a flood of circleが、2026年5月6日に日本武道館にて単独公演を開催する。彼らは11月9日に行ったフリーライブ「I'M FREE 2025 LIVE AT 新宿歌舞伎町野外音楽堂」にて公演を告知。そのステージで初披露された新曲「夜空に架かる虹」の歌詞には“5月6日武道館 目を開けて夢を見ている”というフレーズもあった。
11月12日には同曲を表題曲にしたアルバムをリリース。全9曲はバンドサウンドを解体し再構築した意欲的な内容だ。来年、結成20周年を迎える彼ら。ここにきてライブには若い世代のお客さんが集まり、バンドを巡る状況には追い風も吹いている。どんな思いがあるのか。佐々木亮介(Vo/Gt)に聞いた。
――「夜空に架かる虹」はどんなきっかけで生まれた曲なんでしょうか?
【佐々木】アルバムの曲を作ろうとずっとスタジオで一人で悩んでいる時に、電話がかかってきて。「今日決めるなら5月6日の祝日の武道館がとれる」って言われたんですよ。「決めないなら年内は無理かもしれない」って。本当は2026年11月に武道館をやりたかったんです。そこをめがけて1年間全国をツアーしようと考えてた。だからプランが全部崩れると思ったけど、でも「やります」って言ったんです。さすが俺の人生だ、降ってくるなと思って。
――アルバムは今までにない音楽的な発想の引き出しを開けた一枚だと思います。これはどういうアイデアがあったんでしょうか?
【佐々木】バンドサウンドを解体しようと思っていたんです。だから曲を録らないで、たとえばドラム4小節とかパーツだけを録って、あとは一人で作っていった。だからすごく時間がかかっちゃった。「夜空に架かる虹」は一番シンプルな曲なんですよ。本当はいろいろやりまくったアルバムを作って、その後にこういう曲を出して武道館をやろうと思ってんですよね。でもそれじゃ遅いということになった。生き急ぐ理由ができた。じゃあ“5月6日武道館”というのを歌にするしかないなって。それで作った曲です。
――この曲の歌詞には“5月6日武道館 目を開けて夢を見ている”というフレーズがありますよね。こういう風に事実をそのまま歌にするの、すごくいいなと思います。
【佐々木】かかってきた電話を切って、すぐに作ろうと思いましたね。武道館で歌う前提で作ることがハッキリしたんで。あと、こういう発表ってMCで言ったり動画で出したりするじゃないですか。そうじゃなくて「新曲やるね」って言ってさらっと演奏して、その曲の中で日付歌ってたら面白いかなって。
――2023年9月リリースの「ゴールド・ディガーズ」の歌詞には“武道館 取んだ3年後 赤でも恥でもやんぞ”とありました。なので、ちゃんと3年後の有言実行になった。
【佐々木】もともとなんで3年後に武道館をとるって言い始めたかというと、その頃、ドラムのなべちゃん(渡邊一丘)に「あと3年くらいバンドがこんな調子だったら、俺はもう40で辞めるかも」って言い出したからだったんですよ。2026年で40歳になるんですけど、だから「マジでこのメンバーで最後でもいい」っていう曲じゃないとダメだって、エモい気持ちが働いたんです。
――「ゴールド・ディガーズ」からの3年間、どんなストーリーを辿ってきた実感がありますか。
【佐々木】計算したことはそんなにないですけど、日比谷野外大音楽堂が売り切れたのは大きかったです。『ふつうの軽音部』という漫画に「理由なき反抗 (The Rebel Age)」が使われたのがデカくて。ただ、最近はフェスにもあんまり出なくなってるし、どんどん孤立してる感じがあるんですよね。売れてるわけでもないし、新人でもないから、自分たちの場所に行くしかない。それで前作の『WILD BUNNY BLUES/野うさぎのブルース』では山に行って録ったんです。普通にスタジオで録ってたら何も起こらないと思って。で、またそれと同じことをするわけにはいかないから、今度はバンドっぽくない録り方をした。俺たちしかやってないことを3年くらいかけて探してきた。それがこのアルバムになった感じです。
――『ふつうの軽音部』の影響は本当に大きいですよね。2025年6月13日のZepp DiverCity TOKYOのワンマンライブを観させてもらったんですけれど、一番驚いたのは、お客さんが若かったこと。ちゃんと世代交代してたんですよね。汗だくになった10代くらいの2人組のお客さんが、出口に向かう帰り道で笑顔で「来てよかったね」って話し合っていた。漫画をきっかけにバンドを知って、初めてライブに来て、何かを受け取って帰っていった。そういう状況がバンドの追い風になってるという実感はすごくあるんじゃないかと。
【佐々木】本当にそうで。思いもよらないことがあって、ライブハウスの最前列にティーンエイジャーの女の子がいたりするんですよ。だから、それはすごく感じますね。
――9月から10月には持ち曲195曲を全曲演奏するというツアー『レトロスペクティヴ 2025』を行っていましたが、これはどういうところからの発案だったんですか?
