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BOOMER、“ボキャ天バブル”崩壊後、即・過去の人に… 当時の縁に支えられた20年
“芸人はライバル同士”を覆した番組「ボキャ天は“チーム”だった」
河田キイチ 当初『ボキャブラ天国』はVTRの紹介がメインで、芸人のネタ見せコーナーは10分程度だったんですよね。それが途中から芸人メインの構成になって、急に盛り上がった記憶があります。いつも通り地方に営業に行ったら、突然黄色い声援が聞こえたりね。といっても、ほとんどがネプチューンのファンだったんですけど(笑)。
伊勢浩二 日本人って、昔からランキング形式の番組が好きじゃないですか。僕らも『ザ・ベストテン』とかよく見ていたけど、毎週、お笑いのネタをランク付けして発表するような番組はそれまでなかったので、幅広い層に刺さったように思います。
――『ボキャ天』に出演されていた芸人さんは、まさにアイドル的な人気を博していましたが、実力派と言われたBOOMERが一括りにされ、そうした扱いを受けることに葛藤はありませんでしたか?
河田キイチ うーん。なかった…ですね。僕らの世代の芸人は皆、ピリピリしていたといいますか、ライバル感が強かったんですよね。ほかのコンビの練習を物陰から覗いて、お互いのネタを盗み見し合う…なんてこともよくしていましたね。それが『ボキャ天』が始まって、芸人同士が“チーム”みたいになったんですよ。
――ランキングの番組だからこそ、なおさらライバル視してしまうのでは…という気もするのですが、みなさん仲が良かったんですか?
伊勢浩二 一緒に飯食ったり遊びに行ったりしてたよね。
河田キイチ ある日、番組制作会社の社長から、「1位を目指すのではなく、座布団の奪い合いを楽しむゲームだと思ってやってくれ」と言われたのが大きかった気がします。勝敗にこだわるんじゃなくて、皆で楽しい空間を作り出すことを意識し始めました。そこから、芸人全員の意識が変わって。チームプレイを念頭に置きながらネタを作るようになったんです。その辺りから、皆、急激に仲良くなっていった感じですね。
ブームはいつか去る…理解していながら、あっというまに“過去の人”になっていた
河田キイチ やはり、全国の方にBOOMERの名前を知っていただけたことですね。それと、番組が終了してからもずっと続いている“芸人同士の繋がり”も、いっしょに活動できたことの財産だと思っています。
伊勢浩二 ブームの真っ最中のころ、地元の広島に営業に行ったので、出演するイベントに両親を招待したんです。実際に僕たちが女子高生に囲まれて、ワーキャー言われているところを見せてあげられたのは、ある意味、親孝行だったかな…という気がしています。
――逆に、『ボキャ天』ブームで一気に知名度が上がったことで、良くない方向に向かってしまったことはありますか?
