社会現象化した『冬のソナタ』ブームから約20年を経た今、韓国のエンタテインメントは、日本で確固たるポジションを築いている。黎明期から韓流・K-POPの魅力を日本に伝えてきた古家正亨氏の初エッセイ『K-POPバックステージパス』には、その人気が定着するまでの道のりが時系列でつづられている。韓国の俳優やアーティストの来日イベントで司会を務める“韓流MC”として有名な古家氏だが、もともとはラジオDJであり、今もK-POPにフォーカスした番組を持つ。その視点で描かれた本書には、当時の日本の音楽業界の反応はもちろん、日韓の多くのプレーヤーも登場しており、いかにして韓国エンタテインメントが日本に根付いたのかを知りたい人にとっては、貴重な資料と言えるだろう。
■大学生でラジオDJのキャリアをスタート ノースウェーブだから韓国音楽をオンエアできた
――『K-POPバックステージパス』の冒頭ではラジオDJを目指していた少年期のエピソードがつづられています。それを読み、改めて古家さんの根っこにはラジオがあるということがわかります。
僕が小・中学時代を過ごした1980年代のラジオDJは、僕らにとって、今で言うYouTuberのような憧れの存在でした。時代の変遷とともにラジオのパワーも当時に比べれば落ちてしまっていますが、ラジオにしかできないこともあると信じて今も続けています。
――その夢は大学時代に思わぬ形で叶うわけですが、ラジオDJのキャリアをスタートしたFMノースウェーブ(以下ノースウェーブ/北海道)は、80年代後半から90年代前半にかけて全国に開局した“ラジオ第2FM”の1つでした。あの頃は、地方からヒットが生まれていた時代で、当時の熱気も伝わってきて、懐かしく思い出しました。
J-WAVEをはじめとするJFL(Japan FM League)加盟の5局は“ミュージック・ステーション”として、先行するネットワークとは異なるカラーを追及していましたよね。ノースウェーブはR&Bを中心とした選曲でしたし、ZIP FM(愛知)はダンスミュージック、FM802(大阪)は邦楽ロック…といった具合にそれぞれ特徴がありました。また、今とは違い、5万枚、10万枚を売り上げるアーティストがかなりいましたし、各地で局所的に有名なアーティストもいて、音楽に関して言えば、活気のある面白い時代でした。その時代にラジオに関わることができたのは、自分にとって財産だと思っています。
――各局がそういった独自の選曲を行っていた時代だったからこそ、古家さんが推す韓国の音楽をかけることができたのだなと、改めて気づきました。
ラッキーなことに、1990年代後半から2000年代頭にかけて、韓国もR&Bやヒップホップのブームが起きていたのです。なので、当時のヒット曲をノースウェーブだから、かけやすかったというのはありましたね。多分、他局だったら難しかったかもしれません。当時の日本のR&Bって、日本的なフレーバーが加味されたものが多かったと思います。でも、韓国のR&Bは、在米韓国人の人たちが、外国人差別の中で自分たちのアイデンティティーを模索していて、その感性や感覚を母国に持ち込んで音楽に昇華させていったこともあり、そういった当時の人たちの苦悩みたいなものが表現された、まさにリズム&ブルースの世界を体現した、かなりアメリカ的なものだったのです。さらに、韓国語にはパッチム(子音)があるので、言葉としてリズミカルでラップにもノリやすい。「アジア人でこんなことができるのか!」とかなり大きな衝撃を受けました。そこで、2000年の頭に留学先の韓国から日本に戻り、再びノースウェーブでラジオDJとして働くことになった僕は、局に直訴して韓国の音楽を“半ば強引に”かけさせてもらったのです。
