かねてより口腔底がんで闘病中だった性春パンクバンド、オナニーマシーンのリーダーで元雑誌編集者のイノマーさんが19日、都内の病院で死去した。53歳だった。通夜・葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会が営まれる。
イノマーさんはオリコンが発行していた週刊誌『オリコンウィークリー』の編集長に同社当時最年少の29歳で就任。ガガガSP、氣志團、サンボマスター、峯田和伸(銀杏BOYZ/当時GOING STEADY)といった人気バンドマンらを数多く紹介し、亡くなる直前まで親交が続いた。
バンド愛にあふれ、特に1980年代のバンドシーン、インディーズシーンへの造詣が深かった。ザ・ブルーハーツのベスト盤『EAST WEST SIDE STORY』やGOING STEADYのシングル「童貞ソー・ヤング」のライナーノーツなども担当するなど、音楽業界の名物編集長の一人として知られた。
オリコン在籍中の1999年12月24日、ギターのオノチン(JET BOYS)、ドラムのガンガンと共に自身がボーカル&ベースとして3人組ロックバンド、通称オナマシを結成。退社後の2003年7月、サンボマスターとのスプリットアルバム『放課後の性春』でメジャーデビューを飾ると、シーモネーター(現SEAMO)とのコラボレーションシングル「家出/恋のABC」なども発表し“童貞のカリスマ”の異名もとった。
バンドマンとしてはシングル2枚、アルバム11枚、DVD2枚を発表。オナマシとしてブルーハーツやJUN SKY WALKER(S)のトリビュート盤にも参加。主催イベント『ティッシュタイム』を定期的に開催して数多くのバンドマンと共演。新人バンドマンを発掘する『イノマー万博』なども定期開催するなど、新たな音楽との出会いをライフワークとしていた。
オナマシ結成20周年企画を温めていた矢先の昨年7月21日(これも偶然にも“0721”の日であった)、口腔底がんステージ4で余命3年を公表。舌の全摘手術が無事成功し、まともな発声・滑舌は失われるも再びステージでパフォーマンスできるまでに回復した。
これから新たな人生を夢見ていた1年後の今年7月、がんが再発。治療の手段はなく「完治を目指すのではなく延命」と医師から宣告された。その後は抗がん剤治療など懸命な闘病生活を続け、満身創痍の状態で10月22日、東京・豊洲PITで『=オナマシ20周年記念特別企画=ティッシュタイム・フェスティバル〜大感謝祭〜』を敢行した。
バンド仲間となっていた銀杏BOYZ、ガガガSP、サンボマスター、氣志團(出演順)の4組と共演を果たし、峯田和伸が、コザック前田が、山口隆が、綾小路翔が、みんな“売れる前からの恩人”としてイノマーさんへの感謝をMCで語りかけた。
一大企画を終えたあとは再び入退院を繰り返した。11月22日深夜に危篤状態となり意識が戻らないと診断されたが、翌日に奇跡の復活を遂げ意識も戻るなど関係者を驚かせた。そこから約1ヶ月、最後まであきらめず闘病生活を続けたが19日未明、帰らぬ人となった。
目立ちたがり屋なのに照れ屋でシャイな人だった。バンドマンを愛する一方でビートたけしを敬愛。一人称は「オイラ」だった。芸人では江頭2:50をこよなく愛し、舌を切除したあとはソフト・オン・デマンドの雑誌で江頭との対談も実現。対談企画は全部断っているという江頭が近年、唯一OKを出した対談がイノマーさん。イノマーさんが息を引き取ったのは12月19日深夜“2時50分”だった。
イノマーさんはオリコンが発行していた週刊誌『オリコンウィークリー』の編集長に同社当時最年少の29歳で就任。ガガガSP、氣志團、サンボマスター、峯田和伸(銀杏BOYZ/当時GOING STEADY)といった人気バンドマンらを数多く紹介し、亡くなる直前まで親交が続いた。
バンド愛にあふれ、特に1980年代のバンドシーン、インディーズシーンへの造詣が深かった。ザ・ブルーハーツのベスト盤『EAST WEST SIDE STORY』やGOING STEADYのシングル「童貞ソー・ヤング」のライナーノーツなども担当するなど、音楽業界の名物編集長の一人として知られた。
オリコン在籍中の1999年12月24日、ギターのオノチン(JET BOYS)、ドラムのガンガンと共に自身がボーカル&ベースとして3人組ロックバンド、通称オナマシを結成。退社後の2003年7月、サンボマスターとのスプリットアルバム『放課後の性春』でメジャーデビューを飾ると、シーモネーター(現SEAMO)とのコラボレーションシングル「家出/恋のABC」なども発表し“童貞のカリスマ”の異名もとった。
バンドマンとしてはシングル2枚、アルバム11枚、DVD2枚を発表。オナマシとしてブルーハーツやJUN SKY WALKER(S)のトリビュート盤にも参加。主催イベント『ティッシュタイム』を定期的に開催して数多くのバンドマンと共演。新人バンドマンを発掘する『イノマー万博』なども定期開催するなど、新たな音楽との出会いをライフワークとしていた。
オナマシ結成20周年企画を温めていた矢先の昨年7月21日(これも偶然にも“0721”の日であった)、口腔底がんステージ4で余命3年を公表。舌の全摘手術が無事成功し、まともな発声・滑舌は失われるも再びステージでパフォーマンスできるまでに回復した。
これから新たな人生を夢見ていた1年後の今年7月、がんが再発。治療の手段はなく「完治を目指すのではなく延命」と医師から宣告された。その後は抗がん剤治療など懸命な闘病生活を続け、満身創痍の状態で10月22日、東京・豊洲PITで『=オナマシ20周年記念特別企画=ティッシュタイム・フェスティバル〜大感謝祭〜』を敢行した。
バンド仲間となっていた銀杏BOYZ、ガガガSP、サンボマスター、氣志團(出演順)の4組と共演を果たし、峯田和伸が、コザック前田が、山口隆が、綾小路翔が、みんな“売れる前からの恩人”としてイノマーさんへの感謝をMCで語りかけた。
一大企画を終えたあとは再び入退院を繰り返した。11月22日深夜に危篤状態となり意識が戻らないと診断されたが、翌日に奇跡の復活を遂げ意識も戻るなど関係者を驚かせた。そこから約1ヶ月、最後まであきらめず闘病生活を続けたが19日未明、帰らぬ人となった。
目立ちたがり屋なのに照れ屋でシャイな人だった。バンドマンを愛する一方でビートたけしを敬愛。一人称は「オイラ」だった。芸人では江頭2:50をこよなく愛し、舌を切除したあとはソフト・オン・デマンドの雑誌で江頭との対談も実現。対談企画は全部断っているという江頭が近年、唯一OKを出した対談がイノマーさん。イノマーさんが息を引き取ったのは12月19日深夜“2時50分”だった。
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- 1. “童貞のカリスマ”イノマー、口腔底がんを公表「今日から長い壮絶な闘いに」
- 2. 口腔底がん公表のオナマシ・イノマー、手術前に緊急フリーライブ決定
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- 4. オナマシ・イノマー、口腔底がん再発
- 5. 口腔底がん闘病中のイノマー熱唱「死んでも死にきれねー!」
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2019/12/19