14日放送のフジテレビ系『めちゃ×2イケてるっ!スペシャル』(後6:30〜8:54)で、歌手の三浦大知と一緒にステージで踊ったナインティナイン・岡村隆史(47)。1997年10月にスタートした「オカムラオファーシリーズ」の20周年&第15弾企画として行われた今回、努力の人・岡村をして「練習量も過去最高」と言わしめた難易度の高い挑戦となった。放送を控え、岡村が番組に対する熱い思いを語ってくれた。
ひとつの節目を迎えたオファーシリーズだが、岡村は「オファーシリーズって毎回楽しくはないですよね。終わったら『お疲れ様でした』って言って帰っていくだけですから。誰も何も言ってくれないし、スタッフは編集作業があるから撤収に命かけていますから。軽く打ち上げとかもあるんですけど、それから家に帰って、ひとりで第3のビールを飲んでっていう…1回目からそんな感じです」ときっぱり。
1997年のオファー第1弾は、ジャニーズJr.に入り、SMAPのコンサートに飛び入り参加するものだったが「今でも思い出に残っています。今もふと思うんですけど、この時は特に『これ、何がオモロイんやろうな』って思っていた」と回想。手応えのないままダンスを終えた後、珍しく相方の矢部浩之に「オモロかった?」と尋ねたといい「相方が『今までのめちゃイケで一番面白かったと思うで』って言ってくれた。でも、僕はカメラが回っているところで『もう、二度とやりません』って宣言してしまったんですよね」と若気の至りを反省した。
その時は打ち上げにも参加せず、地元の友だちと「踊っただけで、何も手応えなかったわ」と愚痴をこぼしていたという岡村だったが「実際にオンエアを見たら『これ、オモロイな』って思った」とにっこり。4年後に行われた第8弾のモーニング娘。オファー後の打ち上げの席上、総合演出のスタッフから「SMAPコンサートの時、お前は『二度とやりません』って言ったんだぞ。殺してやろうかと思った」と言われたと明かし「ちょうど、第1回から始まって、第8回で謝るっていうことがありましたね」となつかしんだ。
昨年20周年を迎えた『めちゃイケ』への恩義も感じている。「26歳の時に始まったんですけど、まだ『若手だけで土曜の8時が務まるのか』みたいな感じでしたけど、なんとか20年以上やってきて。やっぱり『めちゃイケ』に育ててもらったという思いがメンバー全員あると思います。『やるんだ』って言われたら、全員が『やります』という、そういうチームでやってきた。めいめい仕事が増えてきたとしても『めちゃイケ』っていうホームに戻ってきたら『やらないとね』っていう意識になるんですよね」。
ギリギリまで自身を追い込み、コメディアンとして常に最高のパフォーマンスを見せている岡村だが、オファーシリーズでは毎回重圧と戦っている。「今回も47歳でこれだけ激しくやらせてもらって、ケガでもしたら本番できないですけど、そこはどう考えていますかと(笑)。ましてや、40歳の時に(一時的に芸能活動を)休んでいますけど、これだけ自分を追い込んで、また休むという危険性はお考えじゃないのかなと。でも、これだけ番組を預けてもらっている以上、すべてがのしかかってくるプレッシャーもあるんですけど『じゃあ、やったるわ』っていう気持ちです」。言葉を慎重に選びながら語る岡村の姿に『めちゃイケ』の屋台骨を支える覚悟が見えた。
◆これまでの「岡村オファーシリーズ」の歴史
第1弾 1997年10月4日 ジャニーズJr.に入り、SMAPのコンサートに飛び入り参加
第2弾 1998年5月2日 中居正広主演の月9ドラマ『ブラザーズ』にゲスト出演
第3弾 1998年6月20・27日 一般視聴者の結婚披露宴の司会に挑戦
第4弾 1998年12月26日 『新春かくし芸大会』で中国ゴマに挑戦
第5弾 1999年10月9日 ムツゴロウさん(畑正憲)と競馬対決
第6弾 1999年12月31日 42.195キロのマラソンに挑戦
第7弾 2000年10月14日 劇団四季のミュージカル『ライオンキング』に出演
第8弾 2001年10月13日 「モーニング娘。」の修学旅行を引率、コンサートにも出演
第9弾 2004年7月24〜25日 具志堅用高とボクシング対決
第10弾 2005年10月8日 横峯さくらとゴルフ対決
第11弾 2007年10月6日 EXILEのライブに出演
第12弾 2008年10月4日 松岡修造の指導のもと、杉山愛とテニス対決
第13弾 2013年9月21日 市川海老蔵の歌舞伎に出演
