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ロック・フェスが音楽ビジネスに与えた影響とは!?


継続していることに今のロック・フェス文化の確立がある

 夏の恒例イベントとしてすっかり定着した夏のロック・フェスティバル。レゲエやテクノの大型野外イベントはかねてより開催されていたが、ロックが主役となる大型野外フェスティバルは、97年にスマッシュによって行われた「フジ・ロック・フェスティバル」がきっかけになったのは誰もが認めるところだろう。
フジ・ロック・フェスティバル

 しかし、周知の通り、この97年のフジロックは台風の影響により、暴風雨の中での開催となり、2日目は中止。そんな顛末をも乗り越え、翌年には希望にかなった会場もなかなか定まらないにもかかわらず、東京の豊洲で「フジロック98」を決行したことが大きな意味を持つ。そして、その98年の開催時期に、すでに99年の開催場所を捜し求め、ついに、本来のコンセプトに基づいた自然に囲まれた環境の中で音楽を楽しむ、ということを実現させた99年の苗場での開催が現在のようなロック・フェス定着へのきっかけを作ったといえよう。

  翌年の00年には、クリエイティブマンによる「サマーソニック」がスタート。この都市近郊型のフェスティバル「サマーソニック」も以降毎年開催されるようになり、夏フェス文化の定着を決定付けた。
 
ロック・フェスが音楽ビジネスに与えた影響

 これまでには全く定着してなかったロック主体の大型フェスティバルが、現在では夏の風物詩とまで言われるほどの人気を獲得したことは、音楽ビジネスにとって、多大なる貢献をしたことになる。

 「フジロックがなかったら、音楽業界はどうなっていただろうか?」という話は、よく取材の先々で語られてきた。とりわけ洋楽関係者にとっては、とてもシビアな話でもある。というのも、奇しくも第1回目のフジロックが行われた97年というのは、95年から下がり続けたジャンル別の売上枚数の洋楽のシェアが10%を切るという、まさにどん底を記録してしまった年だったのである。当時の誌面をひもとくと、95年13.3%、96年12.3%、そして97年が9.2%で、日本の音楽シーンでは、演歌と同様のシェアになっていた時期だった。各社洋楽部のスタッフは、いろいろなアイデアをひねって洋楽シェアの拡大のための策を練った。そんな中で、カタログ作品の再発やコンピレーション・アルバムという手段が目立つようになったのもこの頃だ。

 洋楽作品によるコンピレーション・アルバムの乱発は、多くの人の記憶に残っていることだろう。しかし、多くのオリジナル作品によるヒットを創出しなければ、本当の意味での洋楽シェア回復にはつながらない、という思いが心のどこかに潜んでいたことも否定できない。様々な切り口で制作された多くのコンピレーション・アルバムのリリースにも限界があった。

 そして、ロックフェス文化が定着するようになる頃より、洋楽シェアも徐々に回復するようになった。04年度(03年12/1〜04年11/29付)では、洋楽シェアは18.8%に、05年度(04年12/6〜05年11/28付)では、16.2%というように15%を越えるようになっているのである。

ロック・フェスの台頭によって洋楽プロモーションが変化

 直接的な要因を具体的に示すことは難しいが、ロック・フェスの果たした役割はやはり大きいと言えそうだ。それは、数万人規模のオーディエンスを前に、アーティストをプロモートできる点に表れているのだろう。スマッシュの代表、日高正博氏は97年の第1回目のフジロック開催前に、各レコード会社のスタッフに「フジロックに出てもらうことはいいキャンペーンになる。3万、4万のお客の前でやることは、必ず次へのステップアップにつながる…。プロモーションの仕方をシフトして考えてもらえないかと…」話している。

 今、振り返れば、時代を先取りした感性ともいえそうだ。最初に何かを始めることは、何事においても困難をきたすことになる。しかし、ブレーク・オン・スルー・トゥ・ジ・アザーサイドとばかりに、既成概念を打ち破り、それこそ倒産を覚悟で自分の思いを実現させた日高氏の功績はやはり大きいのではないだろうか。「フジロックがなかったら…、夏フェス文化が確立されていなかったら…」。洋楽だけに限らず、97年以降の音楽マーケットの規模はもっとシュリンクしていた可能性は否定できない。

 果たして現在は、そんなプロモーション効果を期待して、多くのアーティストが日本の夏フェスのために来日するようになった。それは音楽マーケットの市場拡大に一役買うことになった。こういったフェス形式のイベントは、一度の参加で多くのアーティストのパフォーマンスを体験でき、目当てのアーティスト以外にも、新たな魅力的なアーティストを発見できる楽しみがあるというのも人気確立の理由だが、これは、ユーザーが、コンピレーション・アルバムのごとくライヴを楽しんでいるとも考えられる。そう考えると、コンピレーション・アルバムの乱発も決して無駄にはなっていなかったのかもしれない。

 今年は、ウドー音楽事務所も夏フェス「UDO MUSIC FESTIVAL」を開催。04年に行った「ロック・オデッセイ」は05年には会場の問題があって見送ることになったが、会場を富士スピードウェイに移し名前も新たに参戦。サンタナ、ジェフ・ベック、キッスらというように、大人のロック世代に向けたラインナップで、フジロック、サマーソニックと並び、コンセプトがそれぞれ明確に分かれた形となり、ロック・フェスの市場拡大を大きく後押しすることになりそうだ。

 05年のロック・フェスの市場規模は、そのウドーのフェスが開催されなかった背景もあって、数字的には前年度を下回ったが(表参照)、邦楽主体のフェスの数も増えており、肌で感じるフェス人気の勢いは止まらない。10年という時間は、日本のフェス・ブランドの価値を高めることになったわけだが、それによって、海外からも日本のフェスをプロモーションの一環として捉えるようになっているという。リリースタイミングに合わせた大物アーティストの参加がますます可能になっていけば、パッケージセールス規模の拡大も十分に期待できるようになるだろう。

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