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「富士山って誰のもの!?」 意外に知られていない富士山の秘密

 国内最高峰の独立峰で、日本を代表する観光名所として愛されてきた富士山。毎年30万人を越える多くの登山客で賑わい、近年の“パワースポット・ブーム”で、改めて富士山の魅力を伝える特集がさまざまなメディアで展開。あの人気バラエティ『アメトーーク!』(テレビ朝日系)でも「富士山芸人」という特集が組まれるなど一大ブームを巻き起こしている。さらに2013年には世界遺産登録の可否が決定する富士山、そんな“日本の象徴”に隠された意外な秘密に迫ってみよう。

■富士山って誰のもの!?
 
 富士山は誰のもの? と問われたら、日本人のほとんどは「みんなもの」と答えることだろう。だが、富士山の一部、八合九勺(3360m)から上は、実は「私有地」なのだ。では、いったい誰が所有しているかというと、全国に1300以上あり富士宮市宮町に総本宮を構える浅間神社だ。浅間神社と富士山の結びつきは古く。そもそもの持ち主はあの徳川家康で、1606年に家康から大社に寄進されたと伝えられる。

 ところが、明治維新後の1871年に国有地化。太平洋戦争後、全国で国有化された土地が寺社へと返還されたが、富士山頂だけは一部を除いて返還されなかった。1974年の最高裁判所の判決によって、あらためて浅間神社のものと認められたが、それでもなかなか返還されず、2004年、財務省東海財務局が県境問題よりも優先することで調整し、ようやく無償譲与し134年ぶりに、富士山山頂はもとの持ち主に戻ったという歴史がある。

■富士山で初めてスキーをしたのは誰!?

 そもそも、スキーが日本で初めておこなわれたのが、実は富士山だった。だが、それは残念ながら日本人ではなく、オーストリアの軍人、テオドール・エドラー・フォン・レルヒとエゴン・フォン・クラッセルという人物だった。無敵艦隊を誇るロシア帝国を敗った日本、その強さの秘密を解き明かそうという軍事視察のために来日したレルヒだったが、富士山の美しさに魅せられ友人のクラッセルと共に登山。どうにか頂上近くまでは行けた2人だったが、積雪と時間の問題でギブアップ。

 通常ならば、そこで下山ということになるが、ここでレルヒはスキーで滑降。当時の日本では、「登山」という概念もなかったので冬山に登るということもなかったうえ、見たこともない板で、滑ってくる彼らの姿は、当時の日本人にはかなりのカルチャーショックだったはず。今でも、五合目にはこの日本初のスキーを記念した碑が立っている。

■富士山は元々“不死山”と呼ばれていた!?

 私たちは何気なく「富士山」と呼んでいるが、そもそもこの呼び名はどこからきたのだろうか? 諸説はあるが、あの「かぐや姫」からではないかと言われている。日本人なら誰もがしる“昔話”なので、今さら説明はないだろうが、その元となっている「竹取物語」では、かぐや姫が帝に「不老不死の秘薬」を渡たす。しかし、かぐや姫が月に帰ってしまって、悲しみに暮れ、生きる希望を失った帝は、日本で一番高い山の山頂で、この「不老不死の秘薬」を焼いたという。不老不死の薬を焼いたことから、「不死山」という名称が生まれ、鎌倉時代には今の「富士山」になったという。

 また研究者の中では、帝が「不老不死の秘薬」を日本一高い山で焼くため、帝が遣わせた使者が、「士(つわもの)らを大勢連れて山へ登った」ことから、「士に富む山」、「富士山」になったという説も有力だ。そもそも富士山と「不老不死」を結びつけるのは実は平安時代よりも遥か昔にまでさかのぼる。

 中国最初の皇帝である始皇帝は、死ぬまで不老不死を追い求め、東海の果ての国、つまり日本に不老不死の秘薬があると聞きつけて、実際に徐福という臣下を日本に送っている。日本各地をまわった徐福が最後に辿り着いたのが、富士山だった。実際に富士吉田市には、徐福の墓があるのだが、真相のほどは定かではない。

 壮大で美しく、見るものを圧倒する富士山。だが、さまざまな逸話も残っており、今回取り上げたエピソードも氷山の一角にすぎない。富士山には、もしかしたら私たちの知らない秘密がまだまだ隠されているのかもしれない……。



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