デビュー30周年を迎える女性ロックバンドのSHOW-YAが、男性アーティストの楽曲を初めてカバーしたアルバム『Glamorous Show〜Japanese Legendary Rock Covers』を10月22日に発売。80年代にプリンセス プリンセスと共に、ガールズバンドブームをけん引、多くのアーティストに影響を与えたSHOW-YAの寺田恵子が、ORICON STYLEのインタビューに応じ、女性ロックバンドの草分けとして活動してきたSHOW-YAがデビューした当時のバンド事情やプリンセス プリンセスとの関係性について語る。
◆プリプリとの不仲説は、メディアが勝手に言っただけ
寺田恵子(Vo)、五十嵐sun-go美貴(G)、仙波さとみ(B)、中村美紀(Key)、角田mittan美喜(Dr)の5人からなるSHOW-YAは、1985年8月にシングル「素敵にダンシング (Coke Is It)」でデビュー。当時、女性だけのロックバンドは珍しく、先駆け的な存在として注目を集める。自らのプロデュースで女性アーティストだけを集めたイベント『NAONのYAON』を東京・日比谷野外音楽堂で行うなど、1986年にデビューしたプリンセス プリンセスと共に、ガールズバンド・ブームの火付け役となり、その後の音楽シーンに影響を与えた。
デビュー当時を振り返り寺田は、「女バンドがデビューできない理由のひとつとして、受け皿がないっていうのがあった。男バンドならメンバーのひとりがやめてしまっても新しい人を入れて続けられるけど、女バンドは楽器を演奏できるプロの人数が圧倒的に少なかったから、誰かがやめると存続が難しい。レコード会社やプロダクションが二の足を踏むっていう時代だった」とガールズバンドは珍しく、成功した前例はない。その為、SHOW-YA自身で事務所を立ち上げ、デビューへと至った。
その後、「限界LOVERS」などのヒット曲を生み、SHOW-YAの人気を不動のものとしたのは、プリンセス プリンセスの存在が大きかったと寺田は言う。「ちょうどプリプリが出てきたのもタイミングがよくて。SHOW-YAと正反対のバンドだったから、比較対象として取り上げられて、女バンドブームに繋がったので、恵まれてた部分はあるかもしれない」。SHOW-YAは硬派なハードロック・バンド、プリンセス プリンセスはアイドル的な存在だった。その音楽性やキャラクターの違いから彼女たちに対し、不仲説をメディアが書き立てた。実際は「メディアが勝手に言ってただけ。お互い“女バンド”っていう同じ土俵に立ち、しかもジャンルが違うからこそ周りが注目してくれて女の子のムーブメントがきたから、対抗意識とかはまったくなかった」と世の中の反応とは裏腹に、「うちらは仲良いのにね」とお互いに交流を深めてきた。
◆“プリプリは可愛くて、お前らは可愛くない”って、散々言われた
SHOW-YAがデビューした80年代は、BOΦWYやチェッカーズなどの男性バンドが次々にデビューし、空前のバンドブームだった。年頃の男女が同じ仕事現場で出会うことも多かったが、硬派なイメージが先行してか、「モテなかったよ〜(笑)。“プリプリは可愛くて、お前らは可愛くない”って、散々言われた(笑)。スキがなくて怖いらしい」と寄ってくる男性がいても、「“女、なめんなよ”ってね。もったいないことしたなぁ(笑)」と笑顔を見せる。「でも、当時はまずはバンドとして認めてもらいたかった。デビュー前なんかスカートも禁止していて。ステージから見えそうで見えないとか、そういうとこで話題になりたくないっていう意志があった」と女性ならではの悩みも。「とにかく世間や男に負けちゃいけないってすっごい力が入っていて、週に6日は朝から晩までスタジオに入って、全然遊んでない。しかも、女バンドの先輩がいないから相談できる相手もいない。何があっても自分らで乗り越えなきゃいけないって必死だった」とバンドひと筋の生活を送っていたと言う。
しかし、ストイックに音楽活動に取り組むことで、「何もかも抱え込んでそれが重荷になって、精神的に追い込まれていたんですよ。しかも何年も平均睡眠が3時間ぐらいなので、体もまいっちゃって。でもツラいって言うと、“女だから”って言われてしまうから言えない」と精神的にも肉体的にも追い詰められた寺田は、「その行き着いた答えが私にとって、SHOW-YAをやめるってことだった」と脱退を決意。寺田の脱退後、新たなボーカルが加入し、SHOW-YAは活動を続けていたが、1998年に解散。
その頃ソロ活動を行っていた寺田は、一度は脱退したものの、次第にSHOW-YAへの思いが強くなり、「どれだけ本気なのか見せるしないと思って1人ひとりを飲みに誘ったり、心と心が通じるまでジワジワ攻めました」と5年かけてメンバーを説得。一度抜けたボーカルがバンドに戻り、再始動することは、女性バンドでなくともレアなケース。「それだけみんなSHOW-YAが好きだし、ここで生き抜こうって命を賭けてるんですよね。そういう意味で私はSHOW-YAは奇跡のバンドだと思っているの。ひとりだけ結婚したけど、嫁にも行かず子供もいず、男にも振り回されず、自分たちの音楽を突き詰めた女バンドは多分、世界にいない」と胸を張る。