■“トライ&エラー”を繰り返し時代の潮流に乗ったK-POP 成功の陰に先人たちのたゆまぬ努力
学生とラジオDJを両立させ、充実した日々を送っていた古家氏だが、卒業を機にさらなるステップアップを目指して、カナダに渡る。97年春のことだった。英語の習得と、大学での専攻だった音楽療法を深く学びたいというのが目的だったが、その頃、韓国は空前の留学ブーム。入学した大学のクラスメートは、韓国人で占められており、そこで韓国のカルチャーに触れ、音楽にどっぷりハマっていった。
――韓国音楽に惹かれた理由を教えてください。何がそんなに新鮮だったのでしょうか。
僕の外見が韓国人っぽかったからなのか、韓国人のクラスメートたちと急速に仲良くなっていきました。そこで、彼らを通じて知る“韓国”と自分が持っていたイメージとに大きなギャップがあったことにショックを受けたのです。それに皆、おしゃれで、日本のことが大好きで、メディアが伝えるような反日的な人は、少なくとも僕の周りには誰一人いませんでした。韓国音楽に関しても、チョー・ヨンピル、キム・ヨンジャ、桂銀淑くらいしか知らなかった僕ですが、ある時、友人がプレゼントでくれた、シンガーソングライターのユ・ヒヨル(Toy)のアルバム『Toy2』を聴いて衝撃を受けたんです。曲ごとに雰囲気が変わり、ジャンルにカテゴライズされない自由な感じが新鮮で、あの音楽体験は一生忘れられません。
もともとシンガーソングライターが好きだったこともあり、他のアーティストも知りたくなって友人に尋ねると、皆がどんどんCDを貸してくれました。でも、当時韓国で流行っていた楽曲は、どれも格好良く魅力的なのに、何一つ日本に情報が入ってきていなかった。僕が知らないだけで、すごい国が日本の隣にあると思うと、カナダにいるのに頭は韓国で一杯になってしまって(笑)、思い切って韓国へ留学することにしました。
――大きな方向転換ですが、まさに運命の出合いだったわけですね。カナダを経由して98年1月には韓国の地を踏んでいた(笑)。
当時の韓国ではCDを買う人は少なくて、皆街頭で海賊版のカセットを買っていました。でも日本人の僕は、海賊版の購入だけは避けようと(笑)、CDショップでCDを買いまくっていたので、お店の人にはすごく感謝されましたし、どんどん仲良くなっていって、いろんな情報を教えてもらいました。そうやって、知れば知るほど、韓国の音楽にのめり込んでいく日々でしたね。でも、当時の韓国の人たちは、音楽はもちろん、あらゆる分野において日本に憧れを持っていました。というよりも、日本に追いつきたい、追い越したいという気持ちを強く持っていたように思います。
確かに2000年代前半は、日本の音楽界も、社会もそれなりに勢いがありましたよね。もしも…、という言葉はあまり使いたくないけれど、90年代から2000年代前半の日本の音楽の勢いが、ネット・SNS時代の今にあったなら、J-POPは世界を制覇できていたのではないかと思うことがあります。でも、残念ながら時代が少しずれていた。ただ、K-POPの今の成功は決して時代に恵まれていたからという理由だけではもたらされなかったと思います。実は多くの“トライ&エラー”を繰り返しながら、時代の潮流に多くの戦略の内のいくつかがズバッとハマり、その流れの中で今のムーブメントが生まれ、時代の寵児であるBTS誕生につながっていったのです。
■K-POPはもはやグローバルポップ “K”の括りは必要ない?
