作曲家・編曲家・プロデューサーの都倉俊一氏(78)が23日、文化勲章を受章し、同日に都内で会見を開いた。
1969年、大学在学中に中山千夏に提供した「あなたの心に」で作曲家デビュー。71年から放送開始された伝説のオーディション番組『スター誕生』では阿久悠さん(故人)らとともに審査員を務め、山口百恵、ピンク・レディーらを発掘して楽曲を提供した。世に送り出したヒット曲は1100曲を超える。また、日本音楽著作権協会(JASRAC)の評議員・会長を歴任し、日本の著作権保護期間の延長など、音楽などの創作に携わる人たちの権利を守り、環境整備に尽力してきた。
都倉氏は花束を受け取り、笑顔を見せた。「本当に光栄なことだと思います。我が国の大衆音楽の中でもポピュラー・ミュージックというのは戦後、欧米の非常に強い影響を受け、特にアメリカから入ってまいりましたスイングジャズ、ロックンロールの影響を受けまして、今日の日本のJ-POPにつながるポピュラー・ミュージックになったと思います」と話した。
多くが鬼籍に入った諸先輩や仲間への思いを語りつつ「代表して私が、この栄誉をいただいた」と語った。重ねて「私も多くの楽曲を世に出してまいりましたが、私一人でできることではありません。多くの素晴らしい言葉をいただいた作詞家の皆さん、そして一緒に作っていただいた音楽制作者の皆さん、そして何よりも私たちの歌を世につないでくださってた多くの歌手、アーティストの皆さん、その方たちも今、この場をお借りして本当に心から感謝をしたいと思います」と伝えていた。
自身の楽曲についても言及。「何が自分で気に入っているか、気に入っていないか、あまり考えないようにしています。我々、職業作曲家は本当に数多くの楽曲を作らなきゃいけない。世に出た曲がテレビで流れて第三者的に『これ、いい歌だな』と思って『あ、俺の曲だ』みたいなところもあります。あるいは逆に大ヒットしても、正直あまり自分では気に入ってないみたいな曲もあるわけです。これは職業作曲家の宿命じゃないと思います」と正直に打ち明けていた。
これからやりたいことも。「文化勲章をいただいて、これで終わることは絶対にありえない。次のスタートに、すごく素晴らしい追い風をいただいたと考えます。目的は何かと申しますけど、日本は科学技術立国とよく皆さんはおっしゃるんですけど、そこに文化芸術パワーを。日本が文化芸術立国として成り立つ。ゲームとかアニメとかコンテンツは非常に世界的に傑出しておりますけど、日本にはもっともっと文化芸術、ソフトパワーがあるんです。そういう日本の文化が世界に羽ばたく土壌を作るのが僕の仕事だと思うんです。音楽だけじゃないんですけど、これから舞台、映画、現代アートなど日本の優れた才能が羽ばたくように。それを文化庁時代からやってきましたけど民間に戻りました。ますます民間の力を結集して、そちらの方向に持っていきたい」と力を込めていた。
都倉氏は「音楽はDNAにある。この年になって、和風メロディーにすごく惹かれるところもあります」と変化も。また、「僕は今のダンスミュージックから、そろそろ日本の音楽、韓国のK-POP、世界の音楽が、やはり心に届くバラードの時代がまた来るんじゃないかと思います。ダンスミュージックがなくなることは絶対にありえないですけど、それ一辺倒じゃなく」と期待していた。
■都倉俊一氏プロフィール
4歳からバイオリンを始め、小学生・高校生時代をドイツで過ごし、音楽の基礎を学ぶ。学習院大学在学中に作曲家としてデビュー。その後アメリカ・イギリスで作曲法・指揮法・映像音楽を学び、海外各国で音楽活動を行う。国内では「日本レコード大賞 作曲賞」「日本歌謡大賞」「東京音楽祭最優秀作品賞」「日本セールス大賞 作曲賞、編曲賞」「日本レコード大賞」など、日本の主要な音楽賞のほとんどを受賞する。山口百恵やピンク・レディーら多くの新人を発掘し、楽曲を提供。世に出したヒット曲は1100曲を超え、レコード売上枚数は6000万枚を超える。その他多くのミュージカル作品を手掛け、1994年、ロンドンのウェストエンドにて日本人作曲家として初めてのミュージカル“Out Of The Blue”を初演。
■都倉俊一氏経歴
2010年〜2016年 日本音楽著作権協会(JASRAC) 会長
2015年〜2025年 横綱審議員会委員
2018年11月 文化功労者
2021年〜2026年 第23代文化庁長官
2025年アブダビ音楽芸術財団(ADMAF)「アブダビ・フェスティバル賞」を受賞(作曲家としての功績に対して)
2026年4月〜 文部科学省 参与
