完璧ではなくても、上手くなくても、なぜか人の心を惹きつけて離さない、そんな芸術作品にふれたことはありますか?宮崎県高鍋町には、一度見たら心をわしづかみにされること請け合いの、ユーモラスな石像がたくさん祀られている不思議な丘があります。今回は、町の米屋のおじいちゃんが、還暦過ぎてから一人で作り上げた神仏習合ワールド「高鍋大師」をご紹介します。
町を見下ろす高台に、トーテムポールのような像がニョキニョキ
宮崎県中部の海沿いに位置する高鍋町。のどかな海沿いから内陸に少し入ると、標高50メートルばかりの小高い丘陵地の一画に、まるでトーテムポールのような奇妙な像が数体、にょきにょきと顔を出しているのが見えてきます。
2009年、高鍋大師は宮崎県の観光遺産に指定されたのをきっかけに、ブログやSNSなどを通じてにわかに脚光をあびるようになりました。あれよあれよと言う間に宮崎県でも屈指の観光スポットになった高鍋大師は、福島県の名勝・花見山をモデルに「花守山」という四季折々の花木が楽しめる美しい公園として整備されました。
県道304号線沿いに立つ「花守山 高鍋大師」と書かれた看板の矢印に従って進むと、丘の上に一面の茶畑が広がっています。目を凝らすと、お茶の木の隙間から、こんもりとした緑色の物体がいくつも顔を覗かせているのが見えますが、この謎の物体は「持田古墳群」の古墳。
この古墳群が、じつは高鍋大師の誕生と深い関係があるのです。
茶畑がある一帯を抜けると再び林の中に入り、高鍋大師専用の駐車場の前に出ます。駐車場に車を停めて50メートルほど進むと、道の脇の草むらに否が応でも目を釘付けにする、赤や青のペンキでいろどられた、高さ3メートルほどの石像が!!
ド派手な赤と青の像は、子鬼を2体従えた鬼の像。鬼のとなりは、微笑みをうかべる地蔵菩薩です。
まるで古代彫刻のようなおもむきの素朴な作風ですが、高鍋大師に祀られている像は全て、昭和に入って制作されたもの。
まるで漫画みたいなセリフ付き!作者は一体どんな人?
あたりを見渡すと、小さめの漬物石サイズの石が積み上げられた小山がそこかしこに存在することから、ここが賽の河原をイメージして作られたスペースであることが、すぐにお分かりいただけるでしょう。
鬼と地蔵菩薩の周りには、親を思って石を積み上げる子供の像が10体以上は置かれています。
赤鬼の足下にいる小さな青鬼の持っている棒には、「をにあらわれた」と、このシーンの説明が直接彫り込まれています。
そして、賽の河原の車道を挟んだ反対側に立つ、丸い頭の巨大な人物像。こちらが、高鍋大師をほぼ一人で作り上げた「岩岡保吉」さんの自刻像です。
明治22年、香川で生まれた岩岡さんは幼少期に高鍋に移り住み、19歳で米国販売店を開業して成功と、その半生は石像彫刻などとは一切無縁のものでした。
29歳で四国八十八箇所霊場をめぐる旅に出た岩岡さんは、盗掘の被害が多発していた持田古墳群に八十八箇所霊場を再現することを思いつきます。私財をなげうち約1ヘクタールの土地を購入した岩岡さんは、石工を呼び寄せ石仏を作らせるかたわら、自らも見よう見まねで彫刻の技術を習得。そして妻の死をきっかけに、本格的に石像の制作を開始します。この時すでに還暦を過ぎていました。
高鍋大師の「大師」は弘法大師から来ており、これは岩岡さんの生まれが弘法大師と同じ香川県であることに由来します。
町のゆるキャラのモデルになった、自由奔放な巨大石像
鳥居の脇に、5メートルはあろうかというほどの巨大な3体の石像が。この3体の像は、左:十二面薬師、右:十一面観音像、そして奥が天照大神です。ちなみに、この十一面観音像は、高鍋町のマスコットキャラクター「たか鍋大使くん」のモデルになっています。
高鍋の田園地帯と、日向灘が見渡せる広場には、他にも大小さまざまな石像が、それはもう無数といっていいほど大量に安置されており、その総数は700体以上。最大のもので高さ約7メートルあり、小さな作品でも1メートルぐらいの大きさです。
さらに驚くべきは、ここにある大型の像の大半は、岩岡さんが70歳を過ぎてから制作されたものということです。