――そういったトライ&エラーを繰り返し、あきらめない姿勢は、日本も見習うところが多いですね。
ただ、その裏で大変な思いをして、業界から消えていった人を僕はたくさん見てきました。日本社会には成功しようが失敗しようが、その過程を認める許容力がありますが、残念ながら韓国は結果がすべて。成功の裏には先人たちの礎があって、もっとそこを評価するべきだとは思うのですが、どうしても限られた成功した人たちにだけスポットが当たるのは、気の毒な気がします。
――今のK-POPは、いろんな音楽を内包していますが、古家さんは、K-POPの“K”は何を指していると思われますか。
先日RMさん(BTS)がすごく面白いことを話していました。スペインメディアにK-POPの“K”について尋ねられて、「私たちの先祖(先駆者)たちの礎によって得た品質保証」と答えたのです。BoA然り、東方神起然り、海外で活躍したアーティストが韓国のポピュラーミュージック を“K-POP”という言葉で世に知らしめたという意味でのK-POPであって、今やK-POPで括られる音楽はグローバルポップになっている。もはやジャンルとしては意味を為さないわけです。おそらく質問した人も「“K”って括りはいらないのでは?」という意味で尋ねたと思いますし、RMさんも、もはやジャンルではないという思いがあったのではないでしょうか。だから個人的には、今後K-POPっていう括りは必要なくなっていくと思うのですが、そうなると今のK-POPと呼ばれているもののアイデンティティーは何なのか、となりますよね。
個人的には、そのK-POPらしさを“カルグンム”(切れ味抜群のダンスの意)から感じるわけです。つまりK-POPって「音楽という概念を超えたパフォーマンスまで含めた総合芸術」ではないかと思うんです。10年、20年とK-POPを応援してきた人にとっては“K”という括りに普遍的な価値を感じるとは思いますが、少なくとも今の10代の子たちはK-POPネイティブなので、K-POPという括りは必要ないのではないでしょうか。
■政治と文化を分けて考えては壁を越えられない「正解はなくても自分の答えを持っておいてほしい」
――ところで、古家さんは00年代後半に、いったん仕事をセーブしてジャーナリズムの勉強のため大学院に通われています。あのタイミングでジャーナリズムを学ぼうと思った理由を教えてください。
過去に何度もジャーナリズムを勉強して、自分が思っていることや感じたことを、自分の言葉で相手に伝える力を持つ必要性を感じる瞬間があったからです。大学院に入ってまず先生から、メディアは常に“Watch Dog”、つまり「権力を監視する番犬でなければならない」と言われたわけです。そんな意識のかけらもなかった僕でしたが、ラジオDJとしての活動を振り返り、知らないうちに強い権力に巻き込まれて、何も言えずに生きてきたことに気づかされたんです。今から10年ほど前、30代中盤の頃でしたが、あのタイミングで学べて本当に良かったですね。修論は本当に苦労しましたけど(笑)。
――韓国エンタテインメントを伝えるうえで、ジャーナリズムを学ぶ前と後で何か変化がありましたか。
それまでは「自分が好きなものを伝えたい」という思いでやってきましたが、それではダメなのだと気づかされました。日韓の歴史や政治問題については、ちょっと避けていたというか、切り離して考えようとしていたところもあって。もちろんニュースは見ていたし、勉強もしてきましたが、ただ好きなだけでは壁は超えられないと痛切に感じました。K-POPを紹介するにしても、背景にあるものをきちんと理解した上で伝えるのとそうでないのとでは大違い。真の意味で、好きなものを“いい”と推せるようになったのは、ジャーナリズムを学んだ後くらいからですね。
――読者に対して日韓の歴史を学んでほしいと呼びかけているのも、そういうお気持ちからなのですね。K-POPは異文化を知るきっかけであり、歴史の流れの中に今があることを理解しないと本当の文化の交流にはならない。“日韓のプロデューサーになりたい”という発言もそういった思いからでしょうか。
