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ORICON NEWS
10周年のYouTubeがネット社会にもたらした“革命”と“余波”
コストパフォーマンスの高い宣伝媒体と化したYouTube
YouTubeの誕生は、それまで容易には楽しむことのできなかった様々な映像との出会いを可能なものにした。世界中のミュージシャンのMVはもちろん、ライブパフォーマンスや肉声によるメッセージにも触れられるようになったし、スターのオフショットを“無料”で楽しめるようにもなった。それは発信するアーティストやタレントにとっても意義のあるもので、生の声を届けることが可能な動画サイトは、効果的なプロモーションツールとして様々な活用がなされている。数千万人の人々に視聴される「YouTuber」の中には、テレビタレント以上の知名度を誇ったり、巨額の収入を得ている存在もいる。それら人気の高いYouTuberが発する言葉は大きな波及力を持ち、彼らに取り上げられた商品は次々と好評を得るなど、企業にとってもYouTuberは最高の宣伝マンとなる。YouTubeは極めてコストパフォーマンスの高い宣伝媒体と化しているのだ。博多華丸・大吉が「YouTuberになりたい」という漫才ネタで爆笑を集めたが、それはすなわちYouTuberがひとつの職業として確立したことを示すものであり、大衆の共通認識としてインプットされた存在であることを意味してもいる。使う、楽しむという両面においてYouTubeが起こした“革命”は、これまでにないほどセンセーショナルなものと言っていいだろう。
自由度が高いだけに“違反行為”も多発、利用者の自己判断が求められる
加えて、前述のYouTuberについてもひとつ警鐘を鳴らしたい。一獲千金のイメージが強く、うまくやれば憧れの対象にも慣れてしまうYouTuberだが、だからと言って、将来の職業選択リストにすんなり加えていいものだろうか。YouTubeを使って何かをアピールするという行為は一種のプレゼンテーションである。YouTubeを視聴するのは無料かもしれないが、YouTuberがプレゼンテーションするものは基本“有料”なものだ。売り上げが実績として積み重なればそれなりの収入にはなるかもしれないが、実績が上がらなければYouTuber自身の生活は立ち行かなくなる。ましてや、ネット社会の情報の拡散は速い。この人のプレゼンはイマイチ、この人がプレゼンすると商品の魅力が伝わりにくい、と判断されればアウトだ。一度着いたイメージはネットの中では容易に覆すことはできない。カリスマ化しているYouTuberは、ほんのひと握りであることを認識しておくべきだ。
ネットの世界は日進月歩、今後YouTubeを超える画期的な動画サイトが誕生しないとも限らない。それでも、基本は誰もが簡単に利用できるということ。テレビを観るように、音楽を聴くように、シンプルな操作で動画が楽しめるようにしたからこそ、YouTubeはここまで爆発的に広がった。タブレットやスマホなどプラットホームは変わりながらも、個人、企業問わずYouTube利用への支持はまだまだ続いていくはずだ。
(文:田井裕規)