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登山家・栗城史多さんを追悼 アンナプルナ密着ドキュメンタリー再放送

 5月21日にエベレストで下山中に事故で亡くなった登山家・栗城史多さん(享年35)の挑戦を追ったドキュメンタリー『頂の彼方に…栗城史多の挑戦』(BSジャパンにて2010年7月17日初回放送)が、今月14日(後5:58〜7:55)に同チャンネルで再放送される。

6月14日、BSジャパンで『頂の彼方に…栗城史多の挑戦』(2010年7月17日初回放送)の追悼放送が決定(C)BSジャパン

6月14日、BSジャパンで『頂の彼方に…栗城史多の挑戦』(2010年7月17日初回放送)の追悼放送が決定(C)BSジャパン

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 栗城さんが2010年5月、アンナプルナI峰(8091メートル)山頂へアタックする全貌に密着したオールVTRドキュメンタリー番組。栗城さんがヒマラヤを舞台に人生を懸けて伝えようとした、「冒険の共有」「否定の壁を壊す」「一歩を越える勇気」など、数々のメッセージが、当時の生き生きとした「極限状況での生のリアリティ」とともによみがえる。ナレーションは俳優の遠藤憲一が担当している。

 アンナプルナは、“世界の屋根”ヒマラヤ山脈に属する山群の総称。サンスクリットで「豊穣の女神」の意味。その中で、アンナプルナI峰は、標高世界第10位。雪崩が頻繁に起きることから過去に多くの登山家が命を落とし、“世界で最も死亡率の高い山”として知られている。そんな山の頂を唯一人で目指す若き登山家、当時28歳の栗城さんだ。彼はその模様を世界に向けてネット中継するという。

 中継のため、栗城は敢えて10数キロのアンテナと機材を背負い、登山を続ける。「登るだけじゃ意味が無い。みんなと感動を共有できないと…」。しかし、その道程は腰まで潜る積雪が延々と続き、過酷さを増してゆく。果たして“登頂&生中継”は実現できるのか?

 実は、栗城さん、高校卒業後、上京し、やりたいことも見つからずアパートで引きこもり生活を送っていた時期があったという。そんな彼が大学山岳部に入部して登山を始め、2004年、北米大陸最高峰のマッキンリー(6194メートル)単独登頂に成功。続いて南米最高峰アコンカグア(6962メートル)、アフリカ最高峰キリマンジャロ(5895メートル)など、わずか3年のうちに世界7大陸の最高峰=7サミットのうち6つの頂を制覇。さらに、チョ・オユー(8201メートル)、マナスル(8163メートル)、ダウラギリ(8167メートル)というヒマラヤ8000メートル峰のうち3座の単独・無酸素登頂に成功する。

 しかも、栗城さんは「一人でも多くの人と冒険の共有をしたい」という思いから、過去のすべての登山の模様を自らビデオ撮影、チョ・オユー以降はネット上で動画配信してきた。デス・ゾーンと言われる標高7500メートル超の極限状態でさえ自らの状況をセルフリポートしてきた。“命がけのセルフ撮影”映像も番組で紹介する。

■同行プロデューサーが追悼コメント

 栗城さんはその後、12年秋にエベレスト西稜で両手・両足・鼻が重度の凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、14年7月にブロードピーク(標高8047メートル)に無酸素・単独登頂で復帰。そして、今年5月21日、エベレスト8回目の挑戦で、7400メートル付近で体調不良を理由に登頂を断念。下山中に滑落したとみられ6600メートル付近で遺体が発見された。今回の再放送に向けて、栗城さんの遠征に4回同行した梅崎陽プロデューサー(テレビ東京)が寄せた追悼コメントは以下のとおり。

* * *
 栗城史多、享年35。エベレストでの事故がなければ6月9日には誕生日を迎えたはずでした。35年間という彼の短い生涯のうち関われたのはわずか数年。ヒマラヤアンナプルナ、3度のエベレスト遠征に同行撮影させていただきました。

 先月21日「栗城さんがエベレストで遺体で見つかった」ニュースは職場で衝撃をもって広がりました。誰もがショックを隠せず、同時に「でも、なぜ…?」との思いを口々に話しました。

 「なぜ凍傷で殆どの指を失っても挑戦し続けたのか?」
 「なぜトップクライマーですら登頂が困難なルートを選んだのか?」
 「なぜ登山に代わる生き方を選択しなかったのか?」…

 その多くの「なぜ?」を遺して栗城さんは逝ってしまった。「なぜ?」は今も消えることなく心の澱(おり)となって離れません。

 そもそも人はなぜ山を登るのか? 人はなぜ冒険するのか? 人間はこのシンプルな問いに対して、未だに明確な回答を導き出せていない気がします。一方で個人的には、栗城さんの姿を追い続けたことで、2つのことを自分なりに感じ取りました。

 一つは、「この世界には自らのすべてを懸けるに値する何かがきっとある」ということ。もう一つは「冒険の価値は自分自身が決める」ということ。日常の中で、例えば自転車をなんとか乗りこなせるようになった少年が、初めて自分の足で、知らない街に到達したとします。大人の目からするとひょっとしたら「他愛ないこと」かもしれません。でも少年にとって「人生の冒険」の扉を開く第一歩だとしたら…それは「冒険」がもたらしてくれた彼だけのかけがえのない体験ではないか?と。

 古の時代から、「危険すぎる」「無理に決まってる」との声を浴びながらも、海に漕ぎだした人、未踏の頂を目指した人、未開の地に踏み入れた名もなき人々――彼らがいたからこそ、私たちは人類の持つ限りない可能性に希望を見出してきました。もちろんそうした先人と栗城さんを同列視はできないし、指摘や批判が示す通り“「冒険」と「無謀な試み」は別もの”と、多くの人が言うでしょう。栗城さんの冒険スタイルを全面的に支持するということではありません。

 ただ、栗城さんが発信し続けてきた「冒険の共有」というメッセージは、「僕のチャレンジを共有してください」ではなく「自分にとっての“見えない山”」。何でもいい、ちっぽけなことでもいい。自分の多くを傾ける何かを見つけよう。そんな「冒険心」を共有しよう…という気持ちだったんだなと、今さらながら思います。

 また栗城さん自身もおそらく、先ほどの「なぜ?」への明確な答えは抱いてなかったのではないかと。なぜなら「言いようのない衝動」「表現できないザワザワとした漂泊の想い」「見たことのない景色への憧れ」など、冒険の源となる感情はいくら言葉を尽くしても言い表せないだろうからです。多くの人でなくていい。冒険者のメッセージがわずかでも響き、誰かの心の奥底に眠っている魂に火を灯し、世界への一歩を踏み出す勇気に目覚める人が絶えることなく、その灯がこれからも続くよう、願ってやみません。

 めまぐるしい日常の中でふと、リュックを背負った彼の背中を雑踏の中に探してしまいます。ひょっとしたら彼の魂が次なる挑戦へ向けて一歩ずつ歩んでいるのではないかと。懐かしい故郷の大地か、世界最高峰か…? それともすでに魂は、さらに高みに向かっているのかもしれません。彼があきらめることなく目指し続けた頂の彼方へと。(梅崎陽プロデューサー)

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