有難いことに今、いろんなK-POPアーティストや俳優のみなさんから、イベントのMCをやってほしいと指名していただきます。それに対して、「いいですね、古家さんばかりに仕事が集中して」と言われることもあって。以前は「そんなことないですよ」と謙遜していましたが、最近は「そりゃそうだよ。勉強しているもん」と言いたくなる時もあります。僕はMCというよりは、外国人の彼らに寄り添い、ホームグラウンドにいる時のように楽な気持ちで、ファンとコミュニケーションが取れるお手伝いをしたいという思いが強いのです。日本に来てイベントやコンサートをやるプレッシャーは相当なものだと思います。だから、わずか10分、20分のトークでも、どんな状況にも対応できるよう準備は怠りません。そういう積み重ねが満足してもらえる時間につながると思うからです。僕が最近こういう風に言うようになってきたのは、僕のような仕事をしたいと言う人が増えてきているからです。本気でやりたいと思うのであれば、ここまでやってほしいという気持ちがある。それが、気づいたらベテランの域に達していた、僕にできることなのかなと思うようになりました。
――だからこそ、表面的な理解に終わってほしくない、と。
僕がこれまで長い間この仕事に携わることができたのは、面倒くさいことは本当にたくさんあるけれど、それにきちんと向き合ってきたからだと思います。歴史や政治問題など、すぐに解決できないことはたくさんあるし、いろんな価値観があって正解は導き出せなくても、自分の答えを持っておくことは必要です。特に今後、日韓の間で何かをしたいと考えている人にとっては大事なことではないでしょうか。最近、渡韓して学ぶ人がすごく増えていますが、韓国を単なるブランドと考えず、しっかり理解して、いずれ日韓の将来を担える存在になってほしいと思いますね。
文・葛城博子
『K-POPバックステージパス』(イースト・プレス)
古家正亨・著/1650円(税込)/2022年12月発行
【目次】プロローグ/CHAPTER1 夢はラジオDJ/CHAPTER2 韓国との出会い/CHAPTER3 日本にカムバック/CHAPTER4 第一次韓流ブーム/CHAPTER5 冬のソナタがやってきた/CHAPTER6 韓流ブームの波に乗って/CHAPTER7 大阪から再出発/CHAPTER8 K-POPとK-POPに携わる人たちのこれから/エピローグ
■古家正亨(ふるや・まさゆき)氏プロフィール
1974年生まれ、北海道出身。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了。カナダ留学を経て98年に韓国留学。帰国後K-POPの魅力を伝える活動を、マスメディアを中心に展開。2009年には日本におけるK-POPの普及に貢献したとして、韓国政府より文化体育観光部長官褒章を受章。日本で開催される韓流・K-POPイベントのMCとしても知られるほか、ニッポン放送「古家正亨 K TRACKS」、NHK R1「古家正亨のPOP☆A」など数多くのラジオ、テレビ番組を担当。著書に『ALL ABOUT K-POP』(ソフトバンククリエイティブ)、『Disc Collection K-POP』(シンコーミュージック)、『韓国ミュージック・ビデオ読本』(キネマ旬報社)など。
■大学生でラジオDJのキャリアをスタート ノースウェーブだから韓国音楽をオンエアできた
――『K-POPバックステージパス』の冒頭ではラジオDJを目指していた少年期のエピソードがつづられています。それを読み、改めて古家さんの根っこにはラジオがあるということがわかります。
僕が小・中学時代を過ごした1980年代のラジオDJは、僕らにとって、今で言うYouTuberのような憧れの存在でした。時代の変遷とともにラジオのパワーも当時に比べれば落ちてしまっていますが、ラジオにしかできないこともあると信じて今も続けています。
――その夢は大学時代に思わぬ形で叶うわけですが、ラジオDJのキャリアをスタートしたFMノースウェーブ(以下ノースウェーブ/北海道)は、80年代後半から90年代前半にかけて全国に開局した“ラジオ第2FM”の1つでした。あの頃は、地方からヒットが生まれていた時代で、当時の熱気も伝わってきて、懐かしく思い出しました。
