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先月1日に尿管癌のため70歳で亡くなった作詞家の阿久悠さんを送る会が10日(月)、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで催され、親交のあった著名人や関係者ら約1200人が偉大すぎる昭和の巨星との別れを惜しんだ。
会場を入って目の前に設置された祭壇は白い花で埋め尽くされ、ウイスキーのポスターに使用された写真が遺影として飾られた。その奥には日本レコード大賞受賞時のトロフィーや代表曲のレコードジャケット、直筆の歌詞などが並べられ、「また逢う日まで」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「恋のダイヤル6700」など手がけた数々のヒット曲が生演奏された。
手掛けたシングルの総売上げ枚数は6818.6万枚(07/9/10付現在)=作詞家売上歴代1位(07/9/10付現在 2位=松本隆 3位=小室哲哉)。20世紀最大の作詞家にして、昭和歌謡界そのものともいえる阿久さんとの別れに、和田アキ子、山本リンダ、尾崎紀世彦、石川さゆり、八代亜紀、ピンク・レディー、五木ひろし、谷村新司、森進一、島倉千代子、西城秀樹、森田公一、都倉俊一ら多数の著名人が参列。献花の列は2時間あまり続いた。
取材に応じた参列者の主なコメントは以下。
【和田アキ子】
いつも仕事の話しないで『呑もうよ』ばっかで。週に2、3回呑みに連れていってもらってお金がなかったのでおごってもらえるのが嬉しかった。(オリコン)1位になった曲は1曲もないんですけど・・・昔、先生に「私なんで1位にならないのでしょう」と話したら「ごめんなぁ」って言われてね。今日から阿久さんの歌の歌い方が変わると思います。本当のこと言うと今歌いたいぐらい。阿久さんが生きていたら? 文句言いますね。「何で1位じゃないの」って(笑)。
【山本リンダ】
(「どうにもとまらない」の詞を最初に見て)「うわー、カッコイイ! すっごい新鮮で私が生まれ変われる」そういう詞だな、と思ったのをハッキリ覚えています。これで売れなかったら歌やめるしかないって、心中するつもりでした。
【尾崎紀世彦】
プライベートでは会ったことなくてテレビ局の廊下ですれ違ったくらい。(死去の第一報を聞いて)早すぎるのでまずは信用できなかった。(阿久さんが)ストックしていた詞にいい曲をつけて歌いたいなとは思ってる。普段喋ってる言葉をたくさん使ってる方、なんでもない言葉を凄くわかりやすくしてくれる方でした。
【石川さゆり】
30周年の時に言われた「さゆりの場合は年を重ねるごとに歌も成長するから僕は嬉しいよ」というのが、一番の誉め言葉でした。(送る会は)不思議なパーティ・・・しっくりこないです。先生は本当にいい言葉を紡がれたと思うし、私たちも紡いでいきたいと思います。
【八代亜紀】
切ないですね、素晴らしい才能と宝物がいなくなって。でも「(阿久さんの曲を歌えて)八代さんは幸せだね」って周りから言われました。よく「大人の歌が迷子になってる。大通りに八代君が戻して」ってよく言われました。“時代の切り取り”それが素晴らしくて。私はいつも「先生はかわいいですね」って言ってました。
【ピンク・レディー】
増田恵子「今日、先生はここにいらっしゃるってそう思います。『先生ありがとう』って言えてなかったので、今日は十分お伝えしました。普段会えてないいろんな方にお会いできて、なんか悲しいですけど幸せな気分です。(会場で久しぶりに見た)先生の文字が懐かしくって、特徴がある字でね・・・。」
未唯「(亡くなってから)今日に至るまでに消化できたような気がして清清しい感じです。(当時、阿久さんの詞を)ファンの皆さんが楽しみにしてたんだと思いますが、誰よりも私たちが一番楽しみにしてました。私たちに書いてくれた詞は楽しくて嬉しくてハッピーで、若い時はわからなかったけど、大人になって(意味が)わかればわかるほど深いなって思います」
【森田公一】
最後に会ったのは覚えてませんが、手紙のやりとりはありました。(出会った)当時はお互い貧乏学生でしたので、2人とも。阿久さんは「お金が入ったら今はカレーだけどいつかカツカレー食ってやる!」って、僕は「今はラーメンだけどいつかタンメン食ってやる」てね、よく話してました。叶いましたけど(笑)。他の作曲家は先にメロディを作ってましたけど、僕は詞を先に書いてもらってたので少しは(阿久さんの)本音が多く入ってるかなと思います。僕にとっては先生であり弟であり、曲の中でぶつかりあいがあり。(2人で曲を作ると)違う色を引き出してくれるというか、化学変化を起こすというかそれが楽しかったですね。(遺影の前で)「僕もそう遠くないうちにそっちに行くよ」って伝えたから、向こうできっと笑ってるでしょうね。
