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ヒロインの“純粋無垢”は“恐怖”と表裏一体 『ちむどんどん』根底にある純文学的テーマ

  • 黒島 結菜(写真:鈴木一なり)

    黒島 結菜(写真:鈴木一なり)

 現在放送中の朝ドラ『ちむどんどん』ヒロイン・暢子の真っすぐな行動には「なんでこんなに頑ななの…」「人のアドバイスを聞け」「どうせ誰かが助けてくれるもんね」などと不満の声が。SNSでは「#ちむどんどん反省会」というタグが盛り上がり、連日物語の辻褄の合わなさ、登場人物について議論が交わされている。この異様とも言える盛り上がりは、純粋なヒロインを描くからこそ生まれる“ひずみ”に起因している。しかし、今回のヒロインは、朝ドラがこれまで表現してきた“純粋なヒロイン像”を“ある意味”、もっとも体現している存在とも言える。

周囲の登場人物はヒロインに振り回される、朝ドラの予定調和

 朝ドラのヒロインでは、底抜けの明るさで突き進む。何があってもめげずに立ち上がり、一生懸命な女性が多く描かれている。長いスパンで放送するため、ヒロインは魅力的な人物像だと印象付けるためか、無茶だと思うことに挑戦する展開になることが多い。当然、周囲の登場人物はヒロインに振り回される。だが、朝ドラではそれが予定調和ともなっている。

 周囲の人物たちとコミュニケーションをとりながら“どう解決していくか”に注目が集まり、その展開にドラマ性が生まれる。ところが今回のヒロイン・暢子(黒島結菜)の場合はどうか。無茶の度合い、回数が視聴者の許容限度を明らかに超えてしまい、SNSのみならず、ネットニュースなどでも“ツッコミ合戦”が繰り広げられる状況になっている。

 例えば、第76話(7月25日放送)では、暢子が婚約者、青柳和彦(宮沢氷魚)の母、重子(鈴木保奈美)を青柳邸まで訪ねた際、結婚の挨拶にも関わらず手土産が「サーターアンダギー」であり、SNSでは「衝撃を受けた」「私が母でも、“この娘で本当に大丈夫?”って不安になる」などのツッコミが殺到。もちろんサーターアンダギーは美味しいが、「結婚の挨拶」という点で、視聴者の受け止めメーターを超えてしまったようだ。

 またその後の、結婚に反対されるなか、許しをもらうために沖縄色満載のお弁当を毎日届ける展開にも「無理やりw」「重子は毎朝決まった店で1人朝食食べてるのに」「なぜ、そこまで頑ななんだ」のような声が。“ツッコミ”という意味では、過去にここまでSNS、各社記事が盛り上がったことはないのではないかと思わせるほどの熱量が。批判的な意見も多く、それは暢子ほか一部登場人物たちの“純粋無垢”が視聴者のイメージを超えて「意味不明」になっていることが要因だろう。

「暢子は朝ドラヒロインをもっとも体現する存在」、純粋がゆえの怖さも

 「ツッコミといえば、ゴールデンウイーク中に『あさイチ』の朝ドラ受けがなかったことで、“物足りない”と、『ちむどんどん』の中毒性が示された例がある」と話すのはメディア研究家の衣輪晋一氏。『ちむどんどん』の強烈な“意味不明”ぶりが“ボケ”と捉えられたようで、博多華丸大吉からのツッコミがないことに、「ボケたのにツッコミがないというむずがゆい感じ」「ツッコミがないと寂しい」などのコメントがSNSに散乱。『あさイチ』への展開と合わせての“中毒”が視聴者のなかで生まれていると衣輪氏は指摘する。

 さらには「そもそも“純粋”というのは“意味不明”なことでもある」と解説。「これまでの朝ドラでは一部を除いて、それが“可愛らしさ”や、“意味不明”にやらかしたからこそ、応援したくなるという空気にする予定調和がありました。だがある意味、本作のヒロインは、その予定調和に亀裂を入れている。一歩、踏み込んでいる。例えば文学作品などでは、 “純粋”は、人間関係どころか人生をも壊す、諸刃の剣として古くから取り上げられています」(同氏)

 “純粋”が“怖い”という作品としては、例えばゴールディングの『蝿の王』が挙げられる。これは残酷版『十五少年漂流記』といったもので、無人島に漂流した子どもたちが、“純粋”ゆえに内面の獣性に目覚めていき、ついには殺し合いを始めてしまう作品。人間の本能や業、また残酷性があぶり出され、“純粋”の諸刃の剣ぶりをしっかりと描き出している。

 ロリータ・コンプレックスの語源となった『ロリータ』や、谷崎潤一郎の『痴人の愛』の少女・ナオミは、人生を変える女=“ファム・ファタル”として、先述のような“純粋”がいかに人の生き方を狂わせるか、壊してしまうかということが描かれる。

 いずれにも共通しているのが大人の常識が通じない残酷性、純粋ゆえの本能に近い行動からの衝撃。これに周囲の登場人物は、なまじ“理性”や“常識”があるから振り回され、その訳の分からない行動に、徐々に“自分”を失う。 “純粋”は、人間の持つ本能や獣性を含むゆえに、“衝動”や “恐怖”と紙一重。“自身の当たり前”で生きる“人間”たちには特に“意味不明”につながると衣輪氏は語る。

 「『ちむどんどん』では沖縄出身のヒロインということで、南国の陽気さ、純粋さ、底抜けの明るさ、無鉄砲さというところをデフォルメした結果でもありますが、沖縄はじめ、田舎の人がすべて純粋というのはほぼ都市伝説。それを映画『パッチギ!』や『フラガール』の脚本の羽原大介さん特有のデフォルメでフィクション化しており、その手法や思考が実は文学性を帯びていると見ることも出来る」(同氏)

純文学の世界観を表現? 朝ドラのヒロイン像を体現する暢子

 つまり、『ちむどんどん』を観て、ここまで視聴者の感覚と合わないという声が出てくることは、これまでの朝ドラのような予定調和の“純粋無垢”ではない、真の意味での“純粋無垢”なヒロイン像が描かれているという批評も成り立つ。

 「原作の羽原さんは『マッサン』も手掛けており、帯の連続ドラマに慣れてないということはあり得ない。朝ドラとして成功か失敗か、面白いか面白くないかはさて置いて、竜星涼演じるにーにーが何回も引き起こすトラブルの救いようのなさ、ヒロインの常識のなさ、見ていて揺さぶられるこの“破綻”的な衝撃は、純文学で描くとまた違った演出になるはず」(衣輪氏)

 そもそも朝ドラの正式名称も「朝の連続テレビドラマ“小説”」。朝の15分で作品を見て元気をもらえることを望む視聴者は多いが、その“偉大なるマンネリ”にあぐらをかいていては新たな“小説”的作品は生み出せない。

 朝ドラマナーにのっとって、みんなから良い感想が聞けるような優等生作品“だけ”を作ることに本当に意味があるのか? 近年NHKの朝ドラでは、男性ヒロイン、ヒロイン3人体制、脚本家が複数タッグを組むなど、様々な新しい取り組みに挑戦している。今回もそのチャレンジの一つかもしれず、試行錯誤という意味で今後の作品に必ずつながっていく。「“純粋”への“違和感”と“中毒”を見出すことには成功したので、今後の作品で、どのように朝ドラ制作陣がバランスを取ってくるかも楽しみ」と衣輪氏。昨今、NHKは攻めたドラマやバラエティが多い。『ちむどんどん』も今後の朝ドラの試金石になる可能性を秘めている。

(文/中野ナガ)

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