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デビュー35周年の浅香唯、独自のアイドル論を語る「ある程度は隠せた80年代と違い、今の方が大変」

ある程度のことは隠せた…アイドル全盛期の80年代よりも今の方が大変

──15歳でデビューした当時、今も歌い続けていると想像していましたか?

浅香唯 ぜんぜん思っていなかったです。私がデビューした80年代は、アイドルの寿命が短かったんですよ。結婚したらアイドルは引退で、恋愛もしてはいけないし、二十歳になると寿命のような…。10代のキラメキを表現するのがアイドルという時代だったので、私も20歳になるまで歌っているかどうかわからないと思っていました。時代とともにアイドルのカタチも変わってきましたよね。

──現代のアイドルとの違いをどう思いますか?

浅香唯 今の方が大変だと思います。仕事以外の時間にもSNSをやっていたりと、24時間アイドルでいるわけですものね。私の時代は情報も今ほど溢れていなかったので、仕事が終われば「芸名の浅香唯」から「本名の自分」に戻れたし、ある程度のことは隠せたんですよ。

──隠していたことというと、例えば?

浅香唯 私は焼肉が大好きなんですが、事務所から「そこは隠して」と言われていました。当時はアイドルの好きな食べ物といえば、もっと可愛いものであって。私もプロフィールには「パフェ」と書いていました。本当はそんなに好きじゃなかったんですけど(笑)。

──夢を見させる存在としては、ということですね(笑)。

浅香唯 今は包み隠して作られたアイドルはもう古く、もっと等身大な方が共感されるんでしょうけど。でもそういったプロフィールも含めて、「浅香唯」は私だけのものじゃない。スタッフや関係者、そしてファンの皆さんと一緒に作り上げていったものだと思っています。

──“アイドル=夢を見させる存在”だった時代に、19歳の「交際宣言」は大きな衝撃を呼びました。

浅香唯 私としては「宣言」なんて大げさなものではなく、聞かれたので「はい」と答えただけでした。「自分にもファンにも正直でいたい」という気持ちが強かったので。(交際宣言から14年を経て結婚した)主人が初めておつきあいした男性だったんですよ。

──でも、アイドルとしてはそれが許されない時代だった?

浅香唯 振り返ると真っ直ぐで若かったですね。「はい」と答えたことで傷付いたファンの方もいたかもしれないと、今なら理解できます。

──20代に約4年間の活動休止を経て、再び歌い始めたきっかけは?

浅香唯 私は基本的にのんびりした性格なので、休業中もマイペースで過ごしていて、気づいたら2年3年と経っていました。そんなあるときに「浅香唯新聞」というものを、ファンの有志で作っていることを知ったんです。自分たちは復活を信じている。その時まで浅香唯を忘れないために、と──。それを知ってたちまち「浅香唯のスイッチ」が入ったのを覚えています。

──休業中は「浅香唯」の意識はなかった?

浅香唯 そうですね。今も家族といるときは「浅香唯」ではなく、台本を読んだりするのも子どもが寝てからと決めています。

──人生の半分以上を歩んできた「浅香唯」とはご自身にとってどんな存在ですか?

浅香唯 14歳の時に(漫画のヒロインの)浅香唯という名前とオーディションを新聞で知った時に、不思議と運命を感じたんです。「私がこの名前をしっかりと演じなければいけない」という使命感のようなものを。それは今も変わらないですね。

──ファンにとっても「浅香唯」は大切な存在。だからこそ待ち続けたんですよね。

浅香唯 私の他にもファンでいる芸能人やアイドルはいると思うんです。それでも心の中の「好き」の箱に浅香唯を入れてくださっている方がいること。その方たちの人生の一部でいられる限り、これからも浅香唯として歌い続けていきたいですね。

(文/児玉澄子 撮影/逢坂聡)

浅香唯「LIGHT A SHINE 〜月はずっと見ている」(ライザップ・コラボMV)

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