25日に公開されるシリーズ23作目となるアニメ映画『劇場版ポケットモンスター ココ』。ジャングルを舞台に、ポケモンに育てられた少年・ココと、ココを育てた幻のポケモン・ザルードの親子愛を描いた、「ポケモンが人間を育てる」という今までにない親子の物語が展開される。親子愛にスポットを当てた物語だが、その中で主人公・サトシが、1997年にスタートしたテレビアニメシリーズを含め、今まで明かされてこなかった父親について、今作で初めて触れた。「サトシの性格・行動の起源が父親からあったことがわかります」「活動の原動力に家族の存在があるべきだと感じています。それはサトシもまだ、親子愛を必要とする10歳の少年だからです」と話す矢嶋哲生監督に“親子愛”の深さを語ってもらった。
■「本当の親子って?」“親子の定義”の疑問をポケモンで表現した狙い
――今作の映画テーマは「本当の親子って? 育てるって何だ??」。ポケモンと人間の変わった親子の物語ですが、過去に映画で描いたことがあった“家族愛”から踏み込んで“親子愛”にスポットを当てた理由は何でしょうか。
【矢嶋監督】 私には今、5歳の息子と2歳の娘がいます。2人の影響で、今まで私が持っていた人生観が変わり、物語のテーマを“親子”にしました。子どもたちに伝えたいメッセージよりも、子どもたちから受け取ったメッセージを、人間とポケモンの関係性で表現できたらいいなと思いました。映画では、私自身が感じたことをザルード目線で伝えています。
ずっとアニメ作品を作りたいので、個人的な考えとして「死にたくない」思いが強く、「ずっと生きていたい」というのがあります(笑)。死んでしまったら作れなくなるので、“生きる”ことへの執着のようなものが今までありました。それがある日、隣で寝ている息子の姿を見た時に、この子と無人島で遭難したら「命をかけて守るよな」「自分の命よりも大切な存在だ」と思いました。親としては当たり前なことだとは思いますが、その時に「あれ? 自分は生きることに執着していない」と感じたわけです。“生”に執着しなくなった時に初めて、自分の人生がなくなったと感じました。「この子の人生のために、自分という存在がいるんだな」と考え、2人の子どもの影響で大きく人生が変わった瞬間でした。
映画の中では森の掟に反してココを育てることを決めたザルードの姿が描かれますが、ザルードが今まで大事にしていた“掟”が、私にとっては大切にしていた“生への執着”であり、ココと出会い考えが変わるザルードは、子どもたちと出会って考えが変化した私自身なのです。今まで大切にしていた掟や考えを変えることは勇気がいることだとは思いますが、悩むことなく自然とそうなったことに不思議さや面白さを感じたのです。
――親子愛を描く上で、“ポケモンと人”という種族の違う親子関係にした理由が気になりました。
【矢嶋監督】 まず、人それぞれ“親子の定義”が違うことに気づき、親子の物語を描くことは大変難しいことでした。家庭環境もみなさん違いますし、複雑な親子関係があると思いますが、その中で“普通の家庭”の定義を出すのは作り手として悩んだところです。ですが、みなさん違う家庭環境の中で、必ずあるだろう“核”の部分はルーツに由来しないだろうと考えました。親子に血の繋がりがなくても、核である“揺るがない絆”があれば親子なのではないかと。その時にルーツである血の繋がりがなく、姿も違う「人間とポケモン」の親子関係を今作で描く意味が生まれてくると思いました。これまで『ポケモン』作品は、人間とポケモンが共存する世界を描いてきましたが、その関係性に一歩踏み出せた作品になったと思います。
みなさん家庭環境が違うので「〇〇ちゃんの家は、このおもちゃ買ってくれたのに、うちは買ってくれない」というのは誰しも一度経験したことがあると思います。その際、「俺は大切にされていない。本当の子どもじゃないんだ」などと感じた人もいると思いますが、私自身もそのような経験をして「家出する!」と庭の隅でうずくまっていたり(笑)。そんな経験もあり、人は親子関係に疑問を持つことは珍しくないと感じていました。
■サトシの“行動力”原点は父親 まだ10歳の少年…心に刻む教え
――物語ではココが「自分はポケモンなのか? それとも人間なのか?」と自身の存在、親子関係に悩む姿が印象的です。その姿に対し、初めて主人公のサトシが自身の父親から受けた影響、思い出を語ります。これまでもテレビアニメ・映画に母親は登場していましたが、このタイミングで父親に触れたことにファンとして一番驚きました。【矢嶋監督】 映画では、ザルードが赤ん坊のココを10年間育てたあとの物語が展開されています。暮らしているジャングルでサトシとピカチュウに出会い、自分のことをポケモンだと信じて疑わなかったココの胸の中に少しずつ疑問が芽生え始め、「父ちゃん、オレはニンゲンなの?」と自分という存在、親子関係に悩む姿が描かれます。
