今月10日に亡くなった女優・森光子さん(享年92)の甥で、所属事務所オフィス・モリの柳田敏朗社長(63)が15日、都内で会見を開いた。2010年5月に2000回以上続けた舞台『放浪記』を降板後も病室に台本を持ち込み「舞台復帰は本人の希望だった。運動したり、日によっては一人芝居のようにしゃべっていたこともありました」といい、「十分に森の思うように支えられなかったと思う」と沈痛な面持ちを浮かべた。
今年9月に入院した際は元気だったという森さんは、11月10日に容態が急変。最期を看取った付き人やマネージャーも「話をして、疲れて休んだのかと思っていたら、息を…」と話していたと明かされ、突然のお別れだったという。
柳田社長は「仕事柄、家族としての付き合いはできなかった。今年の9月頃、手をギュッとにぎって涙ながらに『ありがとう』と言っていたのが記憶に残っています。個人的に付き合いができなかったから涙が溢れたのかな」と唇を噛み締めた。
生前「自分の人生の全うの仕方は『放浪記』の舞台千秋楽に幕が下りて、そのまま静かに逝きたい」と公言していた森さん。それを尊重し、密葬という形で親族に送られた森さんの棺の中には「キレイな花を飾っていただいて、気に入っていた萩の模様の淡い紫の着物を中に入れました」。そのほか、舞台『雪まろげ』『新春 人生革命』のポスターと『放浪記』の2000回公演時の台本も収められた。
舞台『放浪記』で2000回以上主演し、文化勲章や国民栄誉賞を受けた森さんの女優人生に、柳田社長は「素晴らしい仕事を70年以上続けてきたのは、もちろん本人の意志や努力もありますが、いろんな関係の方に支えられ、ファンの方に支持されたからここまでやってこれた。本人も常々言ってましたが、その思いは周りの者も一緒です」と感謝していた。
今年9月に入院した際は元気だったという森さんは、11月10日に容態が急変。最期を看取った付き人やマネージャーも「話をして、疲れて休んだのかと思っていたら、息を…」と話していたと明かされ、突然のお別れだったという。
柳田社長は「仕事柄、家族としての付き合いはできなかった。今年の9月頃、手をギュッとにぎって涙ながらに『ありがとう』と言っていたのが記憶に残っています。個人的に付き合いができなかったから涙が溢れたのかな」と唇を噛み締めた。
生前「自分の人生の全うの仕方は『放浪記』の舞台千秋楽に幕が下りて、そのまま静かに逝きたい」と公言していた森さん。それを尊重し、密葬という形で親族に送られた森さんの棺の中には「キレイな花を飾っていただいて、気に入っていた萩の模様の淡い紫の着物を中に入れました」。そのほか、舞台『雪まろげ』『新春 人生革命』のポスターと『放浪記』の2000回公演時の台本も収められた。
舞台『放浪記』で2000回以上主演し、文化勲章や国民栄誉賞を受けた森さんの女優人生に、柳田社長は「素晴らしい仕事を70年以上続けてきたのは、もちろん本人の意志や努力もありますが、いろんな関係の方に支えられ、ファンの方に支持されたからここまでやってこれた。本人も常々言ってましたが、その思いは周りの者も一緒です」と感謝していた。
2012/11/15