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「チームスマイル」東北とともに歩んだ11年の軌跡 エンタメによる復興支援の新たなカタチ

 2011年3月の東日本大震災の直後より、エンタテインメントを通じた“心の復興支援”に取り組んできた「一般社団法人チームスマイル」(代表理事・矢内廣)が22年12月をもって、その活動を終了した。「チームスマイル」が開設した復興活動の拠点である、東京と東北の4つのホール「PIT」は、いつしか復興のシンボルとして、人々の心を照らす“希望のあかり”となっていった。各地の「PIT」の運営は今後、地元の人々に継承され、新たな歴史が紡がれていく。エンタテインメントだからこそ成し得た復興支援の11年間の軌跡を、今一度振り返りたい。

エンタテインメントを通じた“心の復興支援”に取り組んだ「一般社団法人チームスマイル」

エンタテインメントを通じた“心の復興支援”に取り組んだ「一般社団法人チームスマイル」

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■「チームスマイル」母体はぴあの社内有志により自発的に始まったボランティア活動

 「9121万7250円」――この数字は、東日本大震災の復興支援のために集まった、東京「豊洲PIT」来場者からの50円ドネーションの累計金額である。ドリンク代のうち50円が被災地支援の寄付に充てられるというもので、その人数はホールが開設された14年10月から約8年で、のべ170万人に達した。来場者に配られた50円玉の描かれた「葉っぱのシール」は、館内のボードに描かれた裸の幹や枝に1枚、また1枚と貼られ、イベントが開催されるたびに樹木に葉が生い茂っていった。その様は、エンタテインメントの感動を通じて被災地の復興を支援する「チームスマイル」の理念そのものであった。

「豊洲PIT」(東京)来場者による葉っぱシールのドネーション企画

「豊洲PIT」(東京)来場者による葉っぱシールのドネーション企画

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 「一般社団法人チームスマイル」が設立されたのは2012年10月。東日本大震災発生から1年半を経た時期だった。その母体となったのは、チケット販売大手ぴあの社内有志によって、自発的に始まったボランティア活動であった。東日本大震災直後から、関東、東北地区を中心に、コンサートや演劇、スポーツなどが次々に開催中止や延期となっていった。そのチケットの払い戻しの作業に追われていたぴあ社内で、ある時、声が挙がる。「エンタテインメントには被災地の人々を勇気づける力があるはずだ」と。その思いは次第に社内に伝播していった。

 支援物資を被災地に届ける一方で、翌4月からはチャリティコンサート「全音楽界による音楽会」に参画、ゴールデンウィークには、東京・渋谷地区の商店街の振興イベント「渋谷パラダイス」で、「ぴあエンタテインメントステージ」を企画・開催し、その趣旨に賛同するアーティストらがノーギャラで参加して、被災地への支援を後押しした。

 11年にわたり「チームスマイル」の活動に携わってきた、常務理事の小林覚氏(ぴあ取締役)は当時の様子を、次のように語る。

「未曽有の大災害であったため、不謹慎ではないかという声ももちろん挙がりました。でも僕らはエンタメの力を信じていたし、誰かが口火を切らないと始まらないのではないかと考え、非難も覚悟のうえで、イベントを企画してチャリティー活動に取り組むことにしたのです」(小林氏/以下同)

■一過性の活動で終わらせないために東北三県と東京に活動拠点「PIT」開設

 支援物資や義援金を被災地に届けるといった支援活動を1年ほど続けていた頃だった。今後も継続して活動を行っていくには、被災地における活動拠点の確保と、被災地の活動資金をまかなうための仕組みづくりが必須、と考えるようになっていった。

「当初から1〜2年で終わる活動ではないことは分かっていたので、いつまでもボランティアや寄付、募金だけでは活動が続かないし、出演するアーティストや芸人の皆さんが、いつまでもノーギャラというわけにはいかない、と思いました。また、被災地の皆さんと接する中で、有名人が激励に来てくれても、会場や宿泊先の確保といった受け入れ準備を地元の人たちで行うのは難しい。気持ちは有難いが来られても困る、という声を耳にして、一過性で終わらせないやり方はないかと考えるようになりました」

 出した結論は、「チームスマイル」の一般社団法人化と、東北三県(福島、宮城、岩手)と東京に活動拠点となるホールの開設だった。東京のホールを活動資金のポンプとして機能させ、その事業収益金を東北地区の3つのホールの開設と運営、そして、エンタテインメントを通じた各種復興支援プログラムに活用していく、という構想であった。

