ジョニー・デップが製作/主演を務める映画『MINAMATA―ミナマタ―』(公開中)の主人公ユージン・スミスは、世界的に著名な報道写真家だ。写真家にとってカメラは体の一部みたいなもの。1971年(昭和46年)に来日したユージンはどんなカメラで水俣を取材していたのだろうか。
当時使用していたカメラは、ミノルタの名機SR-T101。ミノルタは日本で誕生したカメラ・複写機を主力とする会社で、コニカに次いで2番目に古い歴史を誇っていた(2003年にコニカと合併しコニカミノルタとなったが、同社は2006年3月をもってカメラ、フィルム関連事業より撤退している)。
SR-T101はTTL露出計という、撮影レンズを通過した光を測定する当時最先端の技術を内蔵した機種。さらに、世界初のTTL上下分割開放測光を採用したモデルだ。しかし、実はプロ向けではなく一般向けとして普及していたもので、比較的扱いやすいものだという。
実は、日本でカメラを盗まれてしまったユージン。そんな彼に助け舟を出したのがミノルタだった。なんと、無償でカメラを提供したのだ。この逸話は、一部のカメラファンの間ではとても有名な話だそうだ。
東京・銀座の「銀座カツミ堂写真機店」では、当時ユージンが使用していたものと同機種のカメラが標準レンズとのセットで3万8500円(税込)で販売しているととのこと(※在庫は店頭で確かめてください)。
ユージンとともに水俣を訪れ取材を行った当時の妻、アイリーン・美緒子・スミス氏によると、日本滞在時にはほかにもニコンやオリンパス、ライカ、コニカといった複数の会社のカメラを所有していたというユージン。携帯しやすいフォルムの小さなオリンパスのカメラを稀に使用することもあったが、ほとんどこのミノルタのカメラで撮影を行なっていたという。
映画『MINAMATA―ミナマタ―』では、ジョニー・デップ演じるユージンが常に大量のカメラを首から下げている姿が印象的だが、実際に当時、ユージンは常に2、3台のカメラを持って出かけていたという。水俣に滞在しているときはカメラを片時も離さず、来たるシャッターチャンスに備えていた。また撮影以上に写真のプリントにもこだわり、時には1枚の写真を20回以上焼くこともあったという。
そんなユージンの撮影する姿を間近で見ていたアイリーン氏は、ユージンは「カメラが腕の一部だった」と話す。「“ありのままを撮る”とユージンが17歳の時に書いた文章があるが、まさにその通りに生きている人」、「人々が自然に話したり、自然に生活しているところに彼はふわっと入り込み、撮影する。介入しないという姿勢を持っていた」と振り返る。
本記事に掲載する首から3台のカメラをさげたユージン(ジョニー・デップ)がレンズを覗いている写真は、映画本編には使用されなかった未公開シーンのもの。ジョニーは写真を撮る場面で実際にカメラにフィルムを入れて撮影していたという。ジョニーは写真のセンスもあるようで、画家・彫刻家としても活躍しているアンドリュー・レヴィタス監督が絶賛していたほど。
かねてからユージン・スミスに憧れ、本作の映画化に尽力したジョニーは、「無名から大御所の写真家の作品まで、全般的に写真が大好きだ。自分が撮った写真の中で、一番納得のいく作品は、偶然のめぐり合わせが作り出した瞬間を捉えたもの。そのような瞬間は、写真でも、映画でも、感銘を受ける」と語っている。
3年にわたって水俣病を取材し、1974年にアメリカへ帰国したユージンは、翌75年に写真集「MINAMATA」を出版。この写真集に収められた写真の数々はいかにして撮影されたのかを映画『MINAMATA―ミナマタ―』では描いている。
当時使用していたカメラは、ミノルタの名機SR-T101。ミノルタは日本で誕生したカメラ・複写機を主力とする会社で、コニカに次いで2番目に古い歴史を誇っていた(2003年にコニカと合併しコニカミノルタとなったが、同社は2006年3月をもってカメラ、フィルム関連事業より撤退している)。
SR-T101はTTL露出計という、撮影レンズを通過した光を測定する当時最先端の技術を内蔵した機種。さらに、世界初のTTL上下分割開放測光を採用したモデルだ。しかし、実はプロ向けではなく一般向けとして普及していたもので、比較的扱いやすいものだという。
実は、日本でカメラを盗まれてしまったユージン。そんな彼に助け舟を出したのがミノルタだった。なんと、無償でカメラを提供したのだ。この逸話は、一部のカメラファンの間ではとても有名な話だそうだ。
東京・銀座の「銀座カツミ堂写真機店」では、当時ユージンが使用していたものと同機種のカメラが標準レンズとのセットで3万8500円(税込)で販売しているととのこと(※在庫は店頭で確かめてください)。
ユージンとともに水俣を訪れ取材を行った当時の妻、アイリーン・美緒子・スミス氏によると、日本滞在時にはほかにもニコンやオリンパス、ライカ、コニカといった複数の会社のカメラを所有していたというユージン。携帯しやすいフォルムの小さなオリンパスのカメラを稀に使用することもあったが、ほとんどこのミノルタのカメラで撮影を行なっていたという。
映画『MINAMATA―ミナマタ―』では、ジョニー・デップ演じるユージンが常に大量のカメラを首から下げている姿が印象的だが、実際に当時、ユージンは常に2、3台のカメラを持って出かけていたという。水俣に滞在しているときはカメラを片時も離さず、来たるシャッターチャンスに備えていた。また撮影以上に写真のプリントにもこだわり、時には1枚の写真を20回以上焼くこともあったという。
そんなユージンの撮影する姿を間近で見ていたアイリーン氏は、ユージンは「カメラが腕の一部だった」と話す。「“ありのままを撮る”とユージンが17歳の時に書いた文章があるが、まさにその通りに生きている人」、「人々が自然に話したり、自然に生活しているところに彼はふわっと入り込み、撮影する。介入しないという姿勢を持っていた」と振り返る。
本記事に掲載する首から3台のカメラをさげたユージン(ジョニー・デップ)がレンズを覗いている写真は、映画本編には使用されなかった未公開シーンのもの。ジョニーは写真を撮る場面で実際にカメラにフィルムを入れて撮影していたという。ジョニーは写真のセンスもあるようで、画家・彫刻家としても活躍しているアンドリュー・レヴィタス監督が絶賛していたほど。
かねてからユージン・スミスに憧れ、本作の映画化に尽力したジョニーは、「無名から大御所の写真家の作品まで、全般的に写真が大好きだ。自分が撮った写真の中で、一番納得のいく作品は、偶然のめぐり合わせが作り出した瞬間を捉えたもの。そのような瞬間は、写真でも、映画でも、感銘を受ける」と語っている。
3年にわたって水俣病を取材し、1974年にアメリカへ帰国したユージンは、翌75年に写真集「MINAMATA」を出版。この写真集に収められた写真の数々はいかにして撮影されたのかを映画『MINAMATA―ミナマタ―』では描いている。
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2021/09/25