が一致した。「やっぱり、スタッフとタレントの間に一定の緊張感がありました。一緒に飲みに行くと、情が入って追い詰められなくなるという理由で、飲みに行くこともほとんどありませんでした。あとは、我々が『まぁ、いっか』っていう気持ちで、ツラい企画も疑うことなくやっていたってことも大きいかもしれないですね」。今でも数々の調査で「もう一度観たい番組」の上位にランクインする同番組だが、コンプライアンスに厳しいとされる今のテレビ界でも実現できたかと質問してみると、松村が歴史好きならではの視点から分析した。
「あの時代が戦国時代だとしたら、今は安定した平安時代かもしれませんね。時代がそうなのかもしれませんけど、戦国時代でもアウトなことをやっていたんじゃないかな。ましてや、こういう時代だったら、難しかったかもしれません。あと、今の僕だったら50歳を前にして『今からロケだ』って言われても、できないですよ。それを考えたら、出川(哲朗)さんが『イッテQ』で、今でもロケをやっているってスゴいですよね」。SNSの発達によりさまざまな声が“可視化”され、一定の力を持つようになった現代において「攻めの姿勢」を貫くことは、非常に難しくなっているのかもしれない。
テレビの規制がまだ緩かった時代に、数々のクレイジーな企画をこなしてきた2人は“強固な絆”で結ばれている。そんな、松松コンビには“壮大な夢”があるのだと松本が教えてくれた。「やっぱり、松ちゃんは人生最大の恩人であり、戦友ですね。きょうのラジオで、改めて痛感しました。松ちゃんとは、お互いがおじいちゃん・おばあちゃんになっても一生一緒にいると思います。その時は『電波老人』という番組をやりたいです!」。多くの視聴者を釘付けにした、伝説の番組復活も期待できそうだ。
■KRYラジオ『松村邦洋のOH-!邦自慢』100回記念スペシャル
日時:8月27日 15:00〜15:30
出演者:松村邦洋、松本明子
※RNB南海放送、mrt宮崎放送、RNC西日本放送、FBC福井放送、IBS茨城放送、GBS岐阜放送、SBS静岡放送、KNB北日本放送、MRO北陸放送、CRKラジオ関西でも放送。各地域の放送時間は、公式サイト(http://kry.co.jp/radio/kuni/)に掲載。
■上京後の恩人は高田文夫 松松コンビ30年の絆
松村がデビューしたての頃からの付き合いだという、松本は「お互いに山口と香川から東京に出てきて、こんなに長く一緒に居られるのは松ちゃんだけです。だから、恩人というか戦友というか、大変だったロケをしていた時代を一緒に過ごして乗り越えてきたので、姉弟のような感じでもあるし…本当に不思議な感覚ですね」としみじみ。一方、松村はモノマネを交えながら、松本が2006年放送の大河ドラマ『功名が辻』に出演した際の“とあるエピソード”を披露した。
「その時にアッコさん(松本)が、西田敏行さんと共演したんですけど、僕も『探偵!ナイトスクープ』で西田さんとご一緒していて、とにかく僕にそのことを伝えたかったんでしょうね。西田さんが、わざわざ僕のところに来て『松ちゃん、大河だけどさ…松本明子ちゃんと一緒だったんだよ。アッコちゃんの芝居が良いんだよ、不思議な芝居するんだよー』ってうれしそうに話してくれましたね。不思議な芝居って、どんな芝居なのかなと思いましたけど」。2人の関係性は、大物俳優にも知られるほど公然のものとなっている。
松村の東京進出のきっかけを作った恩人は片岡鶴太郎だが、上京後にもさまざまな出会いに恵まれた。「僕にとっての吉田松陰は、高田文夫先生ですね。きっかけは、アッコさんも出ている『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』で、そこから『電波少年』へとつながっていきますので…。そういう流れでも、アッコさんっていうのは一番大きくて、本当に水をいただいたようなものですね。アッコさんが『松村くんが面白いんですよ!』って言って、いろんなところに呼んでくれましたし…。水道橋博士とかとは、そういった話をよくしていますね」。東の芸能史の生き字引にして「バウバウ」の合いの手でおなじみの高田文夫との出会いで、芸の幅を広げていった。
■今のテレビは“平安時代” 『電波少年』復活に前向き?
