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山田洋次監督が描く家族劇、震災を経た現代日本で求められる理由

 熊本地震が起きて、すでに4週間ほど経つ。亡くなられた方々の無念を思うと同時に、いまだ多くの被災者が困難を強いられていることに胸が痛む。東日本大震災から、5年の時点でこれほど大きな地震が起きたことに、衝撃を受けている人も多いだろう。いつ何時、わが身に災害が起きても不思議ではない。その切迫感は、日本の今に何をもたらすのか。あるいは、何をもたらそうとしているのか。

◆多くの人たちが切実な思いを抱いて接しようとしている

 今年に入り、山田洋次監督の2本の作品、『母と暮せば』と『家族はつらいよ』がヒットした。興収では、前者が19億円、後者が14億円(ともに最終見込み)。山田監督の今も衰えない執念の結晶とも言うべき家族劇が、多くの人々の気持ちをつかんだ結果である。山田監督の家族を描く作品に今、多くの人たちが切実な思いを抱いて、接しようとしている。

 『母と暮せば』は、長崎への原爆投下により、息子を失った母と“幽霊”として母の前に現れる息子との話である。『家族はつらいよ』は、東京のある家族の日常を、コミカルなタッチで描く。中身は全く違うが、ともに家族への深い愛しみの念が濃厚だと言える。

 『家族はつらいよ』では、熟年夫婦の離婚危機を引き金にした騒動が起こる。コミカルに描かれているから、いさかいや葛藤などの意味が弱まることもあって、そのドタバタ劇は近い将来から眺めると、ファンタジーにも見えるような瞬間があって驚いた。将来的には消滅していく可能性さえある家族という形の“残像”を、未来的な視点で懐かしく描いた作品のようにも感じられたのである。

 3.11以降、家族や友人、恋人のかけがいのなさが浮き彫りになった。私は震災後、そのとき刻まれた多くの強烈な事実がすでに風化しつつあるなかでも、とくに家族の絆の大切さが、日本の人々の心の奥深くに染み込んでいる印象をもつ。家族とともに、平穏な生活を送ることへの強い渇望が、かつてとは比較にならないくらい湧き上がってきたように思える。

 一方で、この国は高齢化の時代を迎え、多くの家族が大変な問題をかかえている。高齢者のみならず、育児や子どもの教育の問題など、かけがえのない家族が大きな悩みの種になっている場合もある。国に頼ることはできるのか。家族という形への強い渇望とはまた別に、厳しい日常の現状が、多くの日本の人々の生活をおおっている。

◆50年、たゆまず家族を描いてきた先にあった今の時代

 山田監督は、この時代だから家族を描き始めたのではない。周知のように、『男はつらいよ』シリーズは、昭和の東京・下町の家族劇であった。ズバリ、『家族』(1970年)という名作もある。この50年、たゆまず家族を描いてきた先に、いまや家族の形の存続そのものが問われる時代がやって来たのである。

 作家の長部日出雄氏は、自著『日本を支えた12人』の小津安二郎監督の項で、彼の代表作にして日本映画の金字塔である『東京物語』について、以下のように書いた。「平凡な日常の生活が実は掛替えのないいとおしさに満ちた貴重なものであることを、まざまざと感じさせる小津映画の最高傑作だ」。

 山田監督の作品群もまた、その境地に入りつつあると言えるのではないだろうか。家族を連綿と、日本人の原基的な精神と行動の拠りどころとして描き続けてきた山田監督だからこそ、そのとてつもない境地への道筋が可能になったのである。それを、映画の観客が固唾を呑んで観ている気がしてならない。

 かつてないほど膨れ上がる地震だけではない災害全般への怖れ、危機意識は、日本人に何をもたらすのか。ひとつ言えることは、家族という形への愛しみの念が、日常生活の大切さとともに、これからももっともっと強くなるだろうということである。今年の前半における『母と暮せば』と『家族はつらいよ』のヒットは、そのことを強く示しているのだと思う。
(文:映画ジャーナリスト・大高宏雄)



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