X JAPANのYOSHIKIが5日、都内で行われた第6回「金子堅太郎賞」授賞式に登壇し、渡米した頃を回顧した。
YOSHIKIは、92年の渡米以来、約34年にわたり米国を拠点に、日米間の音楽交流をリードしてきた。アメリカへ挑戦すると決めた時のことを、「日本人のアーティストとしてアメリカで頑張りたい。アメリカンドリームを追求したい、そう思ってアメリカに渡りました」と回顧。続けて「消して楽な道のりではなかったです。当時、英語はしゃべれませんでした。ただ、アメリカにいる以上、英語を学ぼうと努力しました。約2年で習得しました。1日何時間も勉強しました」と苦労した日々を明かした。
何百回も“日本に戻りたい”と思ったことがあったそう。しかし、「まだ自分は成し遂げていないという思いがあったのと、アメリカの方たちも、挑戦する日本人である僕を応援してくれている。いろんな要素があって34年経った今でも挑戦させていただいている。アメリカの皆さんにも日本の皆さんにも感謝したいです」と応援が歩み続ける力になっているそう。
成し遂げいていないことの1つが、9月26日に開催予定だった『2026 Global Citizen Festival: New York』だと言う。同フェスでYOSHIKIは、日本人アーティストとして初の出演を果たすはずだったが、悪天候と非常事態宣言の影響で中止になってしまった。「全て準備ができていて、歴史を変える意気込みで準備してきましたが、台風と非常事態宣言でキャンセルになってしまって非常悔しいです」と悔しさをにじませるも、「ここまで頑張ってこれたので、扉の向こう側には行けてないですけど、扉を開けることはできたと思っていますので。ぜひ、扉の向こう側のアメリカンドリームに足を踏み入れたいなと思っています」と期待を膨らませた。
同賞は、日米関係に多大な貢献をした人物に贈られる賞。日米協会初代会長でありポーツマス講和会議への道筋をつけた金子堅太郎氏を記念して創立100周年(2017)に制定された。今年は、正賞に久野明子氏(日米協会顧問)、コーゾー・キムラ氏(東京エクスプレス社社長)、そして特別賞にYOSHIKIが選出。YOSHIKIは、92年の渡米以来約34年にわたり米国を拠点に、日米間の音楽交流を牽引してきたことに加え、世界規模の慈善活動が高く評価された。
YOSHIKIは、92年の渡米以来、約34年にわたり米国を拠点に、日米間の音楽交流をリードしてきた。アメリカへ挑戦すると決めた時のことを、「日本人のアーティストとしてアメリカで頑張りたい。アメリカンドリームを追求したい、そう思ってアメリカに渡りました」と回顧。続けて「消して楽な道のりではなかったです。当時、英語はしゃべれませんでした。ただ、アメリカにいる以上、英語を学ぼうと努力しました。約2年で習得しました。1日何時間も勉強しました」と苦労した日々を明かした。
成し遂げいていないことの1つが、9月26日に開催予定だった『2026 Global Citizen Festival: New York』だと言う。同フェスでYOSHIKIは、日本人アーティストとして初の出演を果たすはずだったが、悪天候と非常事態宣言の影響で中止になってしまった。「全て準備ができていて、歴史を変える意気込みで準備してきましたが、台風と非常事態宣言でキャンセルになってしまって非常悔しいです」と悔しさをにじませるも、「ここまで頑張ってこれたので、扉の向こう側には行けてないですけど、扉を開けることはできたと思っていますので。ぜひ、扉の向こう側のアメリカンドリームに足を踏み入れたいなと思っています」と期待を膨らませた。
同賞は、日米関係に多大な貢献をした人物に贈られる賞。日米協会初代会長でありポーツマス講和会議への道筋をつけた金子堅太郎氏を記念して創立100周年(2017)に制定された。今年は、正賞に久野明子氏(日米協会顧問)、コーゾー・キムラ氏(東京エクスプレス社社長)、そして特別賞にYOSHIKIが選出。YOSHIKIは、92年の渡米以来約34年にわたり米国を拠点に、日米間の音楽交流を牽引してきたことに加え、世界規模の慈善活動が高く評価された。
2026/10/05