先月1日に尿管癌のため70歳で亡くなった作詞家の阿久悠さんを送る会が10日(月)、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで催され、親交のあった著名人や関係者ら約1200人が偉大すぎる昭和の巨星との別れを惜しんだ。
会場を入って目の前に設置された祭壇は白い花で埋め尽くされ、ウイスキーのポスターに使用された写真が遺影として飾られた。その奥には日本レコード大賞受賞時のトロフィーや代表曲のレコードジャケット、直筆の歌詞などが並べられ、「また逢う日まで」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「恋のダイヤル6700」など手がけた数々のヒット曲が生演奏された。
取材に応じた参列者の主なコメントは以下。
【和田アキ子】
いつも仕事の話しないで『呑もうよ』ばっかで。週に2、3回呑みに連れていってもらってお金がなかったのでおごってもらえるのが嬉しかった。(オリコン)1位になった曲は1曲もないんですけど・・・昔、先生に「私なんで1位にならないのでしょう」と話したら「ごめんなぁ」って言われてね。今日から阿久さんの歌の歌い方が変わると思います。本当のこと言うと今歌いたいぐらい。阿久さんが生きていたら? 文句言いますね。「何で1位じゃないの」って(笑)。
【山本リンダ】
(「どうにもとまらない」の詞を最初に見て)「うわー、カッコイイ! すっごい新鮮で私が生まれ変われる」そういう詞だな、と思ったのをハッキリ覚えています。これで売れなかったら歌やめるしかないって、心中するつもりでした。
【尾崎紀世彦】
プライベートでは会ったことなくてテレビ局の廊下ですれ違ったくらい。(死去の第一報を聞いて)早すぎるのでまずは信用できなかった。(阿久さんが)ストックしていた詞にいい曲をつけて歌いたいなとは思ってる。普段喋ってる言葉をたくさん使ってる方、なんでもない言葉を凄くわかりやすくしてくれる方でした。
【石川さゆり】
30周年の時に言われた「さゆりの場合は年を重ねるごとに歌も成長するから僕は嬉しいよ」というのが、一番の誉め言葉でした。(送る会は)不思議なパーティ・・・しっくりこないです。先生は本当にいい言葉を紡がれたと思うし、私たちも紡いでいきたいと思います。
【八代亜紀】
切ないですね、素晴らしい才能と宝物がいなくなって。でも「(阿久さんの曲を歌えて)八代さんは幸せだね」って周りから言われました。よく「大人の歌が迷子になってる。大通りに八代君が戻して」ってよく言われました。“時代の切り取り”それが素晴らしくて。私はいつも「先生はかわいいですね」って言ってました。
【ピンク・レディー】
増田恵子「今日、先生はここにいらっしゃるってそう思います。『先生ありがとう』って言えてなかったので、今日は十分お伝えしました。普段会えてないいろんな方にお会いできて、なんか悲しいですけど幸せな気分です。(会場で久しぶりに見た)先生の文字が懐かしくって、特徴がある字でね・・・。」
未唯「(亡くなってから)今日に至るまでに消化できたような気がして清清しい感じです。(当時、阿久さんの詞を)ファンの皆さんが楽しみにしてたんだと思いますが、誰よりも私たちが一番楽しみにしてました。私たちに書いてくれた詞は楽しくて嬉しくてハッピーで、若い時はわからなかったけど、大人になって(意味が)わかればわかるほど深いなって思います」
【森田公一】
最後に会ったのは覚えてませんが、手紙のやりとりはありました。(出会った)当時はお互い貧乏学生でしたので、2人とも。阿久さんは「お金が入ったら今はカレーだけどいつかカツカレー食ってやる!」って、僕は「今はラーメンだけどいつかタンメン食ってやる」てね、よく話してました。叶いましたけど(笑)。他の作曲家は先にメロディを作ってましたけど、僕は詞を先に書いてもらってたので少しは(阿久さんの)本音が多く入ってるかなと思います。僕にとっては先生であり弟であり、曲の中でぶつかりあいがあり。(2人で曲を作ると)違う色を引き出してくれるというか、化学変化を起こすというかそれが楽しかったですね。(遺影の前で)「僕もそう遠くないうちにそっちに行くよ」って伝えたから、向こうできっと笑ってるでしょうね。
2007/09/11





