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デビュー20周年のゴスペラーズ、解散しない秘訣とは

 昨年デビュー20周年を迎えたゴスペラーズが、21年目を全都道府県ツアーでスタートさせ、精力的に活動するなか、シングル「Dream Girl」を発売。ボーカルグループとして一時代を築き、同シーンを牽引し、20年間走り続けてきたゴスペラーズのリーダー・村上てつやと安岡優が、これまでの活動を振り返り語った。

ゴスペラーズ(左から)酒井雄二、北山陽一、黒沢 薫、安岡 優、村上てつや

ゴスペラーズ(左から)酒井雄二、北山陽一、黒沢 薫、安岡 優、村上てつや

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◆歌う場所のない歌手ほど、寂しいものはない

――約20年前のデビュー当時は、世の中的に小室ファミリー、バンドものが隆盛を極めていた。当時は、アウェイ的な感覚はありましたか?
【村上】 いえ、まったく逆です。自分にも自信がありましたし、普遍的な音楽性で他に誰もやっていないという部分では、こんなにも“オイシイ”ポジションは他にないだろうと思っていました。

――でも実際のところ「永遠に」というヒット曲が生まれるまでは、5年かかったわけで、焦りみたいなものはなかったんですか?
【安岡】 確かに、僕らがやっているスタイルがなぜヒットに繋がらないんだろう? といつも思っていました。と言うのも、大先輩にはシャネルズやラッツ&スター、チェッカーズなどが成功していたし。洋楽のボーイズIIメンが日本でも売れていたから、同じスタイルなのにどうして? と不思議でしょうがなかったです。
【村上】 でもコンサートは、決して悪い状況だったわけじゃないんですよ。実際に「永遠に」を収録したアルバム『Soul Serenade』を出したときは、すでに全国20ヶ所くらいのホールツアーを行っていました。もちろん、平井堅くんなど、同期のヒットを見て何も思わなかったわけではないです。でも、じゃあ辞めようとかそういう発想にはならなかった。ヒット曲が出るか出ないかは、ほとんどは運でしかないと思っていたし、何かに嫌気がさしたり焦ったりするのは、それを披露する場がないときなんですね。でも僕らの場合は、歌える場所が常にあった。歌う場所のない歌手ほど、寂しいものはないですからね。

◆ゴスペラーズの5人は、笑って許し合える関係

――そういう時代を経て、「永遠に」や「ひとり」などヒット曲が生まれたときは、どういう気持ちでしたか?
【安岡】 見える景色は変わったけど、僕らが進んでいる道はあくまでもライブだったし、そのためには5人であることが絶対条件だった。だから、ヒット曲が生まれて浮ついたとしても、クオリティを下げない程度にしか浮つけないと言うか。ノドと体調を大切にした上での浮つきなんて言うのは、この業界では浮ついたとは言わないんです(笑)。
【村上】 僕らも単純に武道館を目指していたところがあったわけで、ヒット曲が出てもまだ武道館をやっていなかったし。それは数ヶ月して実現したんだけど、そこからはまた別の戦いが始まっていました。舞い上がったり浮ついたりしている暇はなかったです。

――「ひとり」や「星屑の街」というヒットが生まれた2001〜2002年には、テレビ番組で『ハモネプ』(フジテレビ系)が人気を集め、新しいボーカルグループがたくさん出ましたよね。
【安岡】 あのときは、単純に嬉しかったです。ただ、続かない大変さは僕ら自身が一番よくわかっているので、もうちょっと頑張ればいいのになって、忸怩たる想いで見ていました。ただ、最近出会うアカペラをやっている10代のグループは、『ハモネプ』を観て小学生からアカペラをやっていたという子もいて。
【村上】 『ハモネプ』は、裾野を広げてくれましたよね。手に取れるものにするという意味では、テレビの力はやはり絶大です。

――では最後に、20年メンバーチェンジせずに続けてこられた秘訣は?
【村上】 秘訣なんてなくて。かっこよく言うと、そこにお客さんがいたからかな。
【安岡】 あと、どんなにメンバーの陰口を言っても、本人がいないところでなら許されることとか(笑)。そういうことでも笑って許し合える関係なんです。笑って許し合えるということは、他人を受け入れることの力にもつながるわけで。僕らは、5人でいることで、笑って許し合えるエネルギーを生んでいるんだと思います。

(文:榑林史章)

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  • ゴスペラーズのシングル「Dream Girl」
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