お笑いコンビ・ナイツが19日、東京・下北沢の北沢タウンホールで行われたお笑いフェス『下北沢大興行』内のライブ『芸人遺産』に出演。2007年に史上最年少で漫才協会の理事にも就任するなど、浅草での活躍が目立つナイツだが、加入当初は「漫才協会が嫌で嫌で」「地獄だと思った」と当時の心境と苦悩を振り返った。
2003年に漫才協団(現・漫才協会)の漫才新人大賞を受賞。加入は所属事務所の社長(当時)の意向で進められたといい、土屋伸之は「浅草は知らない人ばかりだし、地獄だと思った」と回顧。高齢者の多い寄席と、若手芸人が出演するライブでは客層が異なることから、舞台に合わせて漫才のテンポを変えるうちに「漫才がわからなくなっちゃった」と当時の心境を振り返った。
当時は塙宣之の兄・はなわがブレイクしていた時期でもあり、塙は「先輩から兄を使えとアドバイスされてますます迷った」と苦悩するが、散々悩んだのちに「逆に、浅草はナイツだねって言われるくらい、とことん浅草に染まろうって思った」と話す。
その後は多いときで年600本の舞台に出演するなど場数を踏み、2011年には『THE MANZAI』で準優勝。順風満帆かと思いきや、2012年から賞レースに参加をしなくなったことから時間縛りのない漫才作りを行うようになり、塙は「わけわかんない漫才ばっかりになっちゃって、どうやって作ればいいかわからない」と再び苦悩の時期を迎えていると苦笑。ライブでは2014年に作ったという漫才を披露したが会場の反応は薄く、共演した芸人たちからは「事故現場」「楽しそうじゃない」など心配する声が上がっていた。
MCは東京03の角田晃広が務め、そのほか、電撃ネットワーク、サンドウィッチマン、ハライチ出演した。
2003年に漫才協団(現・漫才協会)の漫才新人大賞を受賞。加入は所属事務所の社長(当時)の意向で進められたといい、土屋伸之は「浅草は知らない人ばかりだし、地獄だと思った」と回顧。高齢者の多い寄席と、若手芸人が出演するライブでは客層が異なることから、舞台に合わせて漫才のテンポを変えるうちに「漫才がわからなくなっちゃった」と当時の心境を振り返った。
当時は塙宣之の兄・はなわがブレイクしていた時期でもあり、塙は「先輩から兄を使えとアドバイスされてますます迷った」と苦悩するが、散々悩んだのちに「逆に、浅草はナイツだねって言われるくらい、とことん浅草に染まろうって思った」と話す。
その後は多いときで年600本の舞台に出演するなど場数を踏み、2011年には『THE MANZAI』で準優勝。順風満帆かと思いきや、2012年から賞レースに参加をしなくなったことから時間縛りのない漫才作りを行うようになり、塙は「わけわかんない漫才ばっかりになっちゃって、どうやって作ればいいかわからない」と再び苦悩の時期を迎えていると苦笑。ライブでは2014年に作ったという漫才を披露したが会場の反応は薄く、共演した芸人たちからは「事故現場」「楽しそうじゃない」など心配する声が上がっていた。
MCは東京03の角田晃広が務め、そのほか、電撃ネットワーク、サンドウィッチマン、ハライチ出演した。
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2015/04/19