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マンネリ化で市場も下降!? ライトノベルの功罪

 『涼宮ハルヒの憂鬱』や『灼眼のシャナ』、『とある魔術の禁書目録』、『ゼロの使い魔』などヒット作が相次いだことにより、2000年代半ば頃より急成長したライトノベル市場。新興レーベルの参入などもあって、いまや毎クール数本のライトノベル(以下、ラノベ)原作のアニメが放送され、存在感を示しているが、肝心の市場はというと、2013年にいったん頭打ちになったと言われている。好調に見えたラノベ市場に何が起きているのだろうか?

TVアニメ化されたことで2000年代後半のアニメブームの火付け役になったとも言われるライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』((著)谷川流/(イラスト)いとうのいぢ)

TVアニメ化されたことで2000年代後半のアニメブームの火付け役になったとも言われるライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』((著)谷川流/(イラスト)いとうのいぢ)

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■そもそも「ライトノベル」とは?

 まずは「ライトノベル」についておさらいしておきたい。ラノベが幅広く認知されるようになって10年ほど経つが、いまだに明確な定義付けはされていない。一般的には主にティーンをターゲットとしている小説(単行本)で、文体は“ライト”という名称の通り一般文芸よりも砕けているもの、さらにイラストレーターが参加(挿絵)していることや個性豊かなキャラクターが多数登場すること、ライトノベルレーベルから発行されていることなどが「ライトノベル」として位置づけする指標になっている。

 近年、ラノベからのアニメ化、実写化が多くなっている理由のひとつとして、企画当初から大規模なメディアミックス展開を前提としてスタートしている作品が多いということが挙げられる。複数の版元を掛け持ちするのが当然な一般文芸とは違い、ラノベは担当編集者がプロデューサー的な立ち位置で作家に付いて密な関係性を築き、作品のテーマや舞台など方向性を練っていく。それがこれまで小説を読んでこなかったような若い読者を取り込み、ラノベならではの大規模メディアミックス展開という新たなビジネスモデルを構築した一方で、最初からメディアミックスを前提にしているが故の弊害も生んでいる。

■ラノベ作家に文章力は必要なのか?

 ラノベの話をするときによく議論となるのが、「ラノベ作家に文章力は必要なのか?」ということ。小説家であれば最低限の文章力があって然るべきなのだが、ラノベの場合はアニメ映像との親和性が重要になってくるため、どうしても映像になった時に映える世界観やキャラクターが重要になってくる。作家にもいかにアニメ化しやすい題材を見つけ、キャラクターや物語を肉付けしていけるかという技量が求められるため、小説家としての力量が二の次になってしまうのだ。

 もちろん、文章力があるラノベ作家だってたくさんいる。しかし、必ずしも売れている作品=文章力が高くて面白い作品といえる状況ではないため、アニメから原作を読み「がっかりした…」と感想をこぼすファンが多いことも事実。さらに作家よりもヒット作を連発している“担当編集”がクローズアップされることも多く、その積み重ねが“ラノベ作家=スキルがない”という負のイメージを生む。最近ではラノベから一般文芸へと進出する作家も増えているが、これが“出世”ととらえられているのも、作家が軽視されがちな風潮があるためだ。また、アニメ化を前提として考えてしまうと、「学園ファンタジー」「冒険もの」「美少女ハーレム」などテーマが偏ってしまい、たとえどんなに面白い作品であっても、やはりマンネリ感は否めない。実際にラノベ原作アニメに対して「飽きた」「アニメ自体観なくなってしまった」という声も増えてきており、このままではラノベ市場がゆるやかに衰退していくことも危惧される。

 しかし、送り手側もただ手をこまねいているだけではない。例えば約5年前に創刊したKADOKAWA「メディアワークス文庫」は、一般文芸の棚に作品が置かれることでかつてラノベを読んでいた層の掘り起こしを図ってきたが、同レーベルから発売されている『ビブリア古書堂の事件手帖』はドラマ化もされており、一定の成果も表れているようだ。同文庫をきっかけに、ラノベと一般文芸の中間に位置する「キャラクター文芸」「ライト文芸」と呼ばれるジャンルを扱った文庫レーベルの創刊ラッシュとなっている。今後もラノベが市場を保っていくためには、質の向上を図り、作家・読者ともに育っていくことが不可欠。大きなムーヴメントを起こすような新たな作品の誕生に期待したいところだ。

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