先日12日に多臓器不全のため他界した演出家・蜷川幸雄さん(享年80)の通夜が15日、午後6時より東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。会場には多くの関係者や著名人1204人が弔問に訪れたほか、ファン372人も駆けつけ、合計で1576人が別れを惜しんだ。
弔問には藤原竜也、木村拓哉、吉田鋼太郎、宮沢りえ、北大路欣也、松本幸四郎、内野聖陽、阿部寛、堤真一、筧利夫、尾上松也、綾野剛、東山紀之、木村佳乃、菅野美穂、中嶋朋子、満島ひかり、多部未華子、勝地涼、溝端淳平、本田博太郎、寺島しのぶ、亀梨和也、上田竜也、森田剛、三宅健ら多くの著名人が訪れた(順不同)。
蜷川さんの作品に出演した女優の鈴木杏は「何もかもたくさんのことを教えてもらいました。感謝してもしきれない」と涙を流し、AAAの西島隆弘は「お会いした時に『お前は早く音楽やめて、俳優の世界に来い。人生の荒波に出合った時は、俺が全力で守ってやるから』って言っていただいたのが、とても印象に残っている」と振り返った。
祭壇の遺影は、昨年9月に舞台『NINAGAWA・マクベス 』のけいこ場で、娘で写真家の蜷川実花氏が撮影した写真が使用された。祭壇は赤と白色の花で彩られ、実花氏は「きっと喜んでいると思う」と語った。
蜷川さんは1935年10月15日埼玉県川口市生まれ。55年に劇団青俳に入団、当初は俳優として活躍していたが、68年に劇団現代人劇場を創立し、69年に『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。日本だけではなく海外でも活躍し、世界中で「世界のニナガワ」と高く評価されてきた。
昨年12月半ばに軽い肺炎を起こし入院し、リハビリに励んでいたが、12日午後1時25分に肺炎による多臓器不全のため、死去した。80歳だった。
弔問には藤原竜也、木村拓哉、吉田鋼太郎、宮沢りえ、北大路欣也、松本幸四郎、内野聖陽、阿部寛、堤真一、筧利夫、尾上松也、綾野剛、東山紀之、木村佳乃、菅野美穂、中嶋朋子、満島ひかり、多部未華子、勝地涼、溝端淳平、本田博太郎、寺島しのぶ、亀梨和也、上田竜也、森田剛、三宅健ら多くの著名人が訪れた(順不同)。
蜷川さんの作品に出演した女優の鈴木杏は「何もかもたくさんのことを教えてもらいました。感謝してもしきれない」と涙を流し、AAAの西島隆弘は「お会いした時に『お前は早く音楽やめて、俳優の世界に来い。人生の荒波に出合った時は、俺が全力で守ってやるから』って言っていただいたのが、とても印象に残っている」と振り返った。
祭壇の遺影は、昨年9月に舞台『NINAGAWA・マクベス 』のけいこ場で、娘で写真家の蜷川実花氏が撮影した写真が使用された。祭壇は赤と白色の花で彩られ、実花氏は「きっと喜んでいると思う」と語った。
蜷川さんは1935年10月15日埼玉県川口市生まれ。55年に劇団青俳に入団、当初は俳優として活躍していたが、68年に劇団現代人劇場を創立し、69年に『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。日本だけではなく海外でも活躍し、世界中で「世界のニナガワ」と高く評価されてきた。
昨年12月半ばに軽い肺炎を起こし入院し、リハビリに励んでいたが、12日午後1時25分に肺炎による多臓器不全のため、死去した。80歳だった。
2016/05/15