J-WAVEをはじめとするJFL(Japan FM League)加盟の5局は“ミュージック・ステーション”として、先行するネットワークとは異なるカラーを追及していましたよね。ノースウェーブはR&Bを中心とした選曲でしたし、ZIP FM(愛知)はダンスミュージック、FM802(大阪)は邦楽ロック…といった具合にそれぞれ特徴がありました。また、今とは違い、5万枚、10万枚を売り上げるアーティストがかなりいましたし、各地で局所的に有名なアーティストもいて、音楽に関して言えば、活気のある面白い時代でした。その時代にラジオに関わることができたのは、自分にとって財産だと思っています。
――各局がそういった独自の選曲を行っていた時代だったからこそ、古家さんが推す韓国の音楽をかけることができたのだなと、改めて気づきました。
ラッキーなことに、1990年代後半から2000年代頭にかけて、韓国もR&Bやヒップホップのブームが起きていたのです。なので、当時のヒット曲をノースウェーブだから、かけやすかったというのはありましたね。多分、他局だったら難しかったかもしれません。当時の日本のR&Bって、日本的なフレーバーが加味されたものが多かったと思います。でも、韓国のR&Bは、在米韓国人の人たちが、外国人差別の中で自分たちのアイデンティティーを模索していて、その感性や感覚を母国に持ち込んで音楽に昇華させていったこともあり、そういった当時の人たちの苦悩みたいなものが表現された、まさにリズム&ブルースの世界を体現した、かなりアメリカ的なものだったのです。さらに、韓国語にはパッチム(子音)があるので、言葉としてリズミカルでラップにもノリやすい。「アジア人でこんなことができるのか!」とかなり大きな衝撃を受けました。そこで、2000年の頭に留学先の韓国から日本に戻り、再びノースウェーブでラジオDJとして働くことになった僕は、局に直訴して韓国の音楽を“半ば強引に”かけさせてもらったのです。
■“トライ&エラー”を繰り返し時代の潮流に乗ったK-POP 成功の陰に先人たちのたゆまぬ努力
学生とラジオDJを両立させ、充実した日々を送っていた古家氏だが、卒業を機にさらなるステップアップを目指して、カナダに渡る。97年春のことだった。英語の習得と、大学での専攻だった音楽療法を深く学びたいというのが目的だったが、その頃、韓国は空前の留学ブーム。入学した大学のクラスメートは、韓国人で占められており、そこで韓国のカルチャーに触れ、音楽にどっぷりハマっていった。
――韓国音楽に惹かれた理由を教えてください。何がそんなに新鮮だったのでしょうか。
僕の外見が韓国人っぽかったからなのか、韓国人のクラスメートたちと急速に仲良くなっていきました。そこで、彼らを通じて知る“韓国”と自分が持っていたイメージとに大きなギャップがあったことにショックを受けたのです。それに皆、おしゃれで、日本のことが大好きで、メディアが伝えるような反日的な人は、少なくとも僕の周りには誰一人いませんでした。韓国音楽に関しても、チョー・ヨンピル、キム・ヨンジャ、桂銀淑くらいしか知らなかった僕ですが、ある時、友人がプレゼントでくれた、シンガーソングライターのユ・ヒヨル(Toy)のアルバム『Toy2』を聴いて衝撃を受けたんです。曲ごとに雰囲気が変わり、ジャンルにカテゴライズされない自由な感じが新鮮で、あの音楽体験は一生忘れられません。
もともとシンガーソングライターが好きだったこともあり、他のアーティストも知りたくなって友人に尋ねると、皆がどんどんCDを貸してくれました。でも、当時韓国で流行っていた楽曲は、どれも格好良く魅力的なのに、何一つ日本に情報が入ってきていなかった。僕が知らないだけで、すごい国が日本の隣にあると思うと、カナダにいるのに頭は韓国で一杯になってしまって(笑)、思い切って韓国へ留学することにしました。
――大きな方向転換ですが、まさに運命の出合いだったわけですね。カナダを経由して98年1月には韓国の地を踏んでいた(笑)。
当時の韓国ではCDを買う人は少なくて、皆街頭で海賊版のカセットを買っていました。でも日本人の僕は、海賊版の購入だけは避けようと(笑)、CDショップでCDを買いまくっていたので、お店の人にはすごく感謝されましたし、どんどん仲良くなっていって、いろんな情報を教えてもらいました。そうやって、知れば知るほど、韓国の音楽にのめり込んでいく日々でしたね。でも、当時の韓国の人たちは、音楽はもちろん、あらゆる分野において日本に憧れを持っていました。というよりも、日本に追いつきたい、追い越したいという気持ちを強く持っていたように思います。