その中で「ココたちを見てたらさ、パパとの事思い出しちゃった。」などと『ポケモン』シリーズで初めてサトシが父親について言及しますが、父親であるザルードとの親子関係に悩むココの姿を見て、サトシが自分の父親について語らないのは不自然だと思いました。今まで父親について触れることがなかったサトシですが、この“親子の物語”であれば触れるべき理由があるので、父・ザルードと息子・ココの姿を見て、サトシが父親についてどのように思っていたのかは必要なことでした。ココにも言えることですが、育ててくれた親がいるからこそ、自身の存在や行動理由があるはずなのです。また、サトシは見下したりせず、誰に対しても同じ目線で友達になれる少年なので、母親ではなく父親について話すことで、友達のココに寄り添ったのです。
サトシはみなさんがご存知の通り、諦めない、プラス思考の元気な少年です。このサトシの姿、行動の原点というのは父親からの言葉だとすると、行動理由に納得がいくと思いますし、今回のテーマ「親子の物語」に沿っていると思いました。ポケモンマスターを目指すサトシですが、その活動の原動力に家族の存在があるべきだと感じています。それはサトシもまだ、親子愛を必要とする10歳の少年だからです。今回、初めて父親との思い出を語ったことで、サトシの性格・行動の起源が父親からあったことがわかると思います。
――親子の絆で悩むココ、そして父親の言葉が行動の核にあるサトシ…など、映画を観る人たちに“親子”の多義的なあり方を問いかけた作品だと思いました。
【矢嶋監督】 今回のサトシはザルード、ココの関係性を見る第三者の立場として、我々、観客に近い目線で行動しています。なので最初は、母親と少しケンカするような形にして、最後は「話したくなっちゃって…」と自ら母親に電話をかけるなど“甘えん坊”の一面を見せています。この映画を見た人が「当たり前にある“親子”の関係性は、実は特別な存在でかけがえのないもの」と思ってもらえるとうれしいです。
また、映画館には親子に限らず、1人で観に来ていただける大人のファンが大勢いると思います。今年はコロナ禍で実家帰省がなかなかできないこともあるので、サトシのように電話したり、離れていてもいろんな形で“親子”について語ってほしいです。私は35歳ですが、この歳になると親に対して感謝の気持ちを伝えることは恥ずかしくて、伝えられないことが多いので(笑)。
親子というものは、血の繋がりのルーツや姿、形など関係ないと思っています。妻と話したこともあるのですが、例えば自分の息子が病院で取り違えられていたとしても、今の子を一生愛し続けます。その話の中で「じゃ、親子の関係はそもそも何だろう?」となるわけです。形でもなければ、言葉にすることが難しい何かであり、この映画でその“何か”を共有してもらえたらと思います。“親子”の言葉の深さを考えていただき、映画を観終わったあとに手を繋いで帰ってもらえたら作り手として最高の幸せです。人と種族が違うポケモンだからこそ伝えることができた映画になりました。
■「本当の親子って?」“親子の定義”の疑問をポケモンで表現した狙い
――今作の映画テーマは「本当の親子って? 育てるって何だ??」。ポケモンと人間の変わった親子の物語ですが、過去に映画で描いたことがあった“家族愛”から踏み込んで“親子愛”にスポットを当てた理由は何でしょうか。
【矢嶋監督】 私には今、5歳の息子と2歳の娘がいます。2人の影響で、今まで私が持っていた人生観が変わり、物語のテーマを“親子”にしました。子どもたちに伝えたいメッセージよりも、子どもたちから受け取ったメッセージを、人間とポケモンの関係性で表現できたらいいなと思いました。映画では、私自身が感じたことをザルード目線で伝えています。
ずっとアニメ作品を作りたいので、個人的な考えとして「死にたくない」思いが強く、「ずっと生きていたい」というのがあります(笑)。死んでしまったら作れなくなるので、“生きる”ことへの執着のようなものが今までありました。それがある日、隣で寝ている息子の姿を見た時に、この子と無人島で遭難したら「命をかけて守るよな」「自分の命よりも大切な存在だ」と思いました。親としては当たり前なことだとは思いますが、その時に「あれ? 自分は生きることに執着していない」と感じたわけです。“生”に執着しなくなった時に初めて、自分の人生がなくなったと感じました。「この子の人生のために、自分という存在がいるんだな」と考え、2人の子どもの影響で大きく人生が変わった瞬間でした。
映画の中では森の掟に反してココを育てることを決めたザルードの姿が描かれますが、ザルードが今まで大事にしていた“掟”が、私にとっては大切にしていた“生への執着”であり、ココと出会い考えが変わるザルードは、子どもたちと出会って考えが変化した私自身なのです。今まで大切にしていた掟や考えを変えることは勇気がいることだとは思いますが、悩むことなく自然とそうなったことに不思議さや面白さを感じたのです。
――親子愛を描く上で、“ポケモンと人”という種族の違う親子関係にした理由が気になりました。
