22日に死去した藤圭子さん(本名・阿部純子、享年62)の前夫で音楽プロデューサー・宇多田照實氏が26日、娘で歌手の宇多田ヒカル(30)の公式サイトで、藤さんへの思いや家族が離れた経緯について長文で明かしている。
照実氏は、冒頭で「この度の故宇多田純子、投身自殺に於きましては、各方面の関係者の皆様、歌手藤圭子の大勢のファンの皆様、そして宇多田ヒカルのファンの皆様に多大なご心配と世間をお騒がせしていることに対して、所属事務所代表として、また25年間連れ添った元夫として心からお詫びを申し上げます」と謝罪。さらに、「宇多田ヒカル並びに僕に対して沢山の心の籠った暖かいお言葉、お悔みをいただいたことに対しては、この場を借りて感謝の意を表明させていただきます」とファンや関係者にお礼を綴った。
さらに、「通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従い、執り行わないことにしました」と報告すると、夫として寄り添ってき藤さんへの想いやこれまでの思い出を赤裸々に告白した。
当初、藤さんについて「出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な『気まぐれ』な人としか受け止めていませんでした」と印象を明かし、「僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました」と吐露。それでも、娘の宇多田ヒカルが5歳になるぐらいに感情の変化がより著しくなり始めたとし、「自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました」と明かした。
藤さんの感情は日常的に頻繁に変わったようで、攻撃的な発言をしても「数分後にはいつも、『ゴメン、また迷惑かけちゃったね。』と自分から反省する日々が長い間続きました」といい、「病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました」と、夫婦関係が決裂した理由についても説明。その結果、「本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます」と推測している。
また、「直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました」と離れて海外で暮らしていたといい、その間にも「光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、『元気?』という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした」と、精神的には不安定だったとした。
亡くなる少し前にも電話で会話したといい、「最後に僕が純子と会話をしたのは今年の8月14日でした。純子からでした。この時は珍しく明るい口調で、元気そうな純子の声でした。約8分間、世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承し電話を切りました。その8日後の自殺となってしまいました」と最後のやりとりも赤裸々に告白した。
さらに、「純子として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです」「純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています」と元夫として無念の想いを綴っている。
同日には、宇多田ヒカルも同サイトで、藤さんへの胸中を赤裸々に綴っていた。
照実氏は、冒頭で「この度の故宇多田純子、投身自殺に於きましては、各方面の関係者の皆様、歌手藤圭子の大勢のファンの皆様、そして宇多田ヒカルのファンの皆様に多大なご心配と世間をお騒がせしていることに対して、所属事務所代表として、また25年間連れ添った元夫として心からお詫びを申し上げます」と謝罪。さらに、「宇多田ヒカル並びに僕に対して沢山の心の籠った暖かいお言葉、お悔みをいただいたことに対しては、この場を借りて感謝の意を表明させていただきます」とファンや関係者にお礼を綴った。
当初、藤さんについて「出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な『気まぐれ』な人としか受け止めていませんでした」と印象を明かし、「僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました」と吐露。それでも、娘の宇多田ヒカルが5歳になるぐらいに感情の変化がより著しくなり始めたとし、「自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました」と明かした。
藤さんの感情は日常的に頻繁に変わったようで、攻撃的な発言をしても「数分後にはいつも、『ゴメン、また迷惑かけちゃったね。』と自分から反省する日々が長い間続きました」といい、「病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました」と、夫婦関係が決裂した理由についても説明。その結果、「本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます」と推測している。
また、「直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました」と離れて海外で暮らしていたといい、その間にも「光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、『元気?』という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした」と、精神的には不安定だったとした。
亡くなる少し前にも電話で会話したといい、「最後に僕が純子と会話をしたのは今年の8月14日でした。純子からでした。この時は珍しく明るい口調で、元気そうな純子の声でした。約8分間、世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承し電話を切りました。その8日後の自殺となってしまいました」と最後のやりとりも赤裸々に告白した。
さらに、「純子として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです」「純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています」と元夫として無念の想いを綴っている。
同日には、宇多田ヒカルも同サイトで、藤さんへの胸中を赤裸々に綴っていた。
2013/08/26