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藤巻亮太、バンドへの「覚悟」とソロとして歩き続ける「決意」
心のパズルが揃うまでに2年かかった
藤巻亮太もともとソロは衝動的に始まったところが大きかったんですよ。レミオロメンを10年やった後、「よりパーソナルな思いを吐露するような曲をやりたい」と思って、そこにしかリアリティを見い出せない時期があったんです。それは僕だけではなくて、ひとりひとりがバンドの枠を超えたところで音楽をやろうということになりました。その気持ちがまず成就されたのが、1stアルバム(『オオカミ青年』)だったんですよ。
――なるほど。
藤巻その次に進むためには、衝動ではなくて、丸ごと自分の音楽と向き合わなくちゃいけなかったんですよね。そこで「自分にとってのソロとは何だろう?」「バンドはこれからどうするか」ということが浮かんで、そのふたつの間を行き来していたんです。そういう精神的なプロセスを踏んで、心のパズルが揃うまでに2年かかったということでしょうね。人前に出るって、やっぱりパワーが必要なんですよ。自分の音楽に向き合うにもすごく体力が必要だし、それをためるのにも時間がかかったし。無理にやろうと思えばできないことはないのかもしれないけど、魂やエネルギーが乗っていないものは、やはり出せないですから。
――焦りはなかったんですか?
藤巻焦りましたよ(笑)。外に向けて何も問わない2年っていうのはやっぱり……人の心は移ろいやすいし、シーンもどんどん変わっていきますからね。でも、自分の表現がはっきりしないまま始めても、その流れに流されてしまうだけなので。やっぱり、覚悟が決まらないと歩んでいけなかったと思うんです。
――逆に言うと、覚悟が決まったからこそ、また活動を本格化させたということですよね。
藤巻そうですね。レミオロメンに対する覚悟が決まったこともすごく大きかったです。バンドは生き物だから、それぞれの思い、覚悟が揃わないと絶対に良いものはできないんですよ。活動休止してますけど、僕としても、ずっと応援してきてくれた人たちに対してケジメをつけたいっていう思いはあります。時期は約束できないですけど、必ずやろうって――活動休止という名のもと、フラフラさせているのもキツいですし。だからこそ、藤巻亮太としてのソロ活動をちゃんとやっていこうと思ったんですよね。僕がいま出来ることを全部表現して、そのなかで自分の音楽を見つけて、歌っていくことが大事だと思ったので。
――すごく誠実ですよね。音楽との向き合い方をはっきりさせるまでは、動き出さないっていう。
藤巻でも、2年もかかってますからね。
自分と向き合うことができた野口健とのヒマラヤ登山
藤巻何でもない時間を過ごすこともありましたね。あとは野口健さんとヒマラヤに登ったり。
――え、すごいじゃないですか!
藤巻登山というより、トレッキングに近いんですけどね。2、3週間歩くんですけど(笑)。
――野口さんのような一流のアルピニストと行動すると、得るものもすごくありますよね。
藤巻そうなんですよね。野口さんもおっしゃってたんですけど、(登山は)自分と向き合う時間なんですよ。何て言うか、生活の重力ってけっこう大きいじゃないですか。単調なことのほうが多いし、そのなかに引き込まれていくというか。僕は好きな音楽をやってますけど、朝起きて、スタジオに行って、曲を作って、夜になったら帰るっていう。そういう当たり前の生活から離れてヒマラヤに行ったりすると、いろいろと気づかされることが多いんです。自分のなかで「こうしないといけない」と決めつけてしまっていたこともけっこうあるなとか。
――なるほど。
藤巻心のなかに網があるとしたら、当たり前の生活のなかで、網の目が詰まってしまうこともあると思うんです。必要ないものはどんどん流せばいいんだけど、いつの間にかいろんなものが溜まっていく。そういうことも含めて、いろんなことが整理できたんですよね、旅のなかで。
――やはり藤巻さんにとっては必要な2年だったんでしょうね。
藤巻それがすべて“受け入れる”ということにつながったと思うんです。現状を受け入れられなかったり、自分のなかにある思いから目をそらしたりしてるうちは、次に進めないので。それは「ing」にも通じてるんですよね。歌詞のなかにもあるんですけど、<夜はこんなにも暗い><外はこんなにも寒い>っていう――夜の暗さを認められなかったら、いつまでも怖いままだし、冬の寒さを否定していたら、ずっとそれに苦しめられるんじゃないかなって。夜は暗いもんだ、冬は寒いもんだと受け入れられたら、「じゃあ、灯りをともそう」とか「暖を取ろう」というふうに思えるはずなんですよね。
――受け入れることで次に進めるということですね。
藤巻もうひとつは、音楽を始めた原点に戻った感じもあるんですよね。僕は“自分のことを歌う”というところから音楽を始めたし、そのことで自分自身が救われた気もしているんです。そこに立ち返るタイミングだったと思うし、そのことでベクトルが定まったと思うんですよ。
弾き語りライブで感じた歌う喜び
藤巻この2年、弾き語りのライブをやってきたんです。小さいライブハウスを中心に全国を回って、そのなかで歌う喜びをすごく味わえたんですよ。バンドのときは歌うことよりも“どうしたらもっと良い曲が書けるか”ということにエネルギーを使っていた気がするんですよね。アコギと歌でどこまで音楽的な宇宙を描けるかっていうのは自分にとっても大きな挑戦だったんです。それぞれの会場で、ちゃんと空気を震わせながら歌えているのか。目の前のお客さんからいちばん後ろのお客さんまで、ちゃんと届いているのか。すごく難しくもあり、すごく楽しくもありました。
――素晴らしい経験ですね、それも。
藤巻山だけじゃなかったですね(笑)。あとはもう、来てくれたお客さんに対する感謝です。リリースもないなか、ライブに来てくれる人たちにはすごくありがたいなって思ったし、良い曲をちゃんと作って、しっかり届けたいと改めて思えたので。
――今回のシングルはSPEEDSTAR RECORDSからのリリースですね。やはり原点回帰という思いが強いのでしょうか。
藤巻最初に話したことの延長になるんですけど、『オオカミ青年』というアルバムはレミオロメンと切り離せないところがあったんです。バンドの活動がなかったら、生まれなかった作品だったと思います。それをやり終えたときに先が見えなくなって、まず、レーベルを辞めたんですよね。どこにも所属していない時期がしばらくあったんですけど、ソロの音楽と向き合っていくなかで、自分の音楽をしっかり伝えていきたいと思ったときに、原体験でもあるスピードスターのスタッフといっしょに進んでいくのは素晴らしいことじゃないかなって。これからさらに成長して、みんなから信頼されるようなアーティストになっていきたいです。
――時が巡って、しかるべき場所に戻ってきたということですね。この先、活動のペースも上がっていきそうですか?
藤巻そうですね。一歩目は衝動だったけど、2歩目からは意思が大事だと思うので。歩き続ける選択をしたんだから、歩みを止めずにやっていきたいです。2年間チャージしましたからね(笑)。ここからだと思います!
(文/森朋之)
ing (Music Video Short Ver.)
2003年、小・中・高の同級生と結成した3人組バンド・レミオロメンのボーカル&ギターとしてシングル「電話」でメジャーデビュー。2005年に発売したシングル「粉雪」が80万枚を超える大ヒットを記録する。2012年に活動休止後は、ソロとして作品のリリースやライブツアーなど精力的に活動を行う。2014年12月17日、SPEEDSTAR RECORDS移籍第1弾シングル「ing」を発売。
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