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尾崎裕哉がCDデビューで心境告白、父・尾崎豊さんは「“頑張れ!”と言ってくれる」

自分と父親、音楽との向き合い方に違いも

――楽曲からもご本人からも伝わってきますが、裕哉さんは実はすごく頑固、かつ前向きですよね。甘いマスクの下に怖い部分も隠れてる (笑)。
尾崎裕哉 あははははは! すごくストイックだとは言われます。ライブの後も、終わってすぐ反省会をしていたら、スタッフの人たちに驚かれてたみたいで(笑)。でも、そんなに自分に厳しくもないんですけどね。遅刻もするし、寝坊もする。ただ、自分がやりたいと思ったことや掴みたいと思ったことに真摯に向き合って、最終的にはやるべきことをすべてやるっていうところはあるかなと思います。

――あえて自分を逆境に追い込んだりせず、飄々とクールな顔で自分を上に持ち上げていくイメージです。仕事がものすごくできそうっていう……。
尾崎裕哉 初めて言われましたね、それ(笑)。いや、もっと頑張ります。僕もそうですけど、今は自分から自由に発信できる時代だから、現在のアーティストはある程度全体像が見えてるというか、全部の工程を知ってる人が多いと思うんです。その中で、どれを人に任せるかっていうことに長けてるのかなとは思います。

――尾崎豊さんはひとつの時代の音楽を象徴するアーティストでしたが、新たな時代に生まれた裕哉さんが表現したいこと、伝えたいことは尾崎さんと違うんでしょうね。
尾崎裕哉 そうですね。特に今回の作品で、自分だけじゃできなかったことが、環境が整ったことによってできるようになって、自分の知らなかった世界が見えてきたんです。それまで僕に見えてたものは東京近辺の人たちだったけど、蔦谷さんに「それはポピュラーじゃない」と言われた。「遠くの地方にいる女の子にいい歌だと言ってもらえる、都心だけよりもっと広い範囲の人にいいと言ってもらえるのが、ジャパニーズ・ポップだ」と。そこが見えた上で作った楽曲は、やっぱり形が変わりました。歌いたいことや作り方は変わらないんだけど、自分自身を強く出す曲こそ世の中にちゃんと届けることや、メジャー感というものを意識しようと思うようになった。たぶん、尾崎豊はそこまで考えてなかったんじゃないかな、とは思うんですよ。なぜなら、最初は“売れること”をそこまで期待されていなかったから。だから、作りたいものを一生懸命作ろうと、やっていたと思うんです。でも僕は、多くの人に届けることを目標にして作っているから、そこでの違いはあると思います。

いま父親がいたら「“俺がプロデュースする!”と言うかも」

  • 故・尾崎豊さんが登場したオリコン1985年2月1日号

    故・尾崎豊さんが登場したオリコン1985年2月1日号

――ちなみに尾崎豊さんがデビュー当時にオリコンで、「チャートインを父親が喜んでいる」ということを話してる記事がありまして。もしお父様がいたら、いまの裕哉さんを見てなんと言われただろうと思いますか?
尾崎裕哉 生きていたら、けっこうやかましい感じの父親だったんだろうと思いますけどね(笑)。でも、応援はしてくれるんじゃないかな。僕が生まれたとき、「ミュージシャンにしたい」と、彼は言ってたので。だから、いま何かを伝えられるとしたら、「頑張ってます!」と言いたいし、「頑張れ!」って言ってくれるんじゃないかな。「俺がプロデュースする!」とか言い始めたりするかもしれない……(笑)。

――親子でユニットを組んでみたり……。
尾崎裕哉 声が似てるから、どっちがどっちかわからないっていう(笑)。

――忙しい日々だと思いますが、さらに精力的になっていくのを楽しみにしております。
尾崎裕哉 ありがとうございます。でも、そんなに忙しくないんですよ?

――ご自身がタイトな日々を苦に思わないタイプなだけじゃないんですかね。
尾崎裕哉 そうかもしれない。あと、周りに忙しい人間がいっぱいいるんですよ。レコード会社の人たちもものすごく忙しくしているし、BCG(ボストンコンサルティンググループ)でコンサルティングをやってたり、マッキンゼーで働いてる友だちなんて、もっと大変ですから。僕なんてまだまだ甘いなと思います。「暇だから〜」って、よく連絡してますけど(笑)。
(写真:鈴木一なり 文:川上きくえ)

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