 2年後の14年10月には、東京・新豊洲に「豊洲PIT」がオープン。PITとは「Power Into Tohoku!」の頭文字をとったもの。収容人数3100名(スタンディング)という、国内最大の集客数を誇るライブハウスが誕生した。

14年10月に開設した「豊洲PIT」(東京)

14年10月に開設した「豊洲PIT」(東京)

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「復興支援になるなら、と東京ガスさんが豊洲の土地を貸してくださいました。当時、東京近辺にライブハウスが不足していたこともあり、ここが上手く稼働すれば、その収益金を東北の活動に回すことができる。出演者の交通費や宿泊費等も捻出できるのではないか、という思いでスタートしたのですが、想像以上にたくさんのお客さんが来場されました。稼働率も7〜8割と本当に高かったですね。コロナ禍でこの数年は大赤字になってしまいましたが、スキームとしてはよくできていたと思います。それもあって、東北の各PITも無料で貸し出すことができ、地元の人々にもたくさん使っていただくことができました」

■「音楽を通しての支援を」趣旨に賛同 プリンセス プリンセスから義援金の申し出

 翌15年7月には、福島県いわき市に「いわきPIT」、16年1月には岩手県釜石市に「釜石PIT」、そして同年3月には宮城県仙台市に「仙台PIT」が次々に開設される。このように書くと順風満帆に進んだかのようだが、実際のところは、建築費の資金集めや土地の取得交渉等に、ずいぶん時間と労力を要したという。そういった中、「チームスマイル」の理念に賛同し、助け舟を出したのがプリンセス プリンセスであった。東日本大震災の復興支援のために12年に再結成した彼女たちから、チームスマイル最大となる3億1000万円の寄付の申し出があったのだ。

「東北の3つのPITの活動資金を豊洲の収益だけでまかなうのは難しいのではないかということで、仙台にライブハウスの開設を構想していた時でした。仙台は12年に「Zepp Sendai」が閉館してライブハウスがない状況で、地元の方たちからの要望もありました。義援金は「仙台PIT」(約1450名/スタンディング)の開設費用に充てさせていただきました。我々としては、ホールのどこかにバンド名を残したいと提案したのですが、全てお断りされて…。16年3月11日からの3日間のこけら落とし公演を、プリンセス プリンセスに行っていただくことになったのです」

 プリンセス プリンセスは、その2週間後の3月26日に「豊洲PIT」で行われたライブ「PRINCESS PRINCESS 2012-2016再会FOR EVER」をもって、約4年にわたる再結成活動に幕を下ろす。“音楽を通しての支援を”という再結成のテーマ通り、エンタテインメントの力で東北の人々の心を潤した。

16年3月に開設した「仙台PIT」(宮城)

16年3月に開設した「仙台PIT」(宮城)

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■被災地の青少年の“夢の実現”応援企画に幅広いジャンルの多くの著名人が賛同

 東北3県のPITが開設されて以降、「チームスマイル」の活動の趣旨に賛同し、「東北PIT」応援団に登録したスポーツ選手、アーティスト、俳優、漫画家、落語家…、幅広いジャンルの多くの著名人が、被災地の青少年の“夢の実現”を応援する企画「“わたしの夢”応援プロジェクト」で被災地を訪れ、特別講演やセミナー、クリニック(コーチングや技術指導)などを行っている。PIT開設からコロナ前の20年2月まで、3年余での開催数は24回に及ぶ。イベントにまつわる費用は全て「チームスマイル」側が持ち、スタッフとしてぴあ社員が現地に赴いて運営を行う。地元の人々は告知して集客を行うだけ。何ら負担を強いられることがなかったこともあり、毎回のイベントは大盛況であったという。

「こういったスキームのボランティア活動は他に例がないので、とても喜んでいただけましたし、イベント企画・運営のプロの仕事ぶりを見ることで、勉強にもなったとも言っていただけました。イベント回数を重ねるにつれ、そのノウハウも自然と引き継がれていったことを肌で感じていました」

 次第に地元の様々な催しにも使われるようになったPITは、地元の人々をつなぐ、親しみある場所として認知されていった。例えば「釜石PIT」では、NTT Comから提供されたプロジェクターやモニターを使って、月に1度映画上映が行われた。三陸には映画館がないため、昔の旧作を安価で上映する「CINEPIT(シネピット)」は地元のお年寄りに大好評であったという。

