覚せい剤事件で有罪判決を受けた元女優・酒井法子(41)が24日、都内の稽古場で女優復帰会見を行った。23日に執行猶予3年が明け、何を語るのかが注目を集めた酒井は「職業は、女優業をやらせていただいております」と報告。舞台制作発表のフォトセッションでは満面の笑みを見せ、息子の話題には涙を浮かべるなど、さまざまな表情をみせた再出発となった。また、報道陣のリクエストに応じる形で「マンモスうれぴーです。今日という日を迎えられて」と、久々にのりピー語も飛び出した。
以下は主な一問一答。
復帰会見冒頭のあいさつ「お忙しい中、お集まりいただき、心から感謝しています。今日、24日より新たに再スタートさせていただく酒井法子です」
――きょうで執行猶予が明けた心境は?
「3年という月日は、いろんな人に支えていただいた。そして長くつらい日々でしたが、今日という日を迎えられました」
――覚せい剤を断つのは難しいと聞くが、断つためにどういうことをした?
「私自身、微塵もそういった気持ちになりませんし、きっぱりと断って、まっすぐ前を向いて行きていくことしか考えてない。心配なさらず、信じていただけたら幸いです。自分の中で“断つ”ということに関して苦しんだことはない。きっぱり立ち直った。意識一つで、離れていくということは可能だと、自分自身の経験通して思う」
――どういう支えがあった?
「いろいろな気持ちのなかで、守るべき者が私にあると痛感し、大切なものを傷つけるようなことがないようにしたい」
――介護よりも、芸能界選んだ理由は?
「正直、その時は本当に何かにすがりたい気持ちで、自分の中で生きていく術を見つけることに必死でした。(介護の)選択が、正しい選択と思って学びました。その学びの中で、表現者としての役割の素晴らしさを改めて感じること、学ばせていただくことあって。またもう一度、再び表現する側に立ちたいという気持ちが大きくなっていったというのがあった」
――芸能界復帰は息子に相談した?
「子供は小さい頃からお仕事する姿を応援して見てたので、『ママ頑張りなよ』って言ってくれた」
――足と手にあったタトゥーは?
「タトゥーは消しました」
――覚せい剤を使用していた当時、警察から逃げた時の心境は?
「気が動転して、ああいう行動をとってしまった。自分の認識の甘さを感じてる」
――元夫の高相祐一氏には会っている?
「会っていないです。ただ、彼は子供の親でもあるので、そういうことで会うことはあるかもですが…」
――どうして覚せい剤に手を出した?
「自分自身甘い考えでバカだった」
――復帰しない選択はなかった?
「生きてくことに一生懸命だった。引退も考えた。けど、感謝の気持でいっぱいです。一区切りつけて、多くの皆さんの前で、この場に座らせていただいたことは感謝の気持でいっぱい」
――息子さんとどう向き合う?
「これから先、見えない大きなキズを償っていかないといけない。親として、人として、お母さん頑張ってるという背中を見せて、一生懸命生きていくことが大切じゃないかと思う。失ってしまったのものは、これから私が生きていく中で償っていく。どん底の中でも手を差し伸べてくれた人がいたことを忘れることなく、またこの世界で、表現者として生きていくことが、その場で生きていくことが恩返しの一つ」
――今の気持ちをのりピー語で表すならば?
「言っていいんですか? のりピーという事で言わせていただけるのであれば、マンモスうれぴーです。今日という日を迎えられて」
――復帰にあたっては?
所属事務所の廣瀬洋二郎社長「(前所属事務所の)サンミュージックとは話はついてる。サンミュージックが受けた損害は、本人が迷惑かけた分は何年かけても返していくと相澤(正久)社長とは言っている。今後の芸能活動についてですが、今はこの舞台をこなすことに専念していく。まだ、何も決めていない。この舞台を成功させることに努めること。いろんなお話はいただいてる」
――酒井さんにとって支えてくれた人とは?
