今年7月7日に73歳で亡くなったロックバンド・頭脳警察のボーカル&ギター、PANTAさんのお別れ会が1日、東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGEで行われた。
亡くなる約1ヶ月前の6月14日にも同所でライブを行い、生涯「ROCK屋」であり続けたPANTAさん。その意思に寄り添うように、この日のお別れ会は「献花式・ライブ葬」という形式で実施された。会場入り口の芳名板には、仲井戸麗市やミッキー吉野、クレイジーケンバンドの横山剣らアーティストのほか、俳優の竹中直人や映画監督の岩井俊二氏らの名前も並んだ。
ライブ葬が始まる直前、マネージャーがステージに上がり、会場に集ったファンに闘病の経過を報告できなかったことを謝罪。「2021年8月1日に体調を崩し、高熱があったことから医師の診断を受けたところ、胸に大きな影が写った。肺がんのステージ4、余命1年と宣告されました」と明かした。
そこから懸命な治療で復活をはたすが、「残念ながら病気はなくならず、刻一刻と階段を降りている状態だった」と説明。しかし「ステージに立つことへの強い意志を持って戦っていた」PANTAさんは、余命1年をすぎ、音楽活動のみならず舞台などのオファーも受けていたという。
そのさなか、PANTAさんは「生きたい。生きて歌っていたい。音楽がやりたい」と力強く語ったといい、マネージャーは「その意志を受けて2024年の2月までスケジュールを埋めようと。とにかく2ヶ月に1度はライブの予定を入れて、そこに向けて1歩ずつ進んでいくことを決めました」と振り返った。
今年2月に再び体調を崩し、意識不明の危篤状態に。医師からも“決意”を求められたというが、同日深夜にPANTAさんから「この歌詞を鈴木慶一(ムーンライダーズ)に送れと、危篤状態にもかかわらず歌詞を書き上げていた」と回顧。最後までPANTAさんが音楽を続ける姿勢を崩さなかったことを語り、誇った。
ライブ葬には、TOSHI(石塚俊明)、澤竜次、宮田岳、樋口素之助、おおくぼけい、竹内理恵と、同バンドの50周年も飾ったメンバーが参加。PANTAさんの生前の歌唱映像とともに渾身の演奏を披露した。
亡くなる約1ヶ月前の6月14日にも同所でライブを行い、生涯「ROCK屋」であり続けたPANTAさん。その意思に寄り添うように、この日のお別れ会は「献花式・ライブ葬」という形式で実施された。会場入り口の芳名板には、仲井戸麗市やミッキー吉野、クレイジーケンバンドの横山剣らアーティストのほか、俳優の竹中直人や映画監督の岩井俊二氏らの名前も並んだ。
ライブ葬が始まる直前、マネージャーがステージに上がり、会場に集ったファンに闘病の経過を報告できなかったことを謝罪。「2021年8月1日に体調を崩し、高熱があったことから医師の診断を受けたところ、胸に大きな影が写った。肺がんのステージ4、余命1年と宣告されました」と明かした。
そこから懸命な治療で復活をはたすが、「残念ながら病気はなくならず、刻一刻と階段を降りている状態だった」と説明。しかし「ステージに立つことへの強い意志を持って戦っていた」PANTAさんは、余命1年をすぎ、音楽活動のみならず舞台などのオファーも受けていたという。
そのさなか、PANTAさんは「生きたい。生きて歌っていたい。音楽がやりたい」と力強く語ったといい、マネージャーは「その意志を受けて2024年の2月までスケジュールを埋めようと。とにかく2ヶ月に1度はライブの予定を入れて、そこに向けて1歩ずつ進んでいくことを決めました」と振り返った。
今年2月に再び体調を崩し、意識不明の危篤状態に。医師からも“決意”を求められたというが、同日深夜にPANTAさんから「この歌詞を鈴木慶一(ムーンライダーズ)に送れと、危篤状態にもかかわらず歌詞を書き上げていた」と回顧。最後までPANTAさんが音楽を続ける姿勢を崩さなかったことを語り、誇った。
ライブ葬には、TOSHI(石塚俊明)、澤竜次、宮田岳、樋口素之助、おおくぼけい、竹内理恵と、同バンドの50周年も飾ったメンバーが参加。PANTAさんの生前の歌唱映像とともに渾身の演奏を披露した。
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2023/09/01