【佐々木】恥ずかしいんですけど“かまそう”というだけです。20年やってきたバンドが続かなくなるのって、歌う動機がなくなるからというのもあるんです。タイアップだったら頼まれた仕事だし、そこに対して自分の感性をミックスすることもできるけど、それもないから。かましたいと思うなら、言いたいことがあるべきじゃないですか。だけど、バンドを20年やってきて、スタッフも飯食えてるし、前よりは金もある。「歌うことあんのか?」って。頼まれてるものがないから、かますしかない。かつ、ヌルいものにはしたくなかった。正直アルバムに集中したかったんですけど、緊張感あるものをやろうというので全曲演奏ツアーをやろう、と。
――ここ3年間のa flood of circleは、キャリアを重ねたロックバンドがやらないことをたくさんやってると思うんです。武道館をやるぞって3年前に歌詞に書くことも、山にこもることも、全曲演奏ツアーもそう。全部かますためのことだと思うんですけれど、そのことがちゃんと効果を持ってると思ったんですね。というのも、このバンドは今ルーチンで活動してないぞ、もがいてるぞ、というのが伝わる。結局a flood of circleってずっとそれをしてきたバンドだし、そうしてないと停滞するバンドじゃないですか。
【佐々木】そう思います。たぶん、マジで20歳ぐらいの気持ちでやってるから、10代とか20代の若い人に聴かれてるのかもしれない。10代の時に感じてた居場所のなさとはまた違う、フィットするところがない感覚があって。そういう意味でも、この歳になってまだもがいてるってことかもしれない。
――そういう意識とアルバム制作は連動したモードでしたか?
【佐々木】完全に連動してました。山で録るっていうのは「スタジオで録ってるお前らは普通だぞ」って言いたかったんです。でもそれをもう一回やってもしょうがない。それで、ソロでメンフィスとかシカゴに行った経験があったんで、それを投入しようと。そこでトラックメイキングのスキルが成長したし、それを全部結集するくらいのことをしないと面白いことはできないかもなって。だからバンドで素材を録って、それを切り刻んで、壊して、もう一回再構築しよう、と。ラップのトラックメイカーともネットのクリエイターとも違うし、ロックバンドが生で録った感じでもない。今までの自分たちとも違う。そういうものにしたかったんで。メンバーもよく知らないまま制作しました。
――「KILLER KILLER」 は、その扉を開いたきっかけになった?
【佐々木】まさにそうですね。「KILLER KILLER」は最初まず普通にバンドで録ったんですよ。それを一回壊してみたら、自分としては手応えがあった。快感もあったし、意外と誰もやってないことなんじゃないかなって思ったんで。その線で行こうと思いました。
――トラックメーカーとしてのロックンロールになったわけですね。それによってバンドにどういう強みが加わったという感じがありますか。
【佐々木】そこはどうなんだろう……。危ないなとは思ってます。メンバーが知らないまま曲が完成してるから。ライブでできないことばっかりやっちゃったから、メンバー的にしっくり来てるかわからない。空中分解しないかな、大丈夫かなって。
――ロックバンドの美学としては、せーの!で演奏して、一心同体で一つの塊になってるのが美しいってのがあるじゃないですか。でもそういう美学で作られたアルバムではない。
【佐々木】真逆ですね。完全に俺のワガママです。それを許してくれるだろうと信じてたんで踏み切ったんですけど。武道館を意識して、自分に対して「ギリギリまで走れよ」って思ったのかもしれない。これやったらバンド危ないかもとは思ったんです。だから矛盾してるんですよね。バンドを続けたいから武道館をやろうと思ってるのに。
――リスクをとりにいったということですね。
【佐々木】格好よく言うとそうですね。悪く言ったらワガママでしかない。結果がどうなるかはわからないですけれど。これがいいんだと思う人にグッと向かっていくことに懸けたいと思ってますね。
――最後に聞かせてください。武道館は、どんな場所にしたいと思ってますか。
【佐々木】今やろうとしてることって、ほとんど負けのオセロだと思うんですよ。そこに武道館という一手を置いたとしても、全部は変わらないかもしれない。でも、ひょっとしたら、俺が思ってたオセロの盤面は全然狭くて、まだまだ未開の地があるんだって思えるかもしれない。そういうことを感じてもらえる場所にしたいと思います。「ロックの子どもとして生きていく道がまだあるんだ」って思わせたい。そういうふうにできたらいいなと思います。
11月12日には同曲を表題曲にしたアルバムをリリース。全9曲はバンドサウンドを解体し再構築した意欲的な内容だ。来年、結成20周年を迎える彼ら。ここにきてライブには若い世代のお客さんが集まり、バンドを巡る状況には追い風も吹いている。どんな思いがあるのか。佐々木亮介(Vo/Gt)に聞いた。
――「夜空に架かる虹」はどんなきっかけで生まれた曲なんでしょうか?