「“わたしの夢”応援プロジェクト」釜石市を訪れトークショーを開催したアーティストの布袋寅泰さん(16年8月)

「“わたしの夢”応援プロジェクト」釜石市を訪れトークショーを開催したアーティストの布袋寅泰さん(16年8月)

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■地元の人々に継承される「チームスマイル」の企画・運営ノウハウ

 このように被災地に根付いていった「チームスマイル」の活動であったが、社団法人設立当初より、10年を1つの節目に据えて活動してきたこともあり、震災から12年目を迎えた22年12月にすべての活動を終了することになる。

「発足当時の理事会で、ある程度の期間の目標を持って活動したほうがいい、という話になりました。いずれは地元の方たちに活動が引き継がれていくのが理想だから、そのためには、少なくとも10年は続けようという目標を掲げたのです。当初は20年をゴールに考えていたのですが、最後の1年はコロナになってしまい何もできなかったので延長して、22年をもってすべての活動を終了することになりました」

 将来は建物を壊すことも想定して採算を取ってきた各地のPITだが、復興のシンボルとして認知されてきたことから、地元の人々から「残してほしい」という大きな声が挙がった。そこで、「釜石PIT」は地元の自治体に、「いわきPIT」は地元の企業に無償で譲渡され、名称もそのままに運営されることに決まった。一方、2つのライブハウス「豊洲PIT」と「仙台PIT」の建物はぴあが買い取り、これまで通り運営を行うことになった。

 「チームスマイル」の活動を目の当たりにして、エンタテインメントの持つ計り知れないパワーに触発された被災地の人々の中には、企画・運営する側へとシフトした人も少なくないという。そういった人材が自然と育っていったことに小林氏は目を細める。また、活動期間中、何かとスタッフの人件費の持ち出しが多かったぴあであったが、使用目的や用途の異なる4つのホールを企画・運営したことが、結果的にその後の事業に活かされたという。

一般社団法人「チームスマイル」常務理事を務めた小林覚氏(ぴあ取締役)

一般社団法人「チームスマイル」常務理事を務めた小林覚氏(ぴあ取締役)

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「そういった経験が横浜の「ぴあアリーナMM」(20年開業)を作る際に大いに活きました。ホール運営を業務委託しなくても、自分たちでやれる自信がついたからです。「チームスマイル」に人手を出してきたからこその、副次的な効果だったと思います」

 11年にわたり、数えきれないほど通った東北の各PIT。資金も拠点も何もないところから始まった「チームスマイル」の活動は、小林氏にとって苦労の連続であったそうだが、活動が終了した今、思わず口をついて出るのは“チームスマイルロス”の言葉。どれだけ真剣に取り組んできたか、その本気度がこの言葉からもうかがい知ることができる。

 「チームスマイル」からバトンを渡された各地のPITは今後、エンタテインメントを通じて、どんな感動を地元の人々に届けていくのだろうか。多くのワクワクを感じた人々の心に芽吹いた想いが、どう育っていくのか。「チームスマイル」の心の復興支援の本当の成果は、これから表れると言えるのかもしれない。各地のPITの未来に大きなエールを送りたい。

文・葛城博子

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  • エンタテインメントを通じた“心の復興支援”に取り組んだ「一般社団法人チームスマイル」
  • 「豊洲PIT」(東京)来場者による葉っぱシールのドネーション企画
  • 14年10月に開設した「豊洲PIT」(東京)
  • 16年3月に開設した「仙台PIT」(宮城)
  • 「“わたしの夢”応援プロジェクト」釜石市を訪れトークショーを開催したアーティストの布袋寅泰さん(16年8月)
  • 一般社団法人「チームスマイル」常務理事を務めた小林覚氏(ぴあ取締役)
  • 15年7月に開設した「いわきPIT」(福島)
  • 16年1月に開設した「釜石PIT」(岩手)
  • 「“わたしの夢”応援プロジェクト」で「ふるさとポスター教室」を開催。アートディレクター浅葉克己さん、佐藤可士和さん(18年6月)
  • 「“わたしの夢”応援プロジェクト」で、いわき市や釜石市を訪れた俳優の倍賞千恵子さん

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