高さ推定5メートルの2体の石像は、風神・雷神像。なんと岩岡翁84歳のときの作です。
型にはまらない作品は、ドラマの主人公までもがモデルに
百体不動と名付けられたこちらの像。遠目から見ると、何だか目がイッてる…と思いきや、目玉にはガラス製の器のような物体が石の表面に直接貼り付けられています。腕に抱えられている子供のような像も、目はガラス。常人離れしたバイタリティもさることながら、子供のような無邪気さと探究心を失うことなく、これだけの大事業をなしとげた岩岡さんの生き様は、まさに超人というほかありません。
こちらの3体の人物像、よく見ると中央の人物の胸元には「みとこモん」と彫られています。
そう、この石像はおなじみの時代劇「水戸黄門」をモデルにした作品。意外と最近までご存命だったんだな、という驚きもさることながら、ただストイックに石像を彫り続けるだけの晩年を送っていたイメージとは少し違った、普通の人と変わらぬ暮らしを営む岩岡さんの姿が垣間見られる作品です。
ちなみにこちらの像は、岩岡さんが亡くなる一年前の作。享年は87歳でした。
高鍋大師には、これらの大型の石像の他にも、高さ1メートルばかりの小さな像がいくつも目につきます。それらはよく見ると背広や学ランを着ていたりと、神仏をかたどった像とは少し雰囲気が違っているのですが、これらの小さな像の多くは地元の信者の方々から依頼されて作成されたもの。岩岡さんは存命中、決して奇人変人として地域の人々から阻害されていたわけではなく、尊敬され慕われていました。
地元の方々の像からは、自分が亡くなった後もこの見晴らしの良い高台から高鍋の町を眺めていたい…そんな思いが伝わって来るようです。
徒歩の参拝者のためのウェルカムスペースもカワイイ
今回ご紹介したのは車でのルートですが、丘のふもとから徒歩で登ってくるルートが別にあります。
徒歩の参拝路は、県道304号線沿いの住宅の間から丘に続く、よその家の私道のような細い路地。目印は、304号線沿いに立つ岩岡老人の胸像です。まるで「いらっしゃいませ」と話しかけるかのようにほほえんでいます。
徒歩のルートでは、まず初めに岩岡老人が四国巡礼の際に思い立った、八十八箇所めぐりのミニチュアが山の斜面一面を使って再現されています。そのスケールは、まるで小さな宇宙のよう。遊歩道沿いには、八十八箇所のそれぞれの寺院のご本尊の石像が祀られ、一周することで四国巡礼が再現できるという趣向です。
八十八箇所巡りの像は、いずれもプロの石工に造らせたものなので、遊び心は特にありませんが、丘の上から岩岡さんの大作の一つ「スサノヲノミコト」が、様子をうかがうようにこちらを見下ろしています。
今回ご紹介できたのは、高鍋大師にある石像のなかでもほんのごく一部。敷地内にある岩岡さんが暮らしたお堂には、高鍋大師制作当時の筋肉隆々の岩岡さんの姿や、地域の人たちが総出で巨大な石像を設置する様子などを収めた、貴重な写真資料が多数展示されています。
岩岡老人のひたむきなエネルギーにあふれた高鍋大師は、見た人にあきらめない気持ちや、新しいことにチャレンジするのに年齢の制限はないんだということを、改めて思い出させてくれるパワースポットです。
また、その無邪気な作風や独特な作り込みの表現は、ただの珍品を超えた芸術作品としての魅力も持ち合わせており、アート鑑賞が好きな方にもおススメ。
ぜひあなたも、高鍋大師でたくさんの笑顔と感動をもらって下さい。
高鍋大師の基本情報
住所:宮崎県児湯郡高鍋町大字持田
電話番号:0983-22-5588(高鍋観光協会)
アクセス:【マイカーの場合】東九州自動車道・高鍋インターチェンジより約15分。宮崎市中心部より国道10号線経由で約1時間
【公共機関をご利用の場合】JR日豊本線・高鍋駅からタクシーで約15分
駐車場:一般車両の駐車場のほか、バイク用の駐輪場、施設のそばに身障者用駐車場あり
■関連MEMO
高鍋町観光協会
http://www.kankou-takanabe.com/siteseeing/daishi
【トラベルjpナビゲーター】
フジイ サナエ