確かに2000年代前半は、日本の音楽界も、社会もそれなりに勢いがありましたよね。もしも…、という言葉はあまり使いたくないけれど、90年代から2000年代前半の日本の音楽の勢いが、ネット・SNS時代の今にあったなら、J-POPは世界を制覇できていたのではないかと思うことがあります。でも、残念ながら時代が少しずれていた。ただ、K-POPの今の成功は決して時代に恵まれていたからという理由だけではもたらされなかったと思います。実は多くの“トライ&エラー”を繰り返しながら、時代の潮流に多くの戦略の内のいくつかがズバッとハマり、その流れの中で今のムーブメントが生まれ、時代の寵児であるBTS誕生につながっていったのです。
――そういったトライ&エラーを繰り返し、あきらめない姿勢は、日本も見習うところが多いですね。
ただ、その裏で大変な思いをして、業界から消えていった人を僕はたくさん見てきました。日本社会には成功しようが失敗しようが、その過程を認める許容力がありますが、残念ながら韓国は結果がすべて。成功の裏には先人たちの礎があって、もっとそこを評価するべきだとは思うのですが、どうしても限られた成功した人たちにだけスポットが当たるのは、気の毒な気がします。
――今のK-POPは、いろんな音楽を内包していますが、古家さんは、K-POPの“K”は何を指していると思われますか。
先日RMさん(BTS)がすごく面白いことを話していました。スペインメディアにK-POPの“K”について尋ねられて、「私たちの先祖(先駆者)たちの礎によって得た品質保証」と答えたのです。BoA然り、東方神起然り、海外で活躍したアーティストが韓国のポピュラーミュージック を“K-POP”という言葉で世に知らしめたという意味でのK-POPであって、今やK-POPで括られる音楽はグローバルポップになっている。もはやジャンルとしては意味を為さないわけです。おそらく質問した人も「“K”って括りはいらないのでは?」という意味で尋ねたと思いますし、RMさんも、もはやジャンルではないという思いがあったのではないでしょうか。だから個人的には、今後K-POPっていう括りは必要なくなっていくと思うのですが、そうなると今のK-POPと呼ばれているもののアイデンティティーは何なのか、となりますよね。
個人的には、そのK-POPらしさを“カルグンム”(切れ味抜群のダンスの意)から感じるわけです。つまりK-POPって「音楽という概念を超えたパフォーマンスまで含めた総合芸術」ではないかと思うんです。10年、20年とK-POPを応援してきた人にとっては“K”という括りに普遍的な価値を感じるとは思いますが、少なくとも今の10代の子たちはK-POPネイティブなので、K-POPという括りは必要ないのではないでしょうか。
■政治と文化を分けて考えては壁を越えられない「正解はなくても自分の答えを持っておいてほしい」
――ところで、古家さんは00年代後半に、いったん仕事をセーブしてジャーナリズムの勉強のため大学院に通われています。あのタイミングでジャーナリズムを学ぼうと思った理由を教えてください。
過去に何度もジャーナリズムを勉強して、自分が思っていることや感じたことを、自分の言葉で相手に伝える力を持つ必要性を感じる瞬間があったからです。大学院に入ってまず先生から、メディアは常に“Watch Dog”、つまり「権力を監視する番犬でなければならない」と言われたわけです。そんな意識のかけらもなかった僕でしたが、ラジオDJとしての活動を振り返り、知らないうちに強い権力に巻き込まれて、何も言えずに生きてきたことに気づかされたんです。今から10年ほど前、30代中盤の頃でしたが、あのタイミングで学べて本当に良かったですね。修論は本当に苦労しましたけど(笑)。
――韓国エンタテインメントを伝えるうえで、ジャーナリズムを学ぶ前と後で何か変化がありましたか。