2026年10月 京都市 特別功労賞受賞
2026年11月 文化勲章受章
1969年、大学在学中に中山千夏に提供した「あなたの心に」で作曲家デビュー。71年から放送開始された伝説のオーディション番組『スター誕生』では阿久悠さん(故人)らとともに審査員を務め、山口百恵、ピンク・レディーらを発掘して楽曲を提供した。世に送り出したヒット曲は1100曲を超える。また、日本音楽著作権協会(JASRAC)の評議員・会長を歴任し、日本の著作権保護期間の延長など、音楽などの創作に携わる人たちの権利を守り、環境整備に尽力してきた。
都倉氏は花束を受け取り、笑顔を見せた。「本当に光栄なことだと思います。我が国の大衆音楽の中でもポピュラー・ミュージックというのは戦後、欧米の非常に強い影響を受け、特にアメリカから入ってまいりましたスイングジャズ、ロックンロールの影響を受けまして、今日の日本のJ-POPにつながるポピュラー・ミュージックになったと思います」と話した。
多くが鬼籍に入った諸先輩や仲間への思いを語りつつ「代表して私が、この栄誉をいただいた」と語った。重ねて「私も多くの楽曲を世に出してまいりましたが、私一人でできることではありません。多くの素晴らしい言葉をいただいた作詞家の皆さん、そして一緒に作っていただいた音楽制作者の皆さん、そして何よりも私たちの歌を世につないでくださってた多くの歌手、アーティストの皆さん、その方たちも今、この場をお借りして本当に心から感謝をしたいと思います」と伝えていた。
自身の楽曲についても言及。「何が自分で気に入っているか、気に入っていないか、あまり考えないようにしています。我々、職業作曲家は本当に数多くの楽曲を作らなきゃいけない。世に出た曲がテレビで流れて第三者的に『これ、いい歌だな』と思って『あ、俺の曲だ』みたいなところもあります。あるいは逆に大ヒットしても、正直あまり自分では気に入ってないみたいな曲もあるわけです。これは職業作曲家の宿命じゃないと思います」と正直に打ち明けていた。
これからやりたいことも。「文化勲章をいただいて、これで終わることは絶対にありえない。次のスタートに、すごく素晴らしい追い風をいただいたと考えます。目的は何かと申しますけど、日本は科学技術立国とよく皆さんはおっしゃるんですけど、そこに文化芸術パワーを。日本が文化芸術立国として成り立つ。ゲームとかアニメとかコンテンツは非常に世界的に傑出しておりますけど、日本にはもっともっと文化芸術、ソフトパワーがあるんです。そういう日本の文化が世界に羽ばたく土壌を作るのが僕の仕事だと思うんです。音楽だけじゃないんですけど、これから舞台、映画、現代アートなど日本の優れた才能が羽ばたくように。それを文化庁時代からやってきましたけど民間に戻りました。ますます民間の力を結集して、そちらの方向に持っていきたい」と力を込めていた。
都倉氏は「音楽はDNAにある。この年になって、和風メロディーにすごく惹かれるところもあります」と変化も。また、「僕は今のダンスミュージックから、そろそろ日本の音楽、韓国のK-POP、世界の音楽が、やはり心に届くバラードの時代がまた来るんじゃないかと思います。ダンスミュージックがなくなることは絶対にありえないですけど、それ一辺倒じゃなく」と期待していた。
4歳からバイオリンを始め、小学生・高校生時代をドイツで過ごし、音楽の基礎を学ぶ。学習院大学在学中に作曲家としてデビュー。その後アメリカ・イギリスで作曲法・指揮法・映像音楽を学び、海外各国で音楽活動を行う。国内では「日本レコード大賞 作曲賞」「日本歌謡大賞」「東京音楽祭最優秀作品賞」「日本セールス大賞 作曲賞、編曲賞」「日本レコード大賞」など、日本の主要な音楽賞のほとんどを受賞する。山口百恵やピンク・レディーら多くの新人を発掘し、楽曲を提供。世に出したヒット曲は1100曲を超え、レコード売上枚数は6000万枚を超える。その他多くのミュージカル作品を手掛け、1994年、ロンドンのウェストエンドにて日本人作曲家として初めてのミュージカル“Out Of The Blue”を初演。
■都倉俊一氏経歴
2010年〜2016年 日本音楽著作権協会(JASRAC) 会長
2015年〜2025年 横綱審議員会委員
2018年11月 文化功労者
2021年〜2026年 第23代文化庁長官
2025年アブダビ音楽芸術財団(ADMAF)「アブダビ・フェスティバル賞」を受賞(作曲家としての功績に対して)
2026年4月〜 文部科学省 参与
2026年10月 京都市 特別功労賞受賞
2026年11月 文化勲章受章
2026/10/23


