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伝説のフリッパーズ・ギターの真実!

初期2作が紙ジャケ再発プロデューサー吉田仁氏が語る真実


 もし彼らの存在がなければ現在の日本の音楽シーンはかなり違ったものになっていた。今なお、評価されるフリッパーズ・ギターの初期2枚のアルバム、『three cheers for our side〜海に行くつもりじゃなかった』(89年)と90年発表の2nd『CAMERA TALK』が8月25日に再発される。
 リアルタイムで体験した世代にとっては、もちろん懐かしいだろうし(事実、音楽業界には彼らに影響された30代が多い)、また彼らの音楽に間接的に影響を受けた世代のアーティストが現在、「ネオ渋谷系」なる静かなムーブメントを巻き起こしているなど、単なる「懐メロ」気分での再発とは一味違いそうな雰囲気が漂っている。


 
『three cheers for our side〜海に行くつもりじゃなかった』(MTCD-1069)8月25日発売 2500円(税込)
『CAMERA TALK』(MTCD-1070)8月25日発売 2500円(税込)


吉田 仁 氏(プロデューサー)
サロン・ミュージックとして、または、プロデューサーとして数多くの作品に携わる。「フリッパーズ・ギターは仕事として、腹を括ってやらなきゃということが多いバンドでしたが、その後の自分の仕事の方向性にも大きな影響を与えてくれたし、僕にとってもいい経験ができた仕事でした」
 彼らをプロデュースした吉田仁氏は当時をこう振り返る。「人づてにテープを聴かされたのが最初。すぐに気に入ったので、ライブを観に行って、そこで思ったのは一緒にやりたいけど、まずメジャーで普通に出せないだろうと(笑)。1stの頃はまだ演奏も意識もプロフェッショナルではなく、青くて、パンク的な要素が濃かった。具体的に言えば、1stは全曲、ピッチが早いんです。そんなバンドは他にいませんでした。でも2ndアルバムの前のシングル「フレンズ・アゲイン」辺りから変わっていくのが分かりました」

 80年代後半といえば、まだメジャーとインディー、あるいはオルタナティヴが完全に分かれていた時代。そのなかで彼らは、メジャーから英語詞のアルバムでデビューという、ある種、アナーキーでセンセーショナルな登場であった。先週プロデューサーインタビューで登場した牧村憲一氏も「フリッパーズ・ギターは洋楽のバンドだった」と語っていた。その点では吉田氏も意見は同じだ。

 「当時のメジャーシーンでは毛色の変わったバンドとして扱われていました。そういう風潮に対して彼らは、売れて、「一発食らわせたかった」のではないかと思います。「恋とマシンガン」は彼らのパンキッシュな姿勢が出ている曲だと思います」。

 当時彼らの音楽は一部のメディアを除き、本質的な部分の「パンク」な気分は伝わっていなかった。洋楽に影響を受けたオシャレなサウンド、ファッショナブルな存在、というように、後の渋谷系につながっていく記号としてしか、捉えられていなかった。しかし、シーンが成熟した今の時代だからこそ、彼らの「若さゆえの暴走」の記録が伝わっていくのではないだろうか。髪を立てるだけがパンクではないし、甘いだけがポップスではないと気づくに違いない。

 そしてサウンド的には、同時代的な洋楽サウンドがほとんど皆無の現在の状況だからこそ、彼らの、新たにリマスタリングされたサウンドが新鮮に響くのではないだろうか。「手前味噌になるけど……」と前置きした上で「フリッパーズ・ギターは、その前とその後の音楽シーンを大きく変えたと思う」とまとめた吉田仁氏。その威光は今回の再発でまたもや輝きを増しそうだ。

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