【佐々木】アルバムの曲を作ろうとずっとスタジオで一人で悩んでいる時に、電話がかかってきて。「今日決めるなら5月6日の祝日の武道館がとれる」って言われたんですよ。「決めないなら年内は無理かもしれない」って。本当は2026年11月に武道館をやりたかったんです。そこをめがけて1年間全国をツアーしようと考えてた。だからプランが全部崩れると思ったけど、でも「やります」って言ったんです。さすが俺の人生だ、降ってくるなと思って。
【佐々木】バンドサウンドを解体しようと思っていたんです。だから曲を録らないで、たとえばドラム4小節とかパーツだけを録って、あとは一人で作っていった。だからすごく時間がかかっちゃった。「夜空に架かる虹」は一番シンプルな曲なんですよ。本当はいろいろやりまくったアルバムを作って、その後にこういう曲を出して武道館をやろうと思ってんですよね。でもそれじゃ遅いということになった。生き急ぐ理由ができた。じゃあ“5月6日武道館”というのを歌にするしかないなって。それで作った曲です。
――この曲の歌詞には“5月6日武道館 目を開けて夢を見ている”というフレーズがありますよね。こういう風に事実をそのまま歌にするの、すごくいいなと思います。
【佐々木】かかってきた電話を切って、すぐに作ろうと思いましたね。武道館で歌う前提で作ることがハッキリしたんで。あと、こういう発表ってMCで言ったり動画で出したりするじゃないですか。そうじゃなくて「新曲やるね」って言ってさらっと演奏して、その曲の中で日付歌ってたら面白いかなって。
――2023年9月リリースの「ゴールド・ディガーズ」の歌詞には“武道館 取んだ3年後 赤でも恥でもやんぞ”とありました。なので、ちゃんと3年後の有言実行になった。
【佐々木】もともとなんで3年後に武道館をとるって言い始めたかというと、その頃、ドラムのなべちゃん(渡邊一丘)に「あと3年くらいバンドがこんな調子だったら、俺はもう40で辞めるかも」って言い出したからだったんですよ。2026年で40歳になるんですけど、だから「マジでこのメンバーで最後でもいい」っていう曲じゃないとダメだって、エモい気持ちが働いたんです。
――「ゴールド・ディガーズ」からの3年間、どんなストーリーを辿ってきた実感がありますか。
【佐々木】計算したことはそんなにないですけど、日比谷野外大音楽堂が売り切れたのは大きかったです。『ふつうの軽音部』という漫画に「理由なき反抗 (The Rebel Age)」が使われたのがデカくて。ただ、最近はフェスにもあんまり出なくなってるし、どんどん孤立してる感じがあるんですよね。売れてるわけでもないし、新人でもないから、自分たちの場所に行くしかない。それで前作の『WILD BUNNY BLUES/野うさぎのブルース』では山に行って録ったんです。普通にスタジオで録ってたら何も起こらないと思って。で、またそれと同じことをするわけにはいかないから、今度はバンドっぽくない録り方をした。俺たちしかやってないことを3年くらいかけて探してきた。それがこのアルバムになった感じです。
――『ふつうの軽音部』の影響は本当に大きいですよね。2025年6月13日のZepp DiverCity TOKYOのワンマンライブを観させてもらったんですけれど、一番驚いたのは、お客さんが若かったこと。ちゃんと世代交代してたんですよね。汗だくになった10代くらいの2人組のお客さんが、出口に向かう帰り道で笑顔で「来てよかったね」って話し合っていた。漫画をきっかけにバンドを知って、初めてライブに来て、何かを受け取って帰っていった。そういう状況がバンドの追い風になってるという実感はすごくあるんじゃないかと。
【佐々木】本当にそうで。思いもよらないことがあって、ライブハウスの最前列にティーンエイジャーの女の子がいたりするんですよ。だから、それはすごく感じますね。
――9月から10月には持ち曲195曲を全曲演奏するというツアー『レトロスペクティヴ 2025』を行っていましたが、これはどういうところからの発案だったんですか?
