「翼をください」「フィーリング」などの曲で知られるシンガー・ソングライターの山本潤子(64)が5月6日の名古屋公演を最後に、声の不調を理由に無期限の休養に入ることが13日、わかった。
4年前から喉に異変を感じていたという山本。無期限休について所属事務所は「喉のポリープとか、病気ということではありません」と説明。今後については、「休養させていただき、喉の調子が回復し、本人も納得できる歌声になりましたら、少しづつライブハウスなどで活動を開始できればと思います」と話している。
また、山本は先月25日に自身のブログで「沼津のコンサートの舞台で5月以降、長い休養に入ることをお話しました。 ビックリさせてごめんなさいね。また元気な喉を取り戻して歌えたらと夢みます。支えてくださった皆さん、ありがとう!! いつかまたね!」と休養を公表していた。
山本は1969年、後藤悦治郎、平山泰代、山本俊彦、大川茂と「赤い鳥」を結成。1970年「人生」でレコード・デビュー。1974年「赤い鳥」解散後、山本、大川と「ハイファイセット」を結成し、「卒業写真」で再デビュー。1977年「フィーリング」がヒットし第28回NHK紅白歌合戦に出演している。その後、1994年同グループ解散とともにソロ活動に専念していた。
4年前から喉に異変を感じていたという山本。無期限休について所属事務所は「喉のポリープとか、病気ということではありません」と説明。今後については、「休養させていただき、喉の調子が回復し、本人も納得できる歌声になりましたら、少しづつライブハウスなどで活動を開始できればと思います」と話している。
また、山本は先月25日に自身のブログで「沼津のコンサートの舞台で5月以降、長い休養に入ることをお話しました。 ビックリさせてごめんなさいね。また元気な喉を取り戻して歌えたらと夢みます。支えてくださった皆さん、ありがとう!! いつかまたね!」と休養を公表していた。
山本は1969年、後藤悦治郎、平山泰代、山本俊彦、大川茂と「赤い鳥」を結成。1970年「人生」でレコード・デビュー。1974年「赤い鳥」解散後、山本、大川と「ハイファイセット」を結成し、「卒業写真」で再デビュー。1977年「フィーリング」がヒットし第28回NHK紅白歌合戦に出演している。その後、1994年同グループ解散とともにソロ活動に専念していた。
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2014/03/13