そんな2人を語る上で外せないのが、1992年から2003年まで日本テレビ系列で放送された『電波少年』シリーズ。アポなしロケ、ヒッチハイク旅、懸賞生活など数々の過激な企画を放送し、その内容が物議を醸すことも度々だった。仕事場から急にアイマスクをされ、体当たりロケの撮影のために空港へと“連行”されていた松村は、未だにそのトラウマが残っているのだとなぜか笑顔で明かす。「あの当時、ADの人を怒ると、僕への怒りが弱くなるということで、現場にはADを連れて行かなかったんですよ。それくらい厳しかったから、成田空港とかに行くと今でも腹が痛くなりますもんね。海外に出ると、何か胃がキリキリするんですよね…」。ギリギリの状態にまで追い込まれながら、数々の笑いを生み出していった。
そんな松村の“調教師”役を担っていたのが、〆谷浩斗ディレクター(当時)。松本が「根はいい人なんでしょうけど、陰で罵声を浴びせて、松ちゃんのあの本当に追い込まれた、苦しい、ツラい表情を引き出させて、人気者にさせたという、スーパー演出家ですよ」と絶賛するも、松村は「でも、本当に怖い人でしたよ。僕は、それでロケが終わるならということで、〆谷さんの娘さんを誘拐しようかと思っていたくらいでしたから。もちろん、誘拐しちゃいけないなんて百も承知で、実行するつもりも当然なかったですけど、そう言いたくなるくらい、本当に追い詰められていましたね。だから、〆谷さんと今一緒に飲みに行く時は、いつも不思議な気持ちになりますよ」とかみしめるように話した。
同シリーズの成功の要因については、意見が一致した。「やっぱり、スタッフとタレントの間に一定の緊張感がありました。一緒に飲みに行くと、情が入って追い詰められなくなるという理由で、飲みに行くこともほとんどありませんでした。あとは、我々が『まぁ、いっか』っていう気持ちで、ツラい企画も疑うことなくやっていたってことも大きいかもしれないですね」。今でも数々の調査で「もう一度観たい番組」の上位にランクインする同番組だが、コンプライアンスに厳しいとされる今のテレビ界でも実現できたかと質問してみると、松村が歴史好きならではの視点から分析した。
「あの時代が戦国時代だとしたら、今は安定した平安時代かもしれませんね。時代がそうなのかもしれませんけど、戦国時代でもアウトなことをやっていたんじゃないかな。ましてや、こういう時代だったら、難しかったかもしれません。あと、今の僕だったら50歳を前にして『今からロケだ』って言われても、できないですよ。それを考えたら、出川(哲朗)さんが『イッテQ』で、今でもロケをやっているってスゴいですよね」。SNSの発達によりさまざまな声が“可視化”され、一定の力を持つようになった現代において「攻めの姿勢」を貫くことは、非常に難しくなっているのかもしれない。
テレビの規制がまだ緩かった時代に、数々のクレイジーな企画をこなしてきた2人は“強固な絆”で結ばれている。そんな、松松コンビには“壮大な夢”があるのだと松本が教えてくれた。「やっぱり、松ちゃんは人生最大の恩人であり、戦友ですね。きょうのラジオで、改めて痛感しました。松ちゃんとは、お互いがおじいちゃん・おばあちゃんになっても一生一緒にいると思います。その時は『電波老人』という番組をやりたいです!」。多くの視聴者を釘付けにした、伝説の番組復活も期待できそうだ。
■KRYラジオ『松村邦洋のOH-!邦自慢』100回記念スペシャル
日時:8月27日 15:00〜15:30
出演者:松村邦洋、松本明子
※RNB南海放送、mrt宮崎放送、RNC西日本放送、FBC福井放送、IBS茨城放送、GBS岐阜放送、SBS静岡放送、KNB北日本放送、MRO北陸放送、CRKラジオ関西でも放送。各地域の放送時間は、公式サイト(http://kry.co.jp/radio/kuni/)に掲載。

2016/08/20