【佐々木】恥ずかしいんですけど“かまそう”というだけです。20年やってきたバンドが続かなくなるのって、歌う動機がなくなるからというのもあるんです。タイアップだったら頼まれた仕事だし、そこに対して自分の感性をミックスすることもできるけど、それもないから。かましたいと思うなら、言いたいことがあるべきじゃないですか。だけど、バンドを20年やってきて、スタッフも飯食えてるし、前よりは金もある。「歌うことあんのか?」って。頼まれてるものがないから、かますしかない。かつ、ヌルいものにはしたくなかった。正直アルバムに集中したかったんですけど、緊張感あるものをやろうというので全曲演奏ツアーをやろう、と。
――ここ3年間のa flood of circleは、キャリアを重ねたロックバンドがやらないことをたくさんやってると思うんです。武道館をやるぞって3年前に歌詞に書くことも、山にこもることも、全曲演奏ツアーもそう。全部かますためのことだと思うんですけれど、そのことがちゃんと効果を持ってると思ったんですね。というのも、このバンドは今ルーチンで活動してないぞ、もがいてるぞ、というのが伝わる。結局a flood of circleってずっとそれをしてきたバンドだし、そうしてないと停滞するバンドじゃないですか。
【佐々木】そう思います。たぶん、マジで20歳ぐらいの気持ちでやってるから、10代とか20代の若い人に聴かれてるのかもしれない。10代の時に感じてた居場所のなさとはまた違う、フィットするところがない感覚があって。そういう意味でも、この歳になってまだもがいてるってことかもしれない。
――そういう意識とアルバム制作は連動したモードでしたか?
【佐々木】完全に連動してました。山で録るっていうのは「スタジオで録ってるお前らは普通だぞ」って言いたかったんです。でもそれをもう一回やってもしょうがない。それで、ソロでメンフィスとかシカゴに行った経験があったんで、それを投入しようと。そこでトラックメイキングのスキルが成長したし、それを全部結集するくらいのことをしないと面白いことはできないかもなって。だからバンドで素材を録って、それを切り刻んで、壊して、もう一回再構築しよう、と。ラップのトラックメイカーともネットのクリエイターとも違うし、ロックバンドが生で録った感じでもない。今までの自分たちとも違う。そういうものにしたかったんで。メンバーもよく知らないまま制作しました。
――「KILLER KILLER」 は、その扉を開いたきっかけになった?
【佐々木】まさにそうですね。「KILLER KILLER」は最初まず普通にバンドで録ったんですよ。それを一回壊してみたら、自分としては手応えがあった。快感もあったし、意外と誰もやってないことなんじゃないかなって思ったんで。その線で行こうと思いました。
――トラックメーカーとしてのロックンロールになったわけですね。それによってバンドにどういう強みが加わったという感じがありますか。
【佐々木】そこはどうなんだろう……。危ないなとは思ってます。メンバーが知らないまま曲が完成してるから。ライブでできないことばっかりやっちゃったから、メンバー的にしっくり来てるかわからない。空中分解しないかな、大丈夫かなって。
――ロックバンドの美学としては、せーの!で演奏して、一心同体で一つの塊になってるのが美しいってのがあるじゃないですか。でもそういう美学で作られたアルバムではない。
【佐々木】真逆ですね。完全に俺のワガママです。それを許してくれるだろうと信じてたんで踏み切ったんですけど。武道館を意識して、自分に対して「ギリギリまで走れよ」って思ったのかもしれない。これやったらバンド危ないかもとは思ったんです。だから矛盾してるんですよね。バンドを続けたいから武道館をやろうと思ってるのに。
――リスクをとりにいったということですね。
【佐々木】格好よく言うとそうですね。悪く言ったらワガママでしかない。結果がどうなるかはわからないですけれど。これがいいんだと思う人にグッと向かっていくことに懸けたいと思ってますね。
――最後に聞かせてください。武道館は、どんな場所にしたいと思ってますか。
【佐々木】今やろうとしてることって、ほとんど負けのオセロだと思うんですよ。そこに武道館という一手を置いたとしても、全部は変わらないかもしれない。でも、ひょっとしたら、俺が思ってたオセロの盤面は全然狭くて、まだまだ未開の地があるんだって思えるかもしれない。そういうことを感じてもらえる場所にしたいと思います。「ロックの子どもとして生きていく道がまだあるんだ」って思わせたい。そういうふうにできたらいいなと思います。
2025/11/09




