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なぜ映画を撮る?三谷幸喜監督が答えた「自分の居場所」とは

 国民的脚本家であり演出家。映画監督も務める三谷幸喜氏の最新作は、初のSFであり、実に18年ぶりのラブストーリーとなる『ギャラクシー街道』。なぜいま宇宙でラブストーリーなのか? これまでの三谷流コメディとはどこか違うのか? 新たなジャンルに足を踏み入れた三谷監督に迫る。

◆舞台は新宿でもいいんじゃない?という物語

 「ここに出てくる男性は全部、僕ですね」。三谷幸喜監督は新作『ギャラクシー街道』について、はにかみながらもそう断言する。三谷監督としては初のSF。さらに、ドラマ『今夜、宇宙の片隅で』(1998年)以来、久しぶりに男女の色恋を主軸にしている。今回のラブストーリーはプロデューサーからのリクエストだった。

「なんか照れくさいんですよね。どんな話を作ったところで、結局、ラブロマンスや恋愛ものは、僕の体験がもとになってしまうので。みなさんもそういうふうに観るでしょうし。『あいつは、あんなふうに口説いているのか』『あんなふうに女の人と接しているのか』とか思われるのがすごく恥ずかしいから、なるべく避けてきたというのはあります」

 宇宙のはずれにあるさびれたハンバーガーショップ。店主ノア(香取慎吾)は、妻ノエ(綾瀬はるか)と店を切り盛りしているが、元カノのレイ(優香)の突然の来店に動揺。「自分と別れたことで、彼女はいま不幸なのではないか?」などと、思い上がった心配をする。ノア以外の男性キャラクターもことごとく「空回り」気味で、そこには三谷自身が投影されているという。

「情けない部分とか弱い部分。そこも含めて、血の通った男性像になったかなと思います。予告編だけ観ると、ふざけきっているように見えるかもしれない。『三谷、どうした? もうあいつは(向こうに行ったっきり)戻ってこないんじゃないか』と思われるかもしれない。ただ(映画自体は)意外と、登場する人物はリアルだし現実的。宇宙人ということで多少、地球人と違う部分はあるにせよ、かなり等身大の身近な物語になっていると思うんです。窓外が宇宙でなければ、(舞台は)新宿でもいいんじゃないかっていうくらいのお話は目指しました」

 笑いあり、奇想天外な仕掛けあり。だが、基本的には大宇宙を舞台にした「身近な物語」が綴られる。そう、まさに『今夜、宇宙の片隅で』というタイトルにしてもいいくらいのニュアンスがある。

「あのドラマも、今回の男たちも、みんなちょっとさみしい人たち。僕のなかの宇宙のイメージって『さみしさ』なんですよね。だから、勝手にハマるんじゃないかと思って作ったんです。華やかさとか派手さとか、スペクタクルな宇宙モノはたくさんあるし、それは僕にはできることではないので、そうじゃない自分ができる宇宙の話といったら、こういうことに落ち着くんだと思うんです」

◆普段なら絶対やらないことにアタックした

 ほぼハンバーガーショップだけで繰り広げられるワンシチュエーション・コメディだが、これまでの三谷映画にはなかった息吹きが感じられる。たとえば、フランシス・フォード・コッポラ監督が人工美に満ちた世界でナイーヴな男心を綴った可憐な逸品『ワン・フロム・ザ・ハート』(1982年)などを彷彿とさせるのだ。

「僕は『ワン・フロム・ザ・ハート』が大好きなんですけど、そのフレーズはプロデューサーの前では禁句になっていて。あの映画は、興行的には決して成功とは言えないので。毎回、ああいう感じでいきたいと言うと、みんな青ざめるんです(笑)。いつも映画をやるときに、僕なりに『僕が作る映画ってどういうものなんだろう』『僕しか作れないもの、僕が作らないといけないものはどんなものだろう』というところから考えるんですけど、今回はわりとそういうところを取っ払ってしまって、普段、自分が舞台でやっている世界観をそのまま持ってきた、というところがあるんです」

 そのなかでは、これまでの三谷作品でほとんど見られなかったような激しい(?)シーンが含まれている。そこは“果敢な挑戦”だったという。

「そのぶん僕のなかではやりやすかったですし、気負わずに作ることができました。だからこそ、思いきったことができた。ラブストーリーだけでなく、エロスの世界に入り込んで。極端に言えば性交渉のシーンが2回出てくる(笑)。地球人だから普通に観ていますけど、あの星の人が観たら赤面するような、モザイクをかけないといけないようなシーンすら出てくる。普段なら絶対やらないですけど、果敢にアタックしてみたところはあります。でも、それは宇宙だったからできたんです」

 そう、これはいろいろな意味で「大人の映画」。ある宇宙人は「受精から出産まで30分」という摂理を生きており、だからこその大騒動も起こる。そうした様々なルールの交錯も、お愉しみの可能性を拡張している。

「生きものはそれぞれルールが違うわけで。人間だけのルールで考えちゃいけない(笑)。たとえば『清須会議』のときは、僕以上に歴史に詳しいスタッフもたくさんいらっしゃった。その人たちの知恵を借りながら作っていったんですけど、今回に関しては、僕よりも『この世界を知ってる人』は誰もいないわけで。そのサジ加減は全部、僕次第だった。プレッシャーも怖さもありましたが、そのぶんおもしろかったですね」

◆こんなことを言っては申し訳ないけど…

 まさに「全部、僕」な映画。三谷映画は、明確に、彼にしか作ることができない世界に近づいている。

「僕は脚本家だし、脚本家が作った映画というスタンスは崩れないし、崩さないつもりではいるんですけど、それ以前に自分はいち映画ファンだという割り切りが、どこかでできたんだと思うんです。自分が楽しんできたいろいろな映画を再構築していく。これだけいろいろな人が関わっている映画で、こんなことを言っては申し訳ないけど、ある種、趣味みたいなところがありますから(笑)。時代劇もやってみて、SFもやってみて、これからミュージカルもやってみたいし、無声映画もやってみたいし、戦争映画もやってみたい。自分がいままで観てきたジャンルのものを、自分なりに崩して再生産する。そういうことが楽しくてやっているのだと思います」

 なぜ、映画を撮るか。この問いについても、ある確信を持っている。

「それは、アーティストとしての自分の向き合い方ではなくて、もっと全然別なところにあります。今回も、美術、衣装、小道具、アニメーターの方々にせよ、みなさんすごく楽しんで作ってくださって。なぜかというと、こういう映画があんまりないから。たとえば、ハンバーガーショップをまるまる一軒作っちゃうみたいなことはなかなかない。それは僕の映画だからできるんだ、とおっしゃってくださった。衣装も現実的ではない、でも、あんまり突拍子もないわけじゃない。そういうところで作っているのは僕ぐらいだとおっしゃってくださるんです。そういう話を聞くと、またこの人たちのために、またこういうことをやりたいなと思うんですよね。ひょっとしたら、そういうところに、自分の居る場所があるのかなと思ったりします」
(文:相田冬二)



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