先月24日に胆管がんのため亡くなった女優・川島なお美さん(享年54)の告別式が10月2日、東京・青山葬儀所で営まれた。この日は別所哲也、松本明子、キャイ〜ンのウド鈴木、秋野暢子ら多くの著名人をはじめ、1500人が参列。作家・林真理子氏と倍賞千恵子が弔辞を務め、川島さんと最期の別れを惜しんだ。
◇以下、取材に応じた著名人の主なコメント
■別所哲也
本当に彼女は女優としての活動以外にも社会貢献も精力的に動かれて前向きな姿があった。ちゃきちゃきしたリーダーシップに励まされた。舞台降板されましたが自分のこと以上に仲間のことを思いやっていたもの事実。最後に会ったのは銀座の劇場、ご自身が出演しているのではなく無名の後輩の舞台。無名・有名関係なく足を運んでいた。その時はすごくお元気でした。年を重ねるごとに素敵な女優さんでした。
■西川史子
私もこれからの人生、なお美さんのように精一杯生きます。その指針を作ってくれた。婚約発表の前日に餃子(を食べる)ロケで「ニンニク臭くなっちゃうけど大丈夫?」と聞いたけど、元気にパクパクと食べていました。(遺影も)きれいでしたね。本当に色んなことを教わった。(夫を)たてる、褒める。女にはそれが大事なのよと。本当にありがとうございました。
■松本明子
ロケでお店にお伺いしたとき鎧塚さんに「なお美さんお元気ですか? 昔からお世話になっているんです」と話すと悲しそうな笑顔をされていたことが気になっていた。どうしてこんなに前向きなんだろう、真摯(しんし)にいつも最後の最後まで力を振りしぼって舞台に立たれて一生懸命だった。本当に安らかにゆっくり休んでください。
■さかもと未明
(撮影した写真が遺影となったことに)鎧塚さんから連絡を受けまして、女優・川島なお美の最後の女優の花道である写真を撮らせていただいたことは光栄。心を込めて一番、きれいに撮りました。私が膠原病(こうげんびょう)を患ったとき、芸能界で一番優しくしてくださったのが川島なお美さん。その方に先に逝かれてしまい悔やまれてなりません。写真を撮ったときも愛情や夢にあふれていて病気だなんて微塵も感じませんでした。大変、強い目に魅了され、生きる意欲、表現への純粋な欲望、女優そのものをファインダーごしに感じました。記者会見の時、激ヤセと報じられ心配になって「もう一度写真を撮りたい」と連絡をしたら「私も撮りたい。でも疲れちゃったから年明けに撮ろう」と返ってきた。最後まで彼女は女優として生きたと思います。ありがとう、本当に。
◇以下、取材に応じた著名人の主なコメント
■別所哲也
本当に彼女は女優としての活動以外にも社会貢献も精力的に動かれて前向きな姿があった。ちゃきちゃきしたリーダーシップに励まされた。舞台降板されましたが自分のこと以上に仲間のことを思いやっていたもの事実。最後に会ったのは銀座の劇場、ご自身が出演しているのではなく無名の後輩の舞台。無名・有名関係なく足を運んでいた。その時はすごくお元気でした。年を重ねるごとに素敵な女優さんでした。
私もこれからの人生、なお美さんのように精一杯生きます。その指針を作ってくれた。婚約発表の前日に餃子(を食べる)ロケで「ニンニク臭くなっちゃうけど大丈夫?」と聞いたけど、元気にパクパクと食べていました。(遺影も)きれいでしたね。本当に色んなことを教わった。(夫を)たてる、褒める。女にはそれが大事なのよと。本当にありがとうございました。
■松本明子
ロケでお店にお伺いしたとき鎧塚さんに「なお美さんお元気ですか? 昔からお世話になっているんです」と話すと悲しそうな笑顔をされていたことが気になっていた。どうしてこんなに前向きなんだろう、真摯(しんし)にいつも最後の最後まで力を振りしぼって舞台に立たれて一生懸命だった。本当に安らかにゆっくり休んでください。
■さかもと未明
(撮影した写真が遺影となったことに)鎧塚さんから連絡を受けまして、女優・川島なお美の最後の女優の花道である写真を撮らせていただいたことは光栄。心を込めて一番、きれいに撮りました。私が膠原病(こうげんびょう)を患ったとき、芸能界で一番優しくしてくださったのが川島なお美さん。その方に先に逝かれてしまい悔やまれてなりません。写真を撮ったときも愛情や夢にあふれていて病気だなんて微塵も感じませんでした。大変、強い目に魅了され、生きる意欲、表現への純粋な欲望、女優そのものをファインダーごしに感じました。記者会見の時、激ヤセと報じられ心配になって「もう一度写真を撮りたい」と連絡をしたら「私も撮りたい。でも疲れちゃったから年明けに撮ろう」と返ってきた。最後まで彼女は女優として生きたと思います。ありがとう、本当に。
2015/10/02