NHK大河ドラマ『八重の桜』(毎週日曜 後8:00 総合ほか)は会津戦争が終わり、8月より舞台を京都に移して、明治の時代を生きる八重を描いていく。ここで本格的に登場するのが新島襄。会津の激動を生き抜いた主人公・八重(綾瀬はるか)の新しい希望となる人物だ。演じるのは俳優・オダギリジョー。アメリカで教育を受けた新時代のジェントルマンという役どころに、「自分とかけ離れたキャラクターを演じるのは、面白い」と苦笑いした。
オダギリが大河ドラマに出演するのは2004年の『新選組!』以来。この時は、沖田総司と双璧をなす隊中きっての剣の達人・斎藤一を演じた。「当時は、自分も意気がっていたところがあって、一匹狼タイプの斎藤一役は自分に当てはめやすい状況で参加できたんですが、今回の新島襄は役柄も精神状態も真逆。だからこそ、役者として乗り越えてみたいと思っているんです」。
同ドラマのテーマの一つに「ならぬことはならぬ」という会津藩の教えがある。会津藩士(武士)として、人として間違っていること、悪いこと、いけないことはしてはいけない、ということだ。そういう強い信念を持ち、自分を貫いて生きたのが、同ドラマの主人公・八重であり、オダギリにも役者としてそういう一面があるように思える。
オダギリも言う。「役者というものは…という思いが強すぎて、ここで流されてしまえば、楽なんだろうなと思う局面でも、簡単に自分を売れないというか、自分を曲げたくないというか。信念を貫くというほど、かっこいいものでは決してないのですが、柔軟に立ち回れないところはありますね」。
新島襄(1843年‐1890年)は、21歳の時に国禁を犯して渡米。洗礼を受けてクリスチャンとなる。米国で受けた教育、生活経験に加え、岩倉遣欧使節団での欧州訪問を通じて、日本の近代化のためにもキリスト教主義の学校を作ることを決意。帰国後、山本覚馬の協力を得て、1875年11月に同志社英学校(後の同志社大学)を開校する。八重と知り合い、結婚。以後、46歳で永眠するまで、伝道と大学設立運動に奔走した。
「今回、演じる新島襄は、つい応援してしまいたくなるような、ポジティブな言葉で形容されるような人物。これまでの仕事を振り返ってもこんなに気持ちいい役はなかったような気がします。どこか人間らしい汚い部分に目を向けてきたところがあるんですけど、今回は思いっきり良い人を演じるのもいいかなって気がしています。ということは、僕の内面にある黒いもの、ダメなところは極力出さないように頑張るってことですね」と、新境地を前になんだか楽しそうに話していた。
オダギリが大河ドラマに出演するのは2004年の『新選組!』以来。この時は、沖田総司と双璧をなす隊中きっての剣の達人・斎藤一を演じた。「当時は、自分も意気がっていたところがあって、一匹狼タイプの斎藤一役は自分に当てはめやすい状況で参加できたんですが、今回の新島襄は役柄も精神状態も真逆。だからこそ、役者として乗り越えてみたいと思っているんです」。
同ドラマのテーマの一つに「ならぬことはならぬ」という会津藩の教えがある。会津藩士(武士)として、人として間違っていること、悪いこと、いけないことはしてはいけない、ということだ。そういう強い信念を持ち、自分を貫いて生きたのが、同ドラマの主人公・八重であり、オダギリにも役者としてそういう一面があるように思える。
オダギリも言う。「役者というものは…という思いが強すぎて、ここで流されてしまえば、楽なんだろうなと思う局面でも、簡単に自分を売れないというか、自分を曲げたくないというか。信念を貫くというほど、かっこいいものでは決してないのですが、柔軟に立ち回れないところはありますね」。
新島襄(1843年‐1890年)は、21歳の時に国禁を犯して渡米。洗礼を受けてクリスチャンとなる。米国で受けた教育、生活経験に加え、岩倉遣欧使節団での欧州訪問を通じて、日本の近代化のためにもキリスト教主義の学校を作ることを決意。帰国後、山本覚馬の協力を得て、1875年11月に同志社英学校(後の同志社大学)を開校する。八重と知り合い、結婚。以後、46歳で永眠するまで、伝道と大学設立運動に奔走した。
「今回、演じる新島襄は、つい応援してしまいたくなるような、ポジティブな言葉で形容されるような人物。これまでの仕事を振り返ってもこんなに気持ちいい役はなかったような気がします。どこか人間らしい汚い部分に目を向けてきたところがあるんですけど、今回は思いっきり良い人を演じるのもいいかなって気がしています。ということは、僕の内面にある黒いもの、ダメなところは極力出さないように頑張るってことですね」と、新境地を前になんだか楽しそうに話していた。
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2013/08/11