それまでは「自分が好きなものを伝えたい」という思いでやってきましたが、それではダメなのだと気づかされました。日韓の歴史や政治問題については、ちょっと避けていたというか、切り離して考えようとしていたところもあって。もちろんニュースは見ていたし、勉強もしてきましたが、ただ好きなだけでは壁は超えられないと痛切に感じました。K-POPを紹介するにしても、背景にあるものをきちんと理解した上で伝えるのとそうでないのとでは大違い。真の意味で、好きなものを“いい”と推せるようになったのは、ジャーナリズムを学んだ後くらいからですね。
――読者に対して日韓の歴史を学んでほしいと呼びかけているのも、そういうお気持ちからなのですね。K-POPは異文化を知るきっかけであり、歴史の流れの中に今があることを理解しないと本当の文化の交流にはならない。“日韓のプロデューサーになりたい”という発言もそういった思いからでしょうか。
有難いことに今、いろんなK-POPアーティストや俳優のみなさんから、イベントのMCをやってほしいと指名していただきます。それに対して、「いいですね、古家さんばかりに仕事が集中して」と言われることもあって。以前は「そんなことないですよ」と謙遜していましたが、最近は「そりゃそうだよ。勉強しているもん」と言いたくなる時もあります。僕はMCというよりは、外国人の彼らに寄り添い、ホームグラウンドにいる時のように楽な気持ちで、ファンとコミュニケーションが取れるお手伝いをしたいという思いが強いのです。日本に来てイベントやコンサートをやるプレッシャーは相当なものだと思います。だから、わずか10分、20分のトークでも、どんな状況にも対応できるよう準備は怠りません。そういう積み重ねが満足してもらえる時間につながると思うからです。僕が最近こういう風に言うようになってきたのは、僕のような仕事をしたいと言う人が増えてきているからです。本気でやりたいと思うのであれば、ここまでやってほしいという気持ちがある。それが、気づいたらベテランの域に達していた、僕にできることなのかなと思うようになりました。
――だからこそ、表面的な理解に終わってほしくない、と。
僕がこれまで長い間この仕事に携わることができたのは、面倒くさいことは本当にたくさんあるけれど、それにきちんと向き合ってきたからだと思います。歴史や政治問題など、すぐに解決できないことはたくさんあるし、いろんな価値観があって正解は導き出せなくても、自分の答えを持っておくことは必要です。特に今後、日韓の間で何かをしたいと考えている人にとっては大事なことではないでしょうか。最近、渡韓して学ぶ人がすごく増えていますが、韓国を単なるブランドと考えず、しっかり理解して、いずれ日韓の将来を担える存在になってほしいと思いますね。
文・葛城博子
『K-POPバックステージパス』(イースト・プレス)
古家正亨・著/1650円(税込)/2022年12月発行
【目次】プロローグ/CHAPTER1 夢はラジオDJ/CHAPTER2 韓国との出会い/CHAPTER3 日本にカムバック/CHAPTER4 第一次韓流ブーム/CHAPTER5 冬のソナタがやってきた/CHAPTER6 韓流ブームの波に乗って/CHAPTER7 大阪から再出発/CHAPTER8 K-POPとK-POPに携わる人たちのこれから/エピローグ
■古家正亨(ふるや・まさゆき)氏プロフィール
1974年生まれ、北海道出身。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了。カナダ留学を経て98年に韓国留学。帰国後K-POPの魅力を伝える活動を、マスメディアを中心に展開。2009年には日本におけるK-POPの普及に貢献したとして、韓国政府より文化体育観光部長官褒章を受章。日本で開催される韓流・K-POPイベントのMCとしても知られるほか、ニッポン放送「古家正亨 K TRACKS」、NHK R1「古家正亨のPOP☆A」など数多くのラジオ、テレビ番組を担当。著書に『ALL ABOUT K-POP』(ソフトバンククリエイティブ)、『Disc Collection K-POP』(シンコーミュージック)、『韓国ミュージック・ビデオ読本』(キネマ旬報社)など。
2023/04/14