「本当に一言では言えないくらい、たくさんの方が支えて下さった。感謝しています。やはり、子供の笑顔であり、共に泣いて笑ってくれた友達。復帰を支えてくれたスタッフであり、見えないところで愛をくれたファンの方だと思う」
――応援してくれるファンに向けて
「これから歩んでいく姿を見て下さい。しっかり歩いて行きたい。1つでも恩返しができるように一生懸命やってく。見守って下さい」
以下は主な一問一答。
復帰会見冒頭のあいさつ「お忙しい中、お集まりいただき、心から感謝しています。今日、24日より新たに再スタートさせていただく酒井法子です」
――きょうで執行猶予が明けた心境は?
「3年という月日は、いろんな人に支えていただいた。そして長くつらい日々でしたが、今日という日を迎えられました」
――覚せい剤を断つのは難しいと聞くが、断つためにどういうことをした?
「私自身、微塵もそういった気持ちになりませんし、きっぱりと断って、まっすぐ前を向いて行きていくことしか考えてない。心配なさらず、信じていただけたら幸いです。自分の中で“断つ”ということに関して苦しんだことはない。きっぱり立ち直った。意識一つで、離れていくということは可能だと、自分自身の経験通して思う」
――どういう支えがあった?
「いろいろな気持ちのなかで、守るべき者が私にあると痛感し、大切なものを傷つけるようなことがないようにしたい」
――介護よりも、芸能界選んだ理由は?
「正直、その時は本当に何かにすがりたい気持ちで、自分の中で生きていく術を見つけることに必死でした。(介護の)選択が、正しい選択と思って学びました。その学びの中で、表現者としての役割の素晴らしさを改めて感じること、学ばせていただくことあって。またもう一度、再び表現する側に立ちたいという気持ちが大きくなっていったというのがあった」
――芸能界復帰は息子に相談した?
「子供は小さい頃からお仕事する姿を応援して見てたので、『ママ頑張りなよ』って言ってくれた」
――足と手にあったタトゥーは?
「タトゥーは消しました」
――覚せい剤を使用していた当時、警察から逃げた時の心境は?
「気が動転して、ああいう行動をとってしまった。自分の認識の甘さを感じてる」
――元夫の高相祐一氏には会っている?
「会っていないです。ただ、彼は子供の親でもあるので、そういうことで会うことはあるかもですが…」
――どうして覚せい剤に手を出した?
「自分自身甘い考えでバカだった」
――復帰しない選択はなかった?
「生きてくことに一生懸命だった。引退も考えた。けど、感謝の気持でいっぱいです。一区切りつけて、多くの皆さんの前で、この場に座らせていただいたことは感謝の気持でいっぱい」
――息子さんとどう向き合う?
「これから先、見えない大きなキズを償っていかないといけない。親として、人として、お母さん頑張ってるという背中を見せて、一生懸命生きていくことが大切じゃないかと思う。失ってしまったのものは、これから私が生きていく中で償っていく。どん底の中でも手を差し伸べてくれた人がいたことを忘れることなく、またこの世界で、表現者として生きていくことが、その場で生きていくことが恩返しの一つ」
――今の気持ちをのりピー語で表すならば?
「言っていいんですか? のりピーという事で言わせていただけるのであれば、マンモスうれぴーです。今日という日を迎えられて」
――復帰にあたっては?
所属事務所の廣瀬洋二郎社長「(前所属事務所の)サンミュージックとは話はついてる。サンミュージックが受けた損害は、本人が迷惑かけた分は何年かけても返していくと相澤(正久)社長とは言っている。今後の芸能活動についてですが、今はこの舞台をこなすことに専念していく。まだ、何も決めていない。この舞台を成功させることに努めること。いろんなお話はいただいてる」
――酒井さんにとって支えてくれた人とは?
「本当に一言では言えないくらい、たくさんの方が支えて下さった。感謝しています。やはり、子供の笑顔であり、共に泣いて笑ってくれた友達。復帰を支えてくれたスタッフであり、見えないところで愛をくれたファンの方だと思う」
――応援してくれるファンに向けて
「これから歩んでいく姿を見て下さい。しっかり歩いて行きたい。1つでも恩返しができるように一生懸命やってく。見守って下さい」

2012/11/24