第14弾 2013年10月12日 引退するHIROのため、EXILEのライブに出演
第15弾 2017年10月14日 三浦大知のライブに出演
ひとつの節目を迎えたオファーシリーズだが、岡村は「オファーシリーズって毎回楽しくはないですよね。終わったら『お疲れ様でした』って言って帰っていくだけですから。誰も何も言ってくれないし、スタッフは編集作業があるから撤収に命かけていますから。軽く打ち上げとかもあるんですけど、それから家に帰って、ひとりで第3のビールを飲んでっていう…1回目からそんな感じです」ときっぱり。
1997年のオファー第1弾は、ジャニーズJr.に入り、SMAPのコンサートに飛び入り参加するものだったが「今でも思い出に残っています。今もふと思うんですけど、この時は特に『これ、何がオモロイんやろうな』って思っていた」と回想。手応えのないままダンスを終えた後、珍しく相方の矢部浩之に「オモロかった?」と尋ねたといい「相方が『今までのめちゃイケで一番面白かったと思うで』って言ってくれた。でも、僕はカメラが回っているところで『もう、二度とやりません』って宣言してしまったんですよね」と若気の至りを反省した。
その時は打ち上げにも参加せず、地元の友だちと「踊っただけで、何も手応えなかったわ」と愚痴をこぼしていたという岡村だったが「実際にオンエアを見たら『これ、オモロイな』って思った」とにっこり。4年後に行われた第8弾のモーニング娘。オファー後の打ち上げの席上、総合演出のスタッフから「SMAPコンサートの時、お前は『二度とやりません』って言ったんだぞ。殺してやろうかと思った」と言われたと明かし「ちょうど、第1回から始まって、第8回で謝るっていうことがありましたね」となつかしんだ。
昨年20周年を迎えた『めちゃイケ』への恩義も感じている。「26歳の時に始まったんですけど、まだ『若手だけで土曜の8時が務まるのか』みたいな感じでしたけど、なんとか20年以上やってきて。やっぱり『めちゃイケ』に育ててもらったという思いがメンバー全員あると思います。『やるんだ』って言われたら、全員が『やります』という、そういうチームでやってきた。めいめい仕事が増えてきたとしても『めちゃイケ』っていうホームに戻ってきたら『やらないとね』っていう意識になるんですよね」。
ギリギリまで自身を追い込み、コメディアンとして常に最高のパフォーマンスを見せている岡村だが、オファーシリーズでは毎回重圧と戦っている。「今回も47歳でこれだけ激しくやらせてもらって、ケガでもしたら本番できないですけど、そこはどう考えていますかと(笑)。ましてや、40歳の時に(一時的に芸能活動を)休んでいますけど、これだけ自分を追い込んで、また休むという危険性はお考えじゃないのかなと。でも、これだけ番組を預けてもらっている以上、すべてがのしかかってくるプレッシャーもあるんですけど『じゃあ、やったるわ』っていう気持ちです」。言葉を慎重に選びながら語る岡村の姿に『めちゃイケ』の屋台骨を支える覚悟が見えた。
◆これまでの「岡村オファーシリーズ」の歴史
第1弾 1997年10月4日 ジャニーズJr.に入り、SMAPのコンサートに飛び入り参加
第2弾 1998年5月2日 中居正広主演の月9ドラマ『ブラザーズ』にゲスト出演
第3弾 1998年6月20・27日 一般視聴者の結婚披露宴の司会に挑戦
第4弾 1998年12月26日 『新春かくし芸大会』で中国ゴマに挑戦
第5弾 1999年10月9日 ムツゴロウさん(畑正憲)と競馬対決
第6弾 1999年12月31日 42.195キロのマラソンに挑戦
第7弾 2000年10月14日 劇団四季のミュージカル『ライオンキング』に出演
第8弾 2001年10月13日 「モーニング娘。」の修学旅行を引率、コンサートにも出演
第9弾 2004年7月24〜25日 具志堅用高とボクシング対決
第10弾 2005年10月8日 横峯さくらとゴルフ対決
第11弾 2007年10月6日 EXILEのライブに出演
第12弾 2008年10月4日 松岡修造の指導のもと、杉山愛とテニス対決
第13弾 2013年9月21日 市川海老蔵の歌舞伎に出演
第14弾 2013年10月12日 引退するHIROのため、EXILEのライブに出演
第15弾 2017年10月14日 三浦大知のライブに出演
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2017/10/11