【矢嶋監督】 まず、人それぞれ“親子の定義”が違うことに気づき、親子の物語を描くことは大変難しいことでした。家庭環境もみなさん違いますし、複雑な親子関係があると思いますが、その中で“普通の家庭”の定義を出すのは作り手として悩んだところです。ですが、みなさん違う家庭環境の中で、必ずあるだろう“核”の部分はルーツに由来しないだろうと考えました。親子に血の繋がりがなくても、核である“揺るがない絆”があれば親子なのではないかと。その時にルーツである血の繋がりがなく、姿も違う「人間とポケモン」の親子関係を今作で描く意味が生まれてくると思いました。これまで『ポケモン』作品は、人間とポケモンが共存する世界を描いてきましたが、その関係性に一歩踏み出せた作品になったと思います。
みなさん家庭環境が違うので「〇〇ちゃんの家は、このおもちゃ買ってくれたのに、うちは買ってくれない」というのは誰しも一度経験したことがあると思います。その際、「俺は大切にされていない。本当の子どもじゃないんだ」などと感じた人もいると思いますが、私自身もそのような経験をして「家出する!」と庭の隅でうずくまっていたり(笑)。そんな経験もあり、人は親子関係に疑問を持つことは珍しくないと感じていました。
■サトシの“行動力”原点は父親 まだ10歳の少年…心に刻む教え
――物語ではココが「自分はポケモンなのか? それとも人間なのか?」と自身の存在、親子関係に悩む姿が印象的です。その姿に対し、初めて主人公のサトシが自身の父親から受けた影響、思い出を語ります。これまでもテレビアニメ・映画に母親は登場していましたが、このタイミングで父親に触れたことにファンとして一番驚きました。【矢嶋監督】 映画では、ザルードが赤ん坊のココを10年間育てたあとの物語が展開されています。暮らしているジャングルでサトシとピカチュウに出会い、自分のことをポケモンだと信じて疑わなかったココの胸の中に少しずつ疑問が芽生え始め、「父ちゃん、オレはニンゲンなの?」と自分という存在、親子関係に悩む姿が描かれます。
その中で「ココたちを見てたらさ、パパとの事思い出しちゃった。」などと『ポケモン』シリーズで初めてサトシが父親について言及しますが、父親であるザルードとの親子関係に悩むココの姿を見て、サトシが自分の父親について語らないのは不自然だと思いました。今まで父親について触れることがなかったサトシですが、この“親子の物語”であれば触れるべき理由があるので、父・ザルードと息子・ココの姿を見て、サトシが父親についてどのように思っていたのかは必要なことでした。ココにも言えることですが、育ててくれた親がいるからこそ、自身の存在や行動理由があるはずなのです。また、サトシは見下したりせず、誰に対しても同じ目線で友達になれる少年なので、母親ではなく父親について話すことで、友達のココに寄り添ったのです。
サトシはみなさんがご存知の通り、諦めない、プラス思考の元気な少年です。このサトシの姿、行動の原点というのは父親からの言葉だとすると、行動理由に納得がいくと思いますし、今回のテーマ「親子の物語」に沿っていると思いました。ポケモンマスターを目指すサトシですが、その活動の原動力に家族の存在があるべきだと感じています。それはサトシもまだ、親子愛を必要とする10歳の少年だからです。今回、初めて父親との思い出を語ったことで、サトシの性格・行動の起源が父親からあったことがわかると思います。
――親子の絆で悩むココ、そして父親の言葉が行動の核にあるサトシ…など、映画を観る人たちに“親子”の多義的なあり方を問いかけた作品だと思いました。
【矢嶋監督】 今回のサトシはザルード、ココの関係性を見る第三者の立場として、我々、観客に近い目線で行動しています。なので最初は、母親と少しケンカするような形にして、最後は「話したくなっちゃって…」と自ら母親に電話をかけるなど“甘えん坊”の一面を見せています。この映画を見た人が「当たり前にある“親子”の関係性は、実は特別な存在でかけがえのないもの」と思ってもらえるとうれしいです。
また、映画館には親子に限らず、1人で観に来ていただける大人のファンが大勢いると思います。今年はコロナ禍で実家帰省がなかなかできないこともあるので、サトシのように電話したり、離れていてもいろんな形で“親子”について語ってほしいです。私は35歳ですが、この歳になると親に対して感謝の気持ちを伝えることは恥ずかしくて、伝えられないことが多いので(笑)。
親子というものは、血の繋がりのルーツや姿、形など関係ないと思っています。妻と話したこともあるのですが、例えば自分の息子が病院で取り違えられていたとしても、今の子を一生愛し続けます。その話の中で「じゃ、親子の関係はそもそも何だろう?」となるわけです。形でもなければ、言葉にすることが難しい何かであり、この映画でその“何か”を共有してもらえたらと思います。“親子”の言葉の深さを考えていただき、映画を観終わったあとに手を繋いで帰ってもらえたら作り手として最高の幸せです。人と種族が違うポケモンだからこそ伝えることができた映画になりました。
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2020/12/24