(更新:)
ORICON NEWS
声優・福原香織はどのように夢を叶えたのか? デビューから12年、仕事への向き合い方
芸能に反対していた両親を説得できたのは、夢に対する「熱意」(福原)
福原香織(以下福原)はい。役者には小学生のころから憧れていたのですが、両親には大反対されていましたね。何年もかけて説得して、中学三年生のときに上京することになったんです。もともとアニメが特別好きだったわけではないのですが、セーラームーンがちょうど世代で、セーラームーンは実在すると思っていたんです。でも、漢字が読める年齢になったときに「声の出演」と書いてあるのを見つけてしまって。「えっ、セーラームーンいないの?」って、ショックでしたね(笑)。でもこれだけの長い間、夢を見させてくれたセーラームーンや声優という存在がすごいなと思い、そこから意識するようになりました。
前田ご両親はどうやって説得したのですか?
福原一番は熱意でしょうか。中学に上がってからは、住んでいた千葉から東京まで声優養成所の短期講習に自分の意志で通ったりもしていたので、そういう行動を見て、親も「これは本気だな」と感じたんだと思います。ターニングポイントは高校受験のとき。歌やダンスが勉強できる芸能系の高校と養成所の資料を取り寄せて両親にプレゼンしました。そうしたら「そんなにやりたいのなら分かった。でも東京まで毎日通うのは無理だから、家を出ていきなさい」と言われて。びっくりしましたが、夢に近づけるという嬉しさから、「よし、一人で上京してやろうじゃないか」と思いましたね。
前田そのとき、声優としての自分の未来には自信があったんですか?
福原若さなんでしょうね、希望しかありませんでした。卒業文集にも書いて、もう絶対になると思っていました。
前田根拠はなくても、自信を持って夢を追いかけるのはすごく大事なことなんですね。
特待生に選ばれた理由は、失敗を繰り返さない「対応力」(福原)
福原上京してからは、養成所に高校にバイトにとすごく忙しい毎日でした。16歳のときに受けたオーディションで、ある養成所の特待生になったのですが、そこからは技術を磨くことはもちろん、特待生としてのプレッシャーに打ち勝つ事も大変で。とにかく今あることを必死にやるのが精一杯という日々でした。
前田でも、特待生に選ばれること自体がすごいですよね。客観的に見て、何が光っていたのでしょうか?
福原当時のマネージャー曰く、若さやフレッシュさにプラスして、対応力があったそうです。セリフのダメ出しをしたあと、すぐにやり方を変えてきたから印象に残ったと言われました。
福原さんのビジネスパーソンとしての側面を感じています(前田)
福原よく「大変でしょう」と心配されるのですが、意外と楽しくやらせてもらっています。スタッフさんと直接やりとりをするようになって、自分がやりたい事や熱意、ご挨拶やお礼などを全て自分で伝える事が出来るので、今まで以上に1つ1つの仕事と深く向き合うようになりました。
前田僕も一緒にお仕事をする中で、福原さんの声優だけではない、ビジネスパーソンとしての側面を感じています。声優としても、ビジネスパーソンとしても、今後どんなふうに成長していくのかが楽しみです。
福原こういう話、ファンの方にとっては新鮮だと思います(笑)。
前田そうか、福原さんを普段応援しているファンの方々にとっては、純粋に「声優」としてお仕事をされている福原さん以外の部分って中々見えてこないですもんね。ファンの方からすると、声のお仕事をしているときの福原さんだけではなく、もっと素の部分が見られるのが、嬉しいのかなと思います。SHOWROOMでも、「福原香織がファンのみんなとただ雑談するだけの60分」というタイトルで、2年間休むことなく配信されていますが、ああいった素の感じの福原さんと交流できることは、ファンの方にとって貴重なことなのかなと。ちなみに、配信するうえで何か心がけていることはありますか?
福原ファンの方を第一に考えています。ファンの方は何が聞きたいのか、何を話したいのかということを特に意識していますね。全部のコメントは拾えませんが、ちゃんと一人ひとりを見ているよということがリスナーさんに伝わるように心がけています。
前田なるほど。素晴らしいですね。だからこそ、福原さんとファンの方の間の絆がここまで深いのですね。勉強になりました。最後に、声優という夢を追いかけている人に、何具体的なアドバイスがあれば、お願いします。
福原今の時代は自分から発信してファンの方に見てもらえる機会があるので、いい意味でそれを利用していけばすごくプラスになると思います。しっかり演技力を磨きながら、色んな事にチャレンジしてほしいです。
(構成:三ツ井香菜)
Sponsored by SHOWROOM