俳優の水崎綾女(34)が17日、自身のインスタグラムを更新し、阪神・淡路大震災から29年の節目に心境をつづった。
1989年生まれ、神戸出身。95年の1月17日を「何年経ってもあの日の事を忘れる事が出来ません。1月という寒い季節に起きた大震災。家が壊れ、高速道路も大きく倒れ、火災があちこちで起き、地震後すぐに雨でぐちゃぐちゃに。家もない、食べ物もない、水もない、服もない、何もなかった」と振り返り、「5歳ながら、なんとか気丈に保ち1年避難所を転々とし、4年仮設住宅に住んでいました」と明かした。
「生き埋めになってる人、火災に巻き込まれた人、5歳の私には助ける事ももちろん出来なくて、救援物資の取り合いなどもそばで見て、家族も多かった私は私1人でもいなくなれば少ない人数で分け与える事が出来るのかなぁと、幼心に感じていました」と証言し、「どうして私は生き残ったんだろ」とも感じたという。
そんな5歳当時の自身に、「私もそんなに強く生きられないけど、周りの人に助けてもらいながら生きてる。あの日があってよかったなんて絶対に思わないけど、それでも、その経験があるからこそ今はどこでも生きていける」と、29年を経てあらためて向き合った。
そして、能登半島地震に思いを寄せ「つらい時につらいって落ち込む事も大切だし、生きていかなくてはいけないけど笑顔じゃなくても、強くなくても大丈夫ですよと伝えたい」「被災者じゃない人たちも、毎日流れてくるNEWSに心痛める事もあるでしょう、無理に被災地の人に寄り添う必要もありません。まず自分自身に寄り添ってあげてください」とメッセージを発信した。
ファンからは「そんなご経験がおありだったんですね。存じ上げませんでした」「貴重な投稿ありがとうございます」「毎年メッセージが心に響きます」など、多数のコメントが寄せられている。
1989年生まれ、神戸出身。95年の1月17日を「何年経ってもあの日の事を忘れる事が出来ません。1月という寒い季節に起きた大震災。家が壊れ、高速道路も大きく倒れ、火災があちこちで起き、地震後すぐに雨でぐちゃぐちゃに。家もない、食べ物もない、水もない、服もない、何もなかった」と振り返り、「5歳ながら、なんとか気丈に保ち1年避難所を転々とし、4年仮設住宅に住んでいました」と明かした。
「生き埋めになってる人、火災に巻き込まれた人、5歳の私には助ける事ももちろん出来なくて、救援物資の取り合いなどもそばで見て、家族も多かった私は私1人でもいなくなれば少ない人数で分け与える事が出来るのかなぁと、幼心に感じていました」と証言し、「どうして私は生き残ったんだろ」とも感じたという。
そんな5歳当時の自身に、「私もそんなに強く生きられないけど、周りの人に助けてもらいながら生きてる。あの日があってよかったなんて絶対に思わないけど、それでも、その経験があるからこそ今はどこでも生きていける」と、29年を経てあらためて向き合った。
そして、能登半島地震に思いを寄せ「つらい時につらいって落ち込む事も大切だし、生きていかなくてはいけないけど笑顔じゃなくても、強くなくても大丈夫ですよと伝えたい」「被災者じゃない人たちも、毎日流れてくるNEWSに心痛める事もあるでしょう、無理に被災地の人に寄り添う必要もありません。まず自分自身に寄り添ってあげてください」とメッセージを発信した。
ファンからは「そんなご経験がおありだったんですね。存じ上げませんでした」「貴重な投稿ありがとうございます」「毎年メッセージが心に響きます」など、多数のコメントが寄せられている。
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2024/01/17