ORICON NEWS

嵐がライブで見せたアイドルの誇り、5人が挑む破壊と創造とは?

 26日、5大ドームツアー『ARASHI LIVE TOUR 2017-2018 「untitled」』の東京最終公演を行った。国民的グループらしく、最先端の演出が東京ドームを彩る。年末のツアーは恒例ではあるけれど、毎年変化して前年を超えるべく、全力のパフォーマンスに挑む5人が、この日の東京ドームにもいた。「俺らまだまだこんなもんじゃない」、そんなメンバーの声が聞こえてきそうな構成。嵐の、アイドルとしての矜持を見たライブとなった。

同ツアーは2018年1月14日京セラドーム大阪公演でファイナル

同ツアーは2018年1月14日京セラドーム大阪公演でファイナル

写真ページを見る

◆5万5千人が心を一つにしないと成立しない音の芸術

 コンサート終盤のことだった。祭りのように賑やかなシングルメドレーでは、恒例のコール&レスポンスが続く。コンセプチュアルなアルバムをベースに、毎年まったく違う世界観を表現していく嵐のコンサートで、“アーティストと観客”という関係性ではなく、会場全体が一つの“嵐”となるような一体感を体験できるのがシングルメドレーだ。

 今年も、1曲ごとに嵐の5人+客席にいる5万5千人の興奮が加速していくのが伝わってきた。そうして『A・RA・SHI』で、その興奮が爆発した。怒濤のコール&レスポンスと、5万5千人の、ピッタリと息の合った振り付け。広い東京ドームで、5人がそれぞれに客席近くで観客を煽るだけ煽った後、5人がムービングステージに結集し、デビュー当時の振り付けを忠実に再現し、今度は5人一丸となって観客を踊らせ、歌わせる。曲が終わった時、会場のあちこちから驚嘆のような歓喜のようなどよめきが湧き上がった。何もかも忘れて、今この1曲に没入できる瞬間――。あの『A・RA・SHI』は、5万5千人が心を一つにしないと成立しない、巨大なサウンド・インスタレーション(音を使った芸術)だった。体験した者にしかわからない、一回性の、音楽の嵐に巻き込まれていくような強烈な幸福体験。

◆ここまでのスケールで“一体感”を経験できるライブはほかにない

 年に何本も様々なアーティストのライブに足を運んでいるけれど、ここまでのスケールで“一体感”を経験できるライブは、嵐をおいてほかにない。その一体感は、幸福感と言い換えてもいいかもしれない。

 音楽フェスでのヘッドバンギングやサークルモッシュにみられるノリではなく、嵐のライブでは、観客の一人一人が、自分もまたコンサートを作り上げるために不可欠なメンバーであることを実感できるのだ。そのことがおそらく、嵐ライブの中毒性に繋がっているのだろう。嵐のライブの観客は、とても誠実だ。ただ楽しませてもらおうとするのではなく、その日を“1年で最も特別な日”にするために、アルバムを聴いて予習し、DVDや Blu‐rayで過去曲の振り付けを練習し、新しいウチワを準備したりして、ライブの3時間に嵐に対する愛のすべてを出し切ろうとする。

◆最先端の技術と5人の全力が、1曲ごとに違う時空間へと連れて行く

 毎回、コンサートの冒頭の挨拶で松本潤は、客席に向かって「幸せになる準備はできてるか?」と問いかける。コンサートの演出を手がける松本が、この問いを客席に投げかけることは、実はとても勇気のいることだ。初めて嵐のライブに足を運んだ人が、「大したことないじゃん」と思う可能性だってあるわけだし、たくさんのヒット曲を持つ彼らだからこそ、「この曲が聴けなかった」と落胆する人だって出るかもしれない。でも、嵐のライブはいつも驚きに満ち溢れ、魅惑的で、華やかで、最先端で、力強くて、ドラマティックで、アーティスティックで、幻想的で、フレンドリーで。何より5人が5人とも全力だ。

 さらに今年の『untitled』ツアーでの巨大スクリーンとレーザー光線、ムービングステージの使い方など、今できる最先端の演出には度肝を抜かれた。スクリーンに流れる映像とのコラボレーションで、ドーム全体が教会になったり、宇宙になったり、荒野になったり。無線ペンライトで制御された光と、嵐のダンスとで、アリーナ全体が巨大なアート作品に見えたりもした。「こんなことまでできるなんて」「こんなところにも行けるなんて」「こんな光に包まれるなんて」と、1曲ごとに違う時空間へと連れて行かれるその体験が、あまりにも贅沢だった。嵐の5人が、「キミにこの景色を見せたい」「キミにこの音楽を聴かせたい」と願った場所へ導かれる。それが、楽園でなくて何なのか。

◆「俺らまだまだこんなもんじゃない」という宣言のよう

 バラエティでも活躍するアイドルらしく、相葉雅紀櫻井翔大野智によるユニット曲でヤマンバのコスプレに挑戦したり、適度に笑えるパートも挟みながら、踊って聴かせて魅せて煽って…。緩急のついた完璧ともいえる構成の中で、いい意味で期待を裏切られたのがアルバム曲「未完」の演出だ。

 デジタルサウンドが特徴的な、変拍子の、クラシックからヒップホップまで様々なジャンルの音楽を繋ぎ合わせたようなまさに“未完成の”楽曲。その前の曲はアンセムのような「Song for you」で、従来の王道パターンであれば、それでエンディングを迎えるのが定番のイメージだっただ。だが今回ばかりは、ギリギリまで一緒に愛の嵐の中にいながら、最後の「未完」で、まるでつないでいた手をそっと離して、次のステージへ向かっていくようで。それはまるで、「俺らまだまだこんなもんじゃない」という宣言のようでもあった。

◆アイドルであることに誇りを持ち、破壊と創造を繰り返す嵐

 こんなにも完成度の高いものを生み出しながら、次の年にはまったく違うものを創り上げなければならない。もっと驚かせたい。もっと楽しませたい。そうやって、彼らは破壊と創造を繰り返す。嵐は、ライブアーティストとして常に最先端を目指している。アイドルとして歩む道に、ゴールも完成形もない。ただ全力で、走り続けるだけだ。そんな、トップアイドルとしての宿命を引き受けた彼らは、とても逞しく、ピュアで、愛情深く、さらに年齢を重ねて人間としての味わいが、どんどん深まっている。

 バラエティや映画やドラマや舞台やCMや情報番組やニュースで、アートで、嵐のメンバーは様々な顔を見せる。でも、彼らの真価が発揮されるのはライブだ。これが嵐の決定版で、それは同時に、アイドルのライブの決定版でもある。アーティストとかミュージシャンと呼ばれるより、嵐の5人は5人ともが、アイドルであることに誇りを持っているように見える。アイドルの無限の可能性を追いかけているように見える。

 だから、ライブを見るたびに思うのだ。これが嵐だ。これがアイドルだ。これこそが地上の楽園だ、と――。
(文:菊地陽子)

オリコントピックス

あなたにおすすめの記事

メニューを閉じる

 を検索