『「カッコいい」とは何か』(講談社現代新書)を上梓した小説家・平野啓一郎さんと、『いちばん大切なのに誰も教えてくれない段取りの教科書』の著者であり、「くまモン」の生みの親であるクリエイティブディレクターの水野学さんの対談。
(前編はこちらをご覧ください)
今回は平野さんが、一般的には区別の難しい美術とアート、アートとデザインについて、水野さんに問いを投げかけます。思わず膝を打つ「美しさのカッコよさ」とは。二人の熱い対談をお届けします。
(構成/香川誠、和田史子、撮影/増元幸司)
好きなことをずっとやり続けていた結果、
デザイナーになった
平野啓一郎(以下、平野) 水野さんにお聞きしたいことがあります。
僕は本業で小説を書いていますが、「木村伊兵衛賞」という写真の賞の選考委員もしていて、写真家の方と話す機会も増えました。
そこで意外に思ったのは、写真家の方たちの、写真家になる動機です。
作家やミュージシャンは、人へのあこがれから小説を書き始めたり、音楽を始めたりします。
僕でいうと、三島由紀夫がすごく好きで、「こういう文章が書けるようになりたい」というあこがれがあった。ミュージシャンの人も、あこがれのミュージシャンから音楽を始める人が多いですよね。
でも写真家の人って、カメラに対する興味から入っているんです。森山大道にあこがれてカメラを始めたというより、「家にカメラがあって……」みたいなところから始まっている人が多いんですよね。
デザイナーの場合はどうなんでしょう? 僕の田舎なんかだと、グラフィックデザイナーという仕事自体、たぶんほとんどの人が知らない。高校で進路を決める時にも、そんなことを言う人はいなかったし……。
水野学(以下、水野) カメラというメカメカしいものにあこがれるか、ミュージシャンという人にあこがれるのかの違いで、「あこがれる」という行為そのものは同じですよね。
僕がよく言うのは、「踊る」「歌う」「絵を描く」の3つは、多くの子供が誰かから頼まれたわけでもなくやっていることで、それを大人になっても続けている人が、ダンサー、ミュージシャン、デザイナーなんじゃないかな、ということ。
だから、あこがれていた、というよりも、誰からも頼まれてないけど好きなことをずっとやり続けてきた人たちがそうなったんだと思うんですよね。
平野 水野さん自身は、なぜデザイナーになろうと思ったんですか?
水野 僕の話はケーススタディーにはなりませんけど……。
僕はもともと、甲子園にあこがれる野球少年でした。でも小学校5年生の時に交通事故にあって、野球を諦めて美術しかできなくなった。高校の時には怪我も完治して運動もしていたんですが、勉強をしなかったので、学校の授業は美術と体育、そして国語の3教科以外はだめでした。それでもある時から大学に行きたいという思いが芽生えて、先生に相談したら、「美大と体育大しかないぞ」と言われて、それで美大に行くことにしたんです。
平野 美術家とデザイナーの分け方に関しては難しいところもありますが、水野さんは大学に入学した時点からデザイナー志向でしたか? それとも子供の時から、美術の中でもデザインに向かうきっかけがあった?
水野 親には経済的に大きな負担をかけていたので、一攫千金みたいな選択はできませんでした。美大の卒業後の進路で一番手堅いと言われるのが美術の教師で、2番目がデザイナー。それでデザイナーの道を選んだということです。...