デビュー30周年を迎える今、ここまでSHOW-YAを続けてこられた一番の理由は「やっぱりファン(の存在)が大きい」と言う。「自分たちの歌や音楽を明日への力にしてくれたり、そういう人がいるからがんばってこれたんだと思います。じゃないと30年も続かない。好きなだけではやっていけない世界だからね」(寺田)。
◆プリプリとの不仲説は、メディアが勝手に言っただけ
寺田恵子(Vo)、五十嵐sun-go美貴(G)、仙波さとみ(B)、中村美紀(Key)、角田mittan美喜(Dr)の5人からなるSHOW-YAは、1985年8月にシングル「素敵にダンシング (Coke Is It)」でデビュー。当時、女性だけのロックバンドは珍しく、先駆け的な存在として注目を集める。自らのプロデュースで女性アーティストだけを集めたイベント『NAONのYAON』を東京・日比谷野外音楽堂で行うなど、1986年にデビューしたプリンセス プリンセスと共に、ガールズバンド・ブームの火付け役となり、その後の音楽シーンに影響を与えた。
デビュー当時を振り返り寺田は、「女バンドがデビューできない理由のひとつとして、受け皿がないっていうのがあった。男バンドならメンバーのひとりがやめてしまっても新しい人を入れて続けられるけど、女バンドは楽器を演奏できるプロの人数が圧倒的に少なかったから、誰かがやめると存続が難しい。レコード会社やプロダクションが二の足を踏むっていう時代だった」とガールズバンドは珍しく、成功した前例はない。その為、SHOW-YA自身で事務所を立ち上げ、デビューへと至った。
その後、「限界LOVERS」などのヒット曲を生み、SHOW-YAの人気を不動のものとしたのは、プリンセス プリンセスの存在が大きかったと寺田は言う。「ちょうどプリプリが出てきたのもタイミングがよくて。SHOW-YAと正反対のバンドだったから、比較対象として取り上げられて、女バンドブームに繋がったので、恵まれてた部分はあるかもしれない」。SHOW-YAは硬派なハードロック・バンド、プリンセス プリンセスはアイドル的な存在だった。その音楽性やキャラクターの違いから彼女たちに対し、不仲説をメディアが書き立てた。実際は「メディアが勝手に言ってただけ。お互い“女バンド”っていう同じ土俵に立ち、しかもジャンルが違うからこそ周りが注目してくれて女の子のムーブメントがきたから、対抗意識とかはまったくなかった」と世の中の反応とは裏腹に、「うちらは仲良いのにね」とお互いに交流を深めてきた。
◆“プリプリは可愛くて、お前らは可愛くない”って、散々言われた
SHOW-YAがデビューした80年代は、BOΦWYやチェッカーズなどの男性バンドが次々にデビューし、空前のバンドブームだった。年頃の男女が同じ仕事現場で出会うことも多かったが、硬派なイメージが先行してか、「モテなかったよ〜(笑)。“プリプリは可愛くて、お前らは可愛くない”って、散々言われた(笑)。スキがなくて怖いらしい」と寄ってくる男性がいても、「“女、なめんなよ”ってね。もったいないことしたなぁ(笑)」と笑顔を見せる。「でも、当時はまずはバンドとして認めてもらいたかった。デビュー前なんかスカートも禁止していて。ステージから見えそうで見えないとか、そういうとこで話題になりたくないっていう意志があった」と女性ならではの悩みも。「とにかく世間や男に負けちゃいけないってすっごい力が入っていて、週に6日は朝から晩までスタジオに入って、全然遊んでない。しかも、女バンドの先輩がいないから相談できる相手もいない。何があっても自分らで乗り越えなきゃいけないって必死だった」とバンドひと筋の生活を送っていたと言う。
しかし、ストイックに音楽活動に取り組むことで、「何もかも抱え込んでそれが重荷になって、精神的に追い込まれていたんですよ。しかも何年も平均睡眠が3時間ぐらいなので、体もまいっちゃって。でもツラいって言うと、“女だから”って言われてしまうから言えない」と精神的にも肉体的にも追い詰められた寺田は、「その行き着いた答えが私にとって、SHOW-YAをやめるってことだった」と脱退を決意。寺田の脱退後、新たなボーカルが加入し、SHOW-YAは活動を続けていたが、1998年に解散。
その頃ソロ活動を行っていた寺田は、一度は脱退したものの、次第にSHOW-YAへの思いが強くなり、「どれだけ本気なのか見せるしないと思って1人ひとりを飲みに誘ったり、心と心が通じるまでジワジワ攻めました」と5年かけてメンバーを説得。一度抜けたボーカルがバンドに戻り、再始動することは、女性バンドでなくともレアなケース。「それだけみんなSHOW-YAが好きだし、ここで生き抜こうって命を賭けてるんですよね。そういう意味で私はSHOW-YAは奇跡のバンドだと思っているの。ひとりだけ結婚したけど、嫁にも行かず子供もいず、男にも振り回されず、自分たちの音楽を突き詰めた女バンドは多分、世界にいない」と胸を張る。
デビュー30周年を迎える今、ここまでSHOW-YAを続けてこられた一番の理由は「やっぱりファン(の存在)が大きい」と言う。「自分たちの歌や音楽を明日への力にしてくれたり、そういう人がいるからがんばってこれたんだと思います。じゃないと30年も続かない。好きなだけではやっていけない世界だからね」(寺田)。
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2014/11/03