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THE STARBEMS『日高央&越川和磨が考える最適な音楽の伝え方とは?』
音楽はもういいかなぁと思っていた(越川)
日高央2010年にBEAT CRUSADERSが解散してから、ヒダカトオル(BAND SET)名義で様々なミュージシャンとバンドセッションをしてきたなかで、12年9月に現在のメンバーになりました。ビークルの後期からとにかくラウドがやりたかったので、その構想はセッションする人には説明していたんですけど。まぁ。ざっくり言うと“パンクバンドをやろう!”ということですね。
越川和磨僕は毛皮のマリーズのあと、音楽はもういいかなぁって思っていたんですよ。だからアメリカに行ってみたりしてたんですけど、知人から、日高さんが“うるさいギター”を探していると聞いて、全然違うところで音出してみたいなぁと思い、会いに行きました。日高さんの音楽的な部分へのリスペクトはもちろんあったんですけど、それだけじゃなくて、音楽業界のことや現在の音楽シーンについてとか、普通のバンドマンが知らないことをたくさん知っているので、いろいろなことを吸収したいと思ったのがキッカケですね。
――パンクといっても様々な捉え方があると思いますが、THE STARBEMSで日高さんがやりたかったのはどんなことですか?
日高1978年のパンクと2003年のパンクって、全然違うじゃないですか。たとえばセックス・ピストルズとグリーン・デイを同じ目線では見てないですよね? でも、俺は同じものとして見ているんですよ。30〜40年前の人がセックス・ピストルズを見て受けた衝撃と、90年代生まれのキッズがグリーン・デイに受けた衝撃には差がないというか。時代時代でスタイルに違いはあるけど、そのパンクを全部やってしまおうと。別にバラードでもいいんですよ。アティチュードとしてのパンクさえキープできれば、スタイルは何でもいいって思ってるんです。メンバーの趣味嗜好性もばらばらですし、そこを敢えて統一しなくてもいいのかなと。
――とはいえ、何か世代間の違いを感じたりもします?
日高確かに、パンク界隈でも世代での断絶はありますね。俺らは『AIR JAM』界隈にいて、西君(越川の愛称)やメンバー達はその音楽も聴いてきたけど、30歳以下は『AIR JAM』を知らない世代なので、リアルタイムで聴いてきたものや見てきたバンドは全然違うんです。
越川篤(菊地篤/Gt)や高地(高地広明/Dr)やゴスケ(後藤祐亮/Gt)とかは90年代に過ごした時代の音楽しか知らなくて、自分が好きなアーティストが何を聴いていたのか、ルーツまで遡って聴かないんですよね。それもあって、ダカ(日高)さんはグループLINEで、バンドメンバーとアーティストに関して討論を交わしながら、音楽を時代ごとに関連づけていく“日高塾”というのをやっているんですよ。バンド内での1つの共通認識として、音楽の歴史や流れがわかっていれば、制作するときにスムーズになるんです。
1stのときはビークルから敢えて遠ざけようと考えていた(日高)
越川YouTubeとか、便利なツールが増えた影響もあるかもしれません。今はヒット曲を単体で簡単に検索できますから。僕自身はアルバムをフルで聴いて、このバンドは何を聴いてきたんだろう?ってルーツバックする聴き方のほうがわかるんですけどね。
――今回の2ndアルバム『VANISHING CITY』もそんな共通認識のもと制作されたわけですね。前作に比べるとポップさが際立っている印象があります。
日高1stのときは震災後のいろいろな出来事に対する怒りだけをメインに作って、さらに俺は、BEAT CRUSADERSを連想させちゃダメだ、そこから遠いものにしようと思っていたので、メロディックな曲は基本的にボツにしていたんですよ。でも、2ndシングルのレコ発でkamomekamomeの向(達郎)君がMCで「THE STARBEMSもウチも、過去のバンドと比べられて煩わしい時期があったけど、今はそれを感謝しながら今のバンドをやれてる」って言ってくれたんですね。彼はヌンチャク(向が所属していたバンド)と比べられてすごく苦しんだ時期があったと思うんですけど、今は逆に嬉しいって、すごい深いなぁと感動して。
――以前の活動があったからこそ、今に活きている、ということですね。
日高そうですね。確かにビークルがあったからこそ、今もライブに来てくれる人もいる。そういう意味では自分の武器である、ポップさやキャッチーさを無理してボツにする必要はないと気づいたんですよ。だから今回ポップなメロディーも明るめな曲調も全部入れ込みました。
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