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ORICON NEWS
May J.に“オリジナル”は存在するのか?
抜群の歌唱力で、カバーソングの“格”を一段高めた一方、批判の声も…
次に彼女の名がクローズアップされたのは、2012年以降に出演したバラエティ番組『関ジャニの仕分け∞』(テレビ朝日系)で、「歌うま女王」としてのポジションを確立したことだ。カラオケの歌唱得点を競うコーナーで前人未踏の26連勝を飾ったMay J.は、人々から一目置かれる存在に。ただし、それはあくまでも“ヒット曲”が対象であり、彼女の“オリジナル曲”が含まれていたわけではない。
『関ジャニの仕分け∞』への出演を契機に、May J.の歌唱力の高さは多くの人に知られ、カバー曲を集めたCDを出してほしいという要望が殺到。そうして、発売された『Summer Ballad Covers』は、出世作『FAMILY』と並ぶ4位を記録。しかも、セールスではそれを遥かに超える20.3万枚という成果を残した。さらに、冒頭で述べた『アナ雪』効果をバックに発売された『Heartful Song Covers』では2位、24.5万枚と自己記録を更新する。まさに、彼女の躍進は“カバーソング”とともにあった――。
これはこれで見事な実績だ。ミュージックシーンを振り返ると、これまでにも幾度となく“カバーソング”で成功を収めてきた例はある。May J.はそうしたアーティストと比較しても抜群の歌唱力(それは前述のバラエティ番組での結果が物語っている)をもって、カバーソングの“格”を一段高めた観がある。だが、そうした展開に不満な意見を持つ人がいるのもまた事実。つまりは、歌手なのだから“オリジナル”で勝負しろよ、という至極真っ当な声である。
“曲を売る”歌唱力・表現力を持つMay J.、“オリジナル”は存在する
だが、それでも人々のイメージから「May J.=カバーソング・シンガー」が消えることはない。なぜなら、それだけの実績を築いたから。これが、カバーソングでも、オリジナルでも同じくらいの成果を残しているアーティストならば、ここまで強烈なイメージがまとわりつくことはなかったはずだ。加えて、彼女にとって不運だったのは、それらのヒットにまつわる露出が派手なものになったこと。『関ジャニの〜』では古今東西の並みいる歌唱力自慢のアーティストたちを抑えて「歌うまクイーン」と、まるで“カラオケの申し子”のようにもてはやされ、楽曲先行でシンガーであるMay J.の魅力が顧みられることがなかった。「Let It Go〜」では松たか子バージョンと常に比較された挙げ句、メディアで歌を披露することのなかった松の穴を埋めるかのように各局の要請に応えて歌唱したことが視聴者の「松バージョン渇望」と相まってバッシングの対象となってしまった。もしもバラエティでの連勝記録が他のアーティストに書き換えられていたら、もしも映画紹介のBGMがMay J.中心で行われていたり、松たか子もMay J.と同様に歌番組で楽曲を披露していたら(松たか子に非があるわけではないのだが……)、ここまでの逆風や強いイメージ付けは起こらなかったのかもしれない。
改めて考えてみたい。「May J.に“オリジナル”は存在するのか?」。答えはYESである。別に彼女を擁護するつもりはない。誰もが認めるように、彼女は“カバーソング”で実績を残してきた。それは曲の完成度が高かったからだ。曲がよければ聴いてもらえるし、注目もしてもらえる。だが、問題はここからだ。いい曲をカバーしても全員が全員売れるわけではない。いい曲の魅力を引き立てる歌唱力があってこそ、そのカバーは“生きる”。奇しくも、May J.以上に松たか子の「Let It Go〜」がヒットしたように。その意味では、May J.はカバーの凄さも恐ろしさも体験した数少ないシンガーとなった。どうすれば、曲が引き立つのか、それを身に沁みて感じたことだろう。それが次なる一歩への糧となる。これまでの実績通り、彼女には“曲を売る”歌唱力・表現力が備わっていた。オリジナルとカバーの違いは、その曲を従前に多くの人が知っているか否かだ。たとえ、カバーであっても、それがオリジナルの魅力を超えていればカバーはオリジナルとなり得るし、人の耳に届く機会が増えればイメージを覆すチャンスは生まれる。2月に発売される彼女の新作には、アニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』のオープニング曲も含まれるという。2015年に入って早々、May J.が新たな扉を開けようとしている。本当の勝負はこれからだ。
(文:田井裕規)