“京女”を体現する俳優としても活躍した服飾評論家・市田ひろみさんが1日午後5時50分、急性呼吸不全のため京都市内の病院で死去した。90歳。昨年8月に股関節を骨折し、療養していたという。葬儀は4日に近親者のみで執り行われた。
市田さんは1932年7月10日生まれ。大阪市の出身で、一般企業で秘書として働いたのち、大映ニューフェイス(10期生)で俳優デビューし、1950年代〜60年代の映画に多数出演した。その後は京都の着物着付けを極め、「市田美容室」などから和装の魅力を発信した。
和装姿で1993年から出演したサントリー緑茶のテレビCMでは、京言葉をいかしたセリフまわしで大人気となるなど、“京女”を体現する存在となった。その後も、一貫した京都に根ざした振るまいで、テレビコメンテーターやエッセイストなど、幅広く活躍した。
日本和装師会の会長も務めて和装の海外発信に務めたほか、世界各地の民族衣装の収集にも尽力した。アフリカ・アジア・中南米の辺境の村でも“市田流おつきあい術”で言葉を超えた交友関係を深めた。
市田さんは1932年7月10日生まれ。大阪市の出身で、一般企業で秘書として働いたのち、大映ニューフェイス(10期生)で俳優デビューし、1950年代〜60年代の映画に多数出演した。その後は京都の着物着付けを極め、「市田美容室」などから和装の魅力を発信した。
和装姿で1993年から出演したサントリー緑茶のテレビCMでは、京言葉をいかしたセリフまわしで大人気となるなど、“京女”を体現する存在となった。その後も、一貫した京都に根ざした振るまいで、テレビコメンテーターやエッセイストなど、幅広く活躍した。
日本和装師会の会長も務めて和装の海外発信に務めたほか、世界各地の民族衣装の収集にも尽力した。アフリカ・アジア・中南米の辺境の村でも“市田流おつきあい術”で言葉を超えた交友関係を深めた。
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2022/08/08