河田キイチ とにかくすごい人気だったので、その状況に安心してしまったところですね。「ブームはいつか去るもの」ということも頭では理解していたんですけど、その先を見据えていられなかったんです。浮わついた気持ちでいるうちに、『ボキャ天』バブルがはじけてしまって、それまで当たり前のように入っていた仕事も、どんどんなくなって、あっという間に“過去の人”になっちゃいましたね。
伊勢浩二 いかんせんお金を持っていたので、バブルがはじけたとわかった後も、変に慌てなかったんですよね。
伊勢浩二 ネプチューンや爆笑問題といった売れっ子たちが、自分の番組を持つようになって、『ボキャ天』に出演しなくなっていったんです。そのころから、「そう遠くないうちに終わりが来るだろうな」という空気は感じていました。なので驚きはそんなになかったです。
河田キイチ とはいえ、人気が下降するのはジワジワだと思っていました。そのあいだに次のことを考えよう…と思っていたんですけど、いざ蓋を開けたら、ものすごい速さだったので、それは驚きました(笑)。
――そのような状況でも、芸人を続けたんですよね。
河田キイチ ピーピングトムの桑原が、ワタナベコメディスクールで講師をしているんですけど、俺と伊勢にも「授業を請け負ってくれないか?」と声をかけてくれたんです。それで、「せっかくだからやってみるか」ということになって。最初は、まだ中学生の子どもたちもいる前で話したり、ネタを見せることに恥ずかしさも感じていたんですが、若い世代と一緒に、彼らが活動できる場を作り出していくことが楽しくなってきたんですよね。それで「俺たちもちゃんとがんばろう!」という気持ちが湧いてきました。
「悩んでいる暇があったらネタ作りな!」太田光代社長からの喝がターニングポイントに
河田キイチ どん底まで落ち込んでいたとき、爆笑問題の太田の家に呼ばれたんです。「愚痴でも聞いてもらおう」くらいの気持ちで顔を出したんですけど、太田光代社長から「悩んでいる暇があったらネタを作りな!」と言われたんです。「BOOMERはおもしろいんだからネタを作るのを辞めたらダメだよ」とも言ってもらって、それがきっかけで、タイタンライブにも出演させてもらえるようになって。「来月からレギュラーで出てもらうから。その代わり、毎回ちゃんとウケてよ」と喝を入れてもらったことも、我々にとっては復帰に向けてのターニングポイントでしたね。いい話でオチもないので、テレビでしゃべるといつもボツになるんですけど(笑)。
――『ボキャ天』時代から続く繋がりが感じられるエピソードですね。ちなみに、当時の仲間たちの活躍を目にして、今でも感情が揺さぶられるようなことはありますか?
伊勢浩二 売れている面々に対して、それを羨ましく思う気持ちはないですね。先行きが見えないころは、みんなががんばっているのに、自分たちは何をやっているんだ…みたいなことも考えていましたが、「売れた人たちは、売れるだけの努力をしてきた。自分たちにはそれが足りなかった」ということが、今はしっかりわかります。そのうえで、自分たちなりにがんばっていこう…という気持ちで、ひとつひとつの仕事に取り組んでいます。
――今は漫才協会に入会して舞台にも立っているんですよね。
河田キイチ これも『ボキャ天』時代のつながりなんですけど、X-GUNの二人が先に入会していて、「BOOMERもどう?」と誘ってくれたんです。若いころは浅草とか寄席とかダサいなと思っていた時期もありましたが、そもそもBOOMERの芸風も当時から「コテコテ」とか言われてたんで、実際に入ってみたらすごく合っていたんですよ(笑)。
伊勢浩二 みんなが言っていたのは間違っていなかった(笑)。
河田キイチ それに漫才協会って『ボキャ天』の楽屋みたいなんですよ。チーム感あるし、情報交換もできるし。
河田キイチ ブームというのは、自分たちで起こそうと思って起こせるものではないので、どんな関わり方であれ、そこに加わっていっしょに盛り上がれるのは良いですよね。
伊勢浩二 そこから生き残れるかどうかが勝負なわけだけど、一生芽が出ないまま終わっていく芸人も多い世界だし、名前が出るっていうだけでもありがたいことですよね。それに、世代に乗っかれたからこそ、僕らも今でもこうして呼んでいただけているんだと思います。
――BOOMERとしての活動を続けて行くことに対するこだわりはありますか?
河田キイチ シンプルに、もう解散とかはないな。若い子と混じって何かをするのは嫌いじゃないし、ベテランだから…とならずに、新しいこともしたいですね。動けなくなるまで、BOOMERとして活動していきます!
Information
漫才協会で毎月1日〜19日に行っている「漫才大行進」に出演中!
場所:浅草「東洋館」
日時:毎月1日〜19日
※1月のみ6日〜19日
BOOMERは毎月、平均で5、6回出演しています
詳しくはこちら
http://www.manzaikyokai.org/daikoshin
漫才協会のホームページはこちら